パリオペラ座 ステファン・ビュリヨン(ビュリオン)、エトワール任命後のインタビュー日本語訳
ステファン・ビュリヨン(ビュリオン)、エトワール任命後のインタビュー(2010年、30歳の時)を3分の2ほど訳しました。 元記事はこれです。 http://t.co/pCfb5iGyij
2014-03-19 23:27:00仏語→(google翻訳)→英語→日本語 なので、意味が通じなかったらすみません、間違っていたらご指摘お願いしますm(_ _)m
2014-03-19 23:27:44【前半」
(リンク先と同じです。)
①ResMusica : ダンスへの情熱は何がきっかけでしたか?
生まれ持ってのものというよりは、出会ったんです。母が兄と私にダンスを勧めたんですが、兄は拒否したけど、私は受け入れたんです。
ダンスへの興味は明らかで、すぐに夢中になりました。最初に入っていたコースでは満足できなかったので、学校を変えてもらうよう、頼みました。
プロのダンサーとして仕事をしていたGilles Brainasのコースに入りました。
それから、Reneという良い教授に出会い、その二人に出会ったことが決定的になりました。その二人は仕事への愛を教え込み、スタジオ過ごす時間を愛することを、私に教えてくれました。
オペラ座バレエ学校に入ってからは3年過ごし、Lucien Duthoit先生 は、ダンスは職業になりうることを気が付かせてくれました。この先生の教授法が特に好きで、ユーモアのある先生だったので、私もそのセンスを身に付けました。
ダンサーはそのキャリアの間に、様々な出会いによって、成長したり培われたりするものだといつも思っています。
ダンスだけでなく、それが以外の時でも、沢山の人が私の成長の様々な段階で寄与してくれました。
成長をさせてもらった人達みんなに感謝したいです。その人達のリストです!
完結に言うと、Brigitte Lefevre, Roland Petit (モレル役のときに、私の疑問にいくつか答えをくれました。),Laurent Hilaire, Agnes Letestu, Nicolas Le Riche, José Martinez, Manuel Legris (彼のグループ公演に呼んでもらって海外で踊ることが出来ました)Herve Moreau , Nicolas Paul (彼に作品を振付けてもらいました)。
それと、メートル・ド・バレエのPatrice Bart, Thesmar Ghislaine, Pierre Lacotte, Clotilde Vayer
リストが長いのは、アーティストとしての自分を確立するためにたくさんの人に助けられたからです。
② RM:振付や役の習得はうまくいっていますか?疑念を持ったことはありませんでしたか?
今でさえ、その疑念に悩まされています。それは幸せの瞬間のためですが、疑念の瞬間は必要なことなのです。
その疑念は私達を惑わす恐怖の証拠になりますが、他の人達を失望させる恐怖にもなりえます。
バレエ学校時代には、不確かな瞬間がたくさんあります。特に、思春期の間は、もはや自分をコントロールできなくなります。
それは必要な過程です。バレエ学校の舞台(The Knight and the Maiden ; Western Symphony ). いい配役をもらえるチャンスがあったとしても、その困難な時期の間に、いつか自分がその仕事に就けるだろうかと不安に思います。
その不確かさは、第一学年(最上級生)の間に増幅します。オペラ座の群舞に入ることが当然と思われている、極めて重要な年です。
私はバレエ団に入れる能力があるかどうか疑問でした。自分が十分に早く進歩していないと思っていたし、自分の心にないことは出来ないと思っていました。
私は自分のクラスの中で最年少でしたし
(ステファン・ビュリヨンは第4学年に15日在籍しただけで、第3学年に配属された。)
必ずしも一番上達していませんでした。
仲間では特に、並はずれて才能があったマルセロ・ゴメス(ABTのプリンシパル)を思い出します。
Julien Meyzindi (オペラ座のスジェ この動画の子http://www.dailymotion.com/video/xic364_maitre-peretti-claude-bessi-julien-meyzindi-et-stephane-bullion_creation)も才能のあるクラスメートでした。
もし自分がオペラ座に入れなかったら、他のバレエ団に入ろうと申し込んでいました。そして17歳の時についに入団できたのです。まだ自分の好きなように早く動けないと感じていたし、事実そうだったので、入団できても、自分の疑念を払拭できませんでした。
③RM : 2003-2004年のシーズンは、あなたのキャリアにとって重要なターニング・ポイントになりましたね。まだスジェの時に、グロコーヴィチの有名なバレエ、『イワン雷帝』の主役に抜擢されました。その経験で何か思い出はありますか?
『イワン雷帝』を作る時、私の役は特に自分にとって重要なステップでした。まず最初に自分の肩に載っているバレエの重みを感じました。
この強力で可能性のある役によって、自分がパフォーマーであると証明できることが許されました。
どうにかして控えめな態度やシャイさを克服しました。
自分の中にこんなに激情や暴力性、ロマンスがあるなんて思っても見ませんでした。
その強力さや複雑さという感情を舞台で表現できるとは思っていませんでした。
この役を演じることで、私の芸術的な旅において、本当の切っ掛けを掴みました。
④RM :2010年の6月、『ラ・バヤデール』の公演の後に、エトワールに任命されました。この神格化をどう生き抜いていますか?周囲の視線は変わりましたか?
