あるダンス作品から派生した「アートを評論する姿勢」についての論争。
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夏井氏@futodoki と武藤氏@muto_daisuke の論争に乗っかるみたいになるのもなんなんで静観していたが、終わったようだし、せっかく書いたものなのでアップしておこう。ただ武藤氏への批判のポイントが重なるのが面白い。まずは引用から。ダンス公演『斑』について。
2014-03-12 00:49:05足腰弱い発言と思ったのはどこ? RT @iwateita 武藤さんにとっての「ダンス」や「アート」をいくら披露されても構わないけれど、こういう場に書いて、真っ直ぐな議論を持ち込まれて困るような足腰の弱い発言はしないほうがいいのではと思いました。武藤さん、ダンス批評ってかいてあるし
2014-03-12 00:49:42こうしてみると、いかにアーティストが様々なことを考えて重ねているかわかる。しかも身体を使っての思考だから、地に足が着いている。
2014-03-12 00:52:05実を言えばオレは公演前日に地方講演の仕事があり、当日帰京してギリギリ間に合った。すまんがオレも正直うとうとした時もあったが(ほとんど、ってのは他の人だろう)「うっとりして眠りに誘われる舞台」というのもあるのでな。ただそれでもこの舞台の魅力は十分に伝わってきたし、その旨を書いた。
2014-03-12 00:54:01@iwateita はい、そこは正直言わせてもらう。これに3300円も払ってるのか自分、と思いました。何もわからなかった。電車賃を10円でも安くあげて移動してる観客のことをどれだけ考えているのだろうかと思った。(こういうこと普通言わないと思うけどこの際なので清々しく言います)
2014-03-12 00:54:28方法論としてはフォーサイスやナハリンがダンサーを自分の作品向けにフォーマット(自分のスタイルをダンサーに染みこませる)というものに近い。だがこれはカンパニーという安定した形式を取っていてさえ時間がかかるものだ。それを個人で岩渕のスタイルを、(続
2014-03-12 00:54:44しかもおそらく自分でも明確には言語化されていない=伝えにくいはずにも係わらず伝えている。だからほとんどが即興であっても、全体として岩渕が意図する作品として成り立つのである。
2014-03-12 00:55:39もちろんアーティストの言うことを全部鵜呑みにする必要はないし、オレも自分と違う評価をしたからといって否定するつもりもない。しかし武藤氏の作品を見る姿勢には、大いに疑問を感じた。
2014-03-12 00:56:05武藤氏は、まずこのダンスは「なにか原則があって動いている」のだと決めつけた上で見始め、その原則が見いだせないと(当たり前だ)「わからない」と切って捨て、もうそれ以上は思考停止で作品を理解する努力を放棄し、客席観察した結果を得意げに報告する始末。薄っぺらい。いったい何しに来てんだ?
2014-03-12 00:57:15ある種の研究者にありがちだが、何事も自分の研究分野に引き付けてしか見られない人がいる。口癖は「○○は××であるべき」。研究者とはそういうものだともいえるが、アーティストが想定外の表現に挑戦したとき受け止めきれず、やたら否定に走りがちだ。
2014-03-12 00:57:36オレは以前こう書いた。:ダンスという本能に根ざしたアートの広大無辺さを考えれば、「いまのダンスは……」などと慨嘆してみせる「慨嘆厨」が、いかにジャンルというものに囚われているか、自ら語るに落ちているかがわかろうというものだ。
2014-03-12 00:57:53土砂降りの中にタライを置いて「この中に入ったものが雨なんだ!」と叫んでいる姿にも似た滑稽さである。しかし本人は気づかない。なぜならタライの中に入っているのもまた雨であることに違いはないからだ。そしてその狭量な「正しさ」が、ますます周りの土砂降りを見えなくさせる。
2014-03-12 00:58:14岩田さん、初めまして。武藤さんへのご意見、私も全く同じ思いです。ありがとうございます。 @iwateita: @futodoki @muto_daisuke
2014-03-12 00:59:25@muto_daisuke すみません。足腰については「発言」ではなく「態度」ですね。作品がつまらなくても全然構わないんです。書くのも構いません。武藤さんにとっての強固な「ダンス」の定義にあわないとこれは「ダンス」じゃないというのはぼくにとって貧しくなっていく感覚だなと思いました
2014-03-12 01:02:57もういいや、といったんは思ったのですが、ご意見を頂いたので岩田さんのご意見に乗っかる形で。まず、武藤さんは二度、意味のすり替えを試みておられます。「日常に飽きていないものはインチキなのだ」を反論されたあと、最初は「日常に飽きるというのはこういう意味です」と。
2014-03-12 01:03:48武藤さんは「日常に飽きていない者」は「日常生活に根差した創造的活動に飽きる所まで行ってもいない者」のことですと説明された。それ自体ぶっ飛びの説明なのですが、それで「飽きていないのはインチキなのだ」の言葉が意味をもつかというとそうはならなかったですね。それで二度目のすり替え。
2014-03-12 01:06:00で、「インチキとはこういう意味です」という説明として、「芸術が生活と切り離された聖域=制度として硬直化すれば、不毛な活動も何か価値ある創造的行為であるかのように反復される。そこに胡坐をかくのは欺瞞だと言いたかった」と説明されました。
2014-03-12 01:08:10「日常に飽きていないのはインチキなのだ」はA=Bという定義文ですけれども、この場合、AもBも、普通の人には全くそうと理解できないような文脈で使われていたことになります。さらに、説明された二つの語義説明を代入した場合、理解できるか。同意できるか。これは全く繋がらないですね。
2014-03-12 01:10:54