「シェークスピアの戯曲を一貫した目的を持って完成されたポリフォニーであるとみなすことは、次のような意味で不可能であると思われる。その理由は第一に、劇というものがその本性からして、本当の意味のポリフォニーとは異質なものであるということだ。(続く)
2014-03-20 01:33:50(続き)劇は多次元的ではあり得ても、多世界的ではあり得ない。すなわちただ一つの計量システムを許容するばかりで、複数のそれを許容できないのである」(ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』)
2014-03-20 01:35:31今日見た地点には『悪霊』なのに猥雑さが限りなく薄く残念。 RT @shinorev おおっと!お好みに合いますように♪ 私の感想:http://t.co/9r58jTut7n … RT @shinorev のおすすめにしたがって、東京芸術劇場のサンプルいくことにした。今週末まで。
2014-03-20 22:54:52上品に性(倫理ではなく美学的な)のモチーフを組み込んでいく術は難しい。地点の『悪霊』ではそれは完全に回避されていたな。まあ、地点にそれを求めるのは方向性が違うが。
2014-03-20 23:00:30土曜日の「演劇の人たちとだべる会」は、ロシア・ウクライナ情勢が激動するさなか、ロシア文学者の上田洋子さんをお招きし、ボルシチや黒パンを食べながらドストエフスキー原作の劇について語り、日露戦争を題材にしたボードゲームで遊ぶ会になりそうですhttp://t.co/J4UDWMEdUc
2014-03-18 22:07:39ドストエフスキーの長編小説を日本で舞台に上げることについて、重要な意見交換ぎできた。対話の不可能性がありふれた身体的格闘の身振りで示されているのは発見。実際、暴力は言葉が機能しなくなったときに現れることがよくある。#演劇人とだべる会
2014-03-22 23:08:06だべる会に出席すると、「演劇やってる人」の自意識を強化せざるをえなくなるベクトルと、逆に演劇から思い切り遠ざかろうとするベクトルと、二つの方向に引き裂かれてしまった(引き裂かれつつある)自分を感じる、毎回その実感を土産として持ち帰っている気がする。 #演劇人とだべる会
2014-03-23 06:53:50地点の『悪霊』。22日にだべる会にも参加したんだけれども、やっぱり好評価している人たちの論拠がまったく分からない。なんか話題だしみんな褒めてる感じだから褒めること前提で始まってるように思う。
2014-03-24 19:46:21そういう「空気」みたいなのから自らを引きはがして観劇している人がほんとに少ないんだな、と思った。これ結構、ヤバい感あるんだけど。何故かというと、そういうった批評的な観点のなさこそが問われなければいけないと思うから。
2014-03-24 19:46:46批評的な観点から思考をつむぎだすことが、演劇の受容者、演劇業界においても壊滅的な状態なのではないか。僕が今回観た劇とその反応を眺めて得たのは、そのような問いです。
2014-03-24 19:47:08少なくとも褒めている人たちは、どの部分が何故評価するべきなのかきちんと示してほしい。作品の分析と評価がリンクしているようにはとてもみえません。
2014-03-24 19:47:25ワクテカさんと途中までお話した一般化と現代日本に対する批評性に対する疑問をずっと考えている。 僕はあの劇の批評可能性に疑いがあるので、ドストエフスキーファンとしての感想しか抱けなかった。 その感想には批評的価値は無く、その価値性についてワクテカさんは突っ込んでくれた。
2014-03-24 19:59:17あの劇の演出的、解釈的単純さがドストエフスキーに対する批評になっているように見えるのだけれど、それは日本という窓から見えるロシア/ドストエフスキーで、そこには批評的価値があるのか、日本に対する批評として本当に機能しているのか、ということが引っかかった。
2014-03-24 20:05:22「複雑でドストエフスキー的な演出ができたから良い」という感想では意味がないというのはまったくその通りな一方、あの劇に日本的問題点やロシア的問題点を導き出すこともいくらでもできるので意味があるのか分かりません。それは、私に演劇リテラシーが不足しているせいな気がするので勉強じす。
2014-03-24 20:08:00総論と各論が混雑してしまっている感はありましたね。もしかしたら交通整理が必要だったかなと思う瞬間もあり、反省してます。(ただハードな議論ではなく「だべる」ことの軽さみたいなものはあの会の大事なスタンスだと(個人的には)思っています)@insiderivers:地点の『悪霊』~
2014-03-24 21:09:51