《原発事故発生直後に、私に「降ってきた」覚悟》

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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は、原発事故発生後間もなく、 住まいを、故郷を、付近の全てを汚染されて、元に戻すことはできなくなった、 とかなり早目の時点で覚悟してしまった気がする。 それは、原発事故が発生する前になんとか原発を止めなくてはならない、と考えながら間に合わなかった、 私自身への罰であるようだった

2014-03-03 19:31:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

今思うと、それは3月11日から12日の中のどこかの時点であったのだと思う。 メルトダウンを公式に認めなくても、爆発映像が見えなくても、浪江町で空間線量が上がった、という報道に接したときだったように記憶する。 @karitoshi2011

2014-03-03 19:33:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発から10キロ以上はなれた地点で空間線量が上がるという事は、燃料損傷、つまりメルトダウン以外にはありえない。 「ごめん」と何度も口走った記憶がある。誰に対して、という事ではない。その時生きていた人たち全てと、これまで関わってきた人全てに、だった。 @karitoshi2011

2014-03-03 19:38:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私には、原発と原発事故に関して、知識を蓄積する機会があった。 チェルノブイリ原発事故の後、広河隆一氏の著作や写真などで、報告を見ることもできた。 知人が原発で被曝労働をしていた。認められない被曝で死んだ人の無念も聞いていた。自殺した人もいた。 @karitoshi2011

2014-03-03 19:41:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

他の人が得られなかった(または得ようとしなかった)情報を得て、 原発が日常的にどれだけ危険で、どれだけ時代遅れの代物で、どれだけ杜撰な管理をしていたか、私は理解していたつもりだった。実際の現場の人間には及ばないけど、わかってるつもりだった。 @karitoshi2011

2014-03-03 19:43:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

だけど、「つもり」だけだった。 何もできなかった。誰も助けられなかった。 事故発生直後、3月11日夕方に私を襲ったのは、緊急事態を迎えた緊張感だった。 その後、家族も寝静まった深夜から早朝にかけて。停電の中でラジオをつけっぱなしにして私も横になった。@karitoshi2011

2014-03-03 19:48:08
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その時。なぜか、こらえきれない感情の波が、私に押し寄せてきた。 間に合わなかった。 止められなかった。 防げなかった。 いずれ事故が起きると知っていたのに。 何もできなかった。 敗北感が、私を打ちのめした。 その時、多分私は覚悟したのだろう。 @karitoshi2011

2014-03-03 19:51:52