- damian16002000
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震災の日、劇場の仕事をしていた。リハーサル中の出演者の方々を避難させ、帰れない方は楽屋に宿泊してもらった。帰宅困難者のために劇場ロビーとトイレを夜通し開放しおにぎりを作って届けた。あの前進座劇場も今はもうない。
2014-03-11 03:34:41あの日娘は合唱コンクールで市民会館にいた。午前中、私も参加していた。カメラの三脚の足を2階の客席手すりから出して撮影している人がいて「もし今地震が起きたらカメラごと下に落ちて危ないなぁ」と思っていた。 その2時間後、あの地震が起きた。
2014-03-11 03:41:17夕方になっても娘は帰らない。学校も会館も電話は通じない。テレビでは九段会館の天井が落ちて犠牲者が出ているニュース。仕事場を離れる事も出来ず、ひたすら娘の無事を祈った。7時頃やっと帰ってきた娘の姿を見た時は思わず娘を抱き締めて泣いた。
2014-03-11 03:47:03津波のニュース映像を見た時、これは現実なのかと足が震えた。余震が起きるたび泣きじゃくる娘を抱き締めながら「大丈夫だよ」と言い聞かせた。
2014-03-11 03:51:42そして、3月12日午後3時36分。東京電力福島原発が爆発した。 職場のテレビでこの映像を見た時、どうか夢であって欲しいと願った。
2014-03-11 03:58:41テレビではACのコマーシャルばかりで、事故の様子も、被害の様子も全く分からなかった。 あのACのコマーシャルの音を聞くだけで今でも心臓がバクバクする。
2014-03-11 04:03:47Twitterの威力を知ったのはあの時だった。 ひたすら情報をかき集めた。 疲れた顔の枝野さんの会見、「直ちに健康に影響はない」の言葉。 絶対にそんなはずはないと思った。 ラジオを枕元に起き、何日も眠れない夜が続いた。
2014-03-11 04:11:22娘の前では明るく努めていたけど内心不安だらけだった。暗い部屋でテレビの明かりだけでご飯を食べる練習をした。 今から思えば計画停電など必要なかったのに。
2014-03-11 04:15:56私の周りから音楽や明るいもの、楽しいものが消えていった。 朝起きた瞬間だけ震災や原発事故の事を忘れていて、直ぐに現実を思い出し、暗い気持ちになった。外はこんなに明るくて鳥が気持ち良さそうに鳴いているのに原発は爆発してしまったんだ。
2014-03-11 04:20:55何日目かの朝、凄く久しぶりにラジオから音楽が流れた。「ラジオ体操の歌」だった。「新しい朝が来た。希望の朝だ…」こんな古くさい何てことない曲なのに、なぜか涙が溢れた。
2014-03-11 04:25:11あれから3年経った今でも仮設住宅に住んでいる方が26万人もいる。汚染で自宅に帰れない人が14万人もいる。 消息が分からない人が2000人以上いる。 どんな暮らしをされているのか。健康は、補償は、仕事は、心の傷は…。
2014-03-11 04:35:18