知猫楽 「須恵器と土師器、労働環境と生産と道具」
- k_h_musume
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ある日のTL、須恵器の用途が話題になっていました。
【須恵器(すえき)】古墳~平安時代にかけて製作・使用された灰色で硬質の土器。朝鮮半島からの技術で製作され,ろくろで整形され,1000℃以上の高温の窯で焼かれたことが特徴。主に祭祀のときや副葬品として用いられた。Cf.土師器
2014-01-06 20:47:35@gijyou @JapaneseHis_bot 須恵器は日常の道具です。祭祀具としては、初めの伝わってすぐの話? 陸奥北部・盛岡周辺では、7~8世紀は客体的で、城柵以降に集落で一般的になります(九世紀以降) 一般的な教科書的には、間違いではない?かな?
2014-01-06 21:41:19@shiwamaro_kun @JapaneseHis_bot 尾張では古墳時代後期以降、煮炊具以外は全て須恵器になりますので、当然のことながら日常の供膳具も須恵器なのです。
2014-01-06 21:50:27@gijyou @JapaneseHis_bot なるほど。そうですね。日本史の教科書にどう書いてあるか、ですね。でも、こういう問題って沢山ありすぎますよね(^0^;) いつの学説?というものが、通説になってるものが多いですからね。もっとアピールしなくちゃですねー(・∀・)
2014-01-06 21:54:24RT>Gijouさんとしわまろくんの須恵器のお話、興味深い~(´∇`*)。元々のポストは大学受験用の日本史の要項?なのでしょうかねえ。歴史って、受験のためにだけおぼえて、あとは縁が無くてそれが真実(通説)とおぼえ込んだまま、って人が多いのかも?。
2014-01-07 07:31:17@k_h_musume おはようございます。教科書的な知識って、極めて一面的ですよね。日本の考古学界も一時期、それを改めようとずいぶん運動していたようですが、最近は下火になりました。中学・高校と、日本史を暗記科目にしてしまうのが日本史嫌いを増やす原因ですよね。
2014-01-07 07:45:02@gijyou @k_h_musume 日本史に限らず歴史って、人の歩みだから、出来事が波紋のように広がって繋がって次の出来事に波及していく流れを知るのが面白い。不便な時代に、力強く生きた先人の生き様を目の当たりにできる考古学は、その面白さを感じられる。そこを教えてあげたいの!
2014-01-07 08:18:04@gijyou @k_h_musume 手取り早く試験の問題にするには、話を聴いたか記憶力を問うしかない。そうでなければ、社会の先生が大変すぎるのは理解できます。だから、課外授業とかで、「調べ学習の上で」、面白さを体感するために、地元の歴史の現場である地元の史跡見学や体験は大事
2014-01-07 08:22:55@gijyou @k_h_musume 先生が興味がないと、それは実施されないのも事実。お忙しいので、難しいのも事実。 先日、志波城に小学四年生の女の子が、冬休みの自由研究にと取材にきてくれました。目をキラキラさせて話を聴いて見学されました。そういう子が増えてくれれば~
2014-01-07 08:27:14@shiwamaro_kun @k_h_musume 我が社も遺跡の現地説明会やワークショップで、いちばん来て欲しいのが小中学生なんです。でも、なかなか来てくれないんですよねえ。学校にチラシを配りに行ってもなしのつぶてのことが多いですし、先生が興味を持ってくれると嬉しいんですが…
2014-01-07 08:35:50私も、歴史への興味の入り口は、子どもの柔軟な感受性にこそ訴えるものがあると感じます。私自身、小学2年頃に復元竪穴建物に足を踏み入れたことが歴史への興味の第一歩でした。(続きます)→ @gijyou @shiwamaro_kun
2014-01-07 19:05:03@k_h_musume 私の場合は何せ実家が平城宮跡に程近いので、小学生の頃から、奈文研の平城宮跡調査部を外から覗いて、何やってんだろうと思っていました。5年生の遠足は飛鳥で、石舞台古墳の下で島宮の発掘をやっているのを後ろ髪引かれながら、横目で見つつ帰った覚えがあります。
2014-01-07 19:47:20@gijyou 化石や遺構の発掘って小学生くらいまではとても心踊るものだと思うのですが、どこで興味がそこを離れてしまうのでしょうね…(´∇`;*)。無理強いしてこなかったつもりの我が家のムスメも、あまり歴史に興味は無いようです。大人になるとまた変わるかも?とは思いますが…。
2014-01-07 20:18:49Gijyouさんとしわまろくんのお話は須恵器の用途全般についてのお話でしたが、畿内や美濃・尾張と東北で須恵器の生産と使用のタイムラグ=土師器と須恵器の生産交代に繋がる生産技術の伝播と生活文化上の用途の変遷があったのでは?と考える私にとっては、とても面白いお話でした(´∇`*)。
2014-01-07 22:47:10須恵器の話題の後、TLに労働環境の話題が。
奈良・平安時代の宮廷女官にあったのは裁縫休暇? それとも洗髪休暇? http://t.co/z1YKA3x6aR 女官には生理休暇も与えられていたらしい。下にある、假(け)へのリンクも読んだら面白い。講座で習ったとおり、6日に1日休みが与えられている。
2014-01-07 20:37:35RT>養老令だと假寧令の給休假条ですね(´∇`*)。ご紹介のページだと官吏ばかりが公休をもらっていたように思われてしまいそうなので、補足させて下さい。官戸・奴婢にもほぼ同様の休暇と家庭事情への配慮(小さい子どもを持つ親なら軽労働)が定められていました~。
2014-01-07 21:14:07@k_h_musume おお〜。すごい!令は、労働基準法に負けずとも劣らず労働環境が整えられているのですね。今丁度労働基準法を勉強中なので、その辺にとても興味があります。
2014-01-07 21:17:35@hmikann どうも私の印象では、一般的には、律令時代が封建的だったと思われている方が多いように感じるのですが、案外官位や良賤に関わらない決まりごとも多いと思います(´∇`*)。労働時間についても令に決まりごとがありますね。もっとも遵守の実際はどうだったのか…。
2014-01-07 21:39:27宮の中での労働環境はある程度決まりごとがはっきりしていますが、じゃあ諸国の公民が水田耕作意外どんな手仕事をしていたか、というのは、わかっているようでわからない部分も多いですね。
@hmikann 私はその辺り知識がなくてよく分かっていないのですが、貴族の邸宅を建てる大工さんや庭師、きらびやかな装束を織る女性たち、食器を作る職人等々のことをつい想像します。どんな生活水準の人たちがああいうものを作っていたのだろう?と。
2014-01-12 11:55:06@hmikann 貝合わせの貝一つとっても、どこの浜辺で採った貝なのか、漁師が片手間に採集するのか、貝を集める専門の人がいたのか、どんな人が貝に絵を描いていたのか…等々が、それを使っていた貴族よりも気になってしまいます。こつこつ働いて生きていた人たちの生活は興味を感じますね。
2014-01-12 11:58:58RT>こちらも昨日TLで拝見して、いろいろ連想が浮かんだ…のですが言葉にまとまらなかったなあ(´∇`;*)。
2014-01-13 09:49:03