慈恵病院の“「明日、ママがいない」放送にあたりまして”についての個人的雑感。
- tikuwa_zero
- 7315
- 0
- 3
- 10
「フィクションだから、いいのでは?」
フィクションとは、ドラマを見る人が現実との境界線をある程度引けることを前提とします。 警察、学校、病院を舞台にしたドラマは沢山ありますが、多くの人がそのような施設に対する予備知識を持っています。
2014-01-30 15:16:12例えば学園ドラマで過激な描写がなされても、ほとんどの人が学校生活を経験していますから、「あんな事は実際の学校ではあり得ない。あくまでフィクションだ」と判断できるはずです。 しかし児童養護施設の場合、現代におけるその姿を知っている人は、どのくらいいるでしょう。
2014-01-30 15:16:19養護施設と養護学校の違いさえ分からない人もいるのではないでしょうか。グループホームの事を知らない人は、もっと多いと思います。
2014-01-30 15:16:23子どもがフィクション作品を評価するのは、もっと困難です。 例えば、幼稚園児がウルトラマンの怪獣は世界のどこかにいて「いつか自分の街に来たらどうしよう」と心配するようなもので、大人にとっては明らかに非現実的でも、子どもにとっては分かりません。
2014-01-30 15:16:41だから、その事実を教えるのが教育だろうが。臭いモノに蓋をして、事実を何一つ教えずに済ますのは教育じゃなくて洗脳って云うんだよボケ。どっちが虐待だっつーの。
2014-01-30 15:17:33取材して頂きたかった
ドラマに感動的な部分や考えさせられる部分がありながら問題箇所があるのは現場の取材が少なかったということも考えられます。
2014-01-30 15:18:09その問題箇所って、お前らが勝手に問題にしとるだけで、ちゃんと教育したら済む話だろ。例えば特撮ヒーローを現実と勘違い、外に出て怪人に襲われるって妄想に取り付かれた子供を救うためにホントに必要な措置は何であるのか、ちょっと考えろ。
2014-01-30 15:20:03無論、いわゆるトラウマの治療がどれだけ難儀で困難かは理解してるよ。しかしね、繊細なマイノリティを基準にする事を認めてしまったら、あらゆる表現はあらゆるマイノリティの欲求・要求を満たすために封殺されてしまう。その危険性を理解しないとダメ。
2014-01-30 15:21:24「児童養護施設内での虐待など、施設のマイナス部分を出してはいけないのか」
自分たちの不備不手際は棚上げした挙句、いわゆる被差別層などを含めた社会的弱者をダシにした他者への制限・規制・排他を居容認する人たちって、他人の心根を勝手に判断するゲスパーさんが多いから、マジパねえす。
2014-01-30 15:24:57過去を反省し、新しく望まれる姿の児童養護施設を追求してきた結果、厚生労働省が推し進める“地域に根ざしたグループホーム”という形態が進みつつある中、舞台を厚生労働省が考えるグループホームにおいて、あのように表現したことに無理があったのではないかと思います。
2014-01-30 15:27:30「児童養護施設出身者は問題ないと言っている」
施設には多くのお子さんがいらっしゃいます。ポストと呼ばれても意に介さないお子さんもいらっしゃるかもしれません。また、ドラマの内容を元に施設の子をからかうお子さんは少ないと思います。しかし私が心配しているのは、心が折れてしまいそうな敏感で繊細なお子さん達です。
2014-01-30 15:29:54だから、敏感で繊細なお子さんを、日常で生活可能なように矯正・教育するのが養護だろ。 臭いモノに蓋をしたいだけなら、一生囲って出さなきゃいい。しかしそんなSCPみたいな扱いは、それこそが虐待だろ。だったらちょっとずつでも前に進ませざるを得ないのが道理じゃないの?
2014-01-30 15:31:49いやもちろん、心にキズを負った子供を矯正・教育するのが生半可な苦労じゃないのは理解してるよ。場合によっては、一生かかっても無理かもしれないって事も含めてな。
2014-01-30 15:34:39でも、自分たちの努力は完全放棄ないし無批判にスルーしておいて、他人への制限だけは無批判無制限に展開するって論理は、とてもじゃないけど受け入れられない。
2014-01-30 15:35:48最低限の論理として、心にキズを持つ子供たちへのケアをどうやって行っているのか、その現状はどうであるのか。その上で、どうしても配慮すべき、配慮して欲しい事を「お願い」するのが筋なんじゃねーの?と。
2014-01-30 15:36:13