「神格化」ということばは好きではありません。この任命は新たな始まりという表現のほうが良いです。
エトワールに任命されたことは、私にとっては全く持って驚きでした。
ソリストであることでも、すでに私にはとても素晴らしいことでした。プリミエとエトワールのランクの境界は小さいです。今はその称号を誇りに思うべきだし、その新しい責任に値すべきダンサーでなければいけないと思っています。
エトワールは、プリミエールダンサーとしての私の責任とは、違う責任があります。私はたくさん踊ったし、疲れるペースだけど、たぶん役に立っているし、楽しいです。
公演を依頼されたり、幾つかのプロジェクトに同時に準備するのはとても楽しいです。
私には証明することはなく、私の目標は、ベストと尽くして公演を確実にこなすことです。
任命で態度を変える必要はありません。
今『輝夜姫』を踊っていますが、特にプレッシャーは感じません。エトワールになったことで、色々な役にもっと没頭でき、色々な側面を研究できたらいいと思っています。
エトワールになったことと舞台上での仕事は、ダンサーとしての契約です。
この任命により、私はリスクを取ることが出来るようになりました。
もっと踊って正しい選択をすれば、より良いアーティストになれると思います。
他の人と比べて、幸運にも私の調子はそれほど変わりません。私は昨日と同じだし明日も同じでしょう。
エトワールという用語が私に使われるようになったからではなく、
任命によって私がより優れたダンサーになったとか、誰かが悪くなったということではありません。
確かなことが一つあります。
舞台にたつのは、私がエトワールであることを証明するためではありません。
観客に敬意を払って公演で出来る限りベストを尽くすことです。
確かにエトワールは前に出る必要はあります。それによってより賞賛されるようになりますが、その分批判もあります。
だからといって、『バヤデール』で32人の精霊たちがいないのは考えられません。
それと同じことが他のバレエ作品でも言えます。
シーズンを通して重用されるダンサー達より、群舞の仕事の方が大変です。
~後半に続く~
「後半】
(リンク先と同じです)
①RM : 自分の身体をどう捉えていますか?
少なくとも、身体が自分の邪魔しない時や痛めつけない時は、調和した関係です。身体には特に問題はありません。
それよりも、鏡に映った自分のイメージが厄介です。
たとえその不満がダンサーにとってはとても普通のことでも、そのイメージは必ずしも喜ばしいことではありません。
毎日バーに掴まって練習ができたからという理由ではないことを知っているので、自分の身体に敏感になって、気を使うようにしています。
程度に関わらず、他のダンサー達のように、怪我や事故を経験したので、沢山仕事ができる身体と持てたことがなんて幸運なんだろうと気が付いています。
結局のところは、自分の身体の声を聞くけど、聞きすぎない、ということだと思います。
②RM : Attilio Labis(元オペラ座エトワールで、 今はオペラ座の教師)は「私達は毎日王子にはなれないのに、観客は毎晩王子を必要としている)」と言いました。
でも、アーティストが舞台に一足踏み入れた瞬間から、もはや同じ人間ではない、という観点においては、その点は正しいです。
私達がダンサーとしてできることは、演じる役を信じることしかありません。
私の場合、その魔力は舞台に立った時に最大限に発揮されます。スタジオでの準備が完璧でも、そのステージで目一杯の強さを手に入れられないこともあります。
リハーサルの時には否応なく鏡の映った自分の姿に捕らわれ、確かに、ある種の謙虚さがその芸術的な勝負を邪魔します
(鏡を見て自信がなくなる、ということでしょうか)。
③RM : ダンスは絶え間なく美を喚起します。あなたと芸術との関わりはどういったものですか?
とりあえず、ダンスは永遠に美を喚起するものだと考えたことはないです。
良く考えてみると、悲劇や厳格さ、普通のことにさえ、美は存在しえます。
例えば、マッツ・エク振付の役の退屈なジェスチャーを見たときでさえも、そこには美がある。
その才能はジェスチャーの一振り一振りを誇張させ、魅惑的で美しくさせます。
質問に戻ると、イメージが誇張されているんです。
『イワン雷帝』の役の準備では、Cyril Atanassof やシャルル・ジュド、Yuri Vladimirov等過去のダンサーの古い写真やに触発されました。
文学も、その役に没頭できるのを助けてくれます。
読書が大好きで、役を勉強できたり、情報を集められるのが楽しみです。
同じように、音楽家の仕事の重要性は、私の仕事の中では重要な要因で、ボーカル・コーチは私をとても助けてくれました。
音楽家とダンサーは、公演の魔法に一緒に貢献しています。
ですから、できるだけカーテンコールの時にオーケストラを紹介するようにしています。
④RM :ダンス以外では、どんなことに興味がありますか?
写真を撮ることにとても情熱を持っています。
独学で学びました。間違っていても、自分で学ぶのが好きなんです! 風景や野生生物、都市や、自分が好きな人達や知らない人達の肖像写真、旅行の写真撮るのが大好きです。
動物を撮る時、待ち時間や、思いがけない瞬間が存在する感覚が大好きです。いい写真と撮るためには、すっごく忍耐強くなれるんですよ。自分が求めている写真に対して、被写体ができることやできないことの間の、妥協の概念が好きなんです。
山羊を強風の中で撮っていたことを特に思い出します。それは魔法の瞬間でした。
写真撮影は、特に、パートナーと美しい瞬間を分かち合う理由にもなります。例えば、ボツワナに行きました。
広大なビクトリア滝で彼女と過ごしたことが思い出されます。
野生動物や広大な自然と撮ることで、自然の中に身を置くことができ、広大な自然を前にして、自分自身がとても小さく感じられました。
⑤RM : 将来に何を望んでいますか?
私と家族の健康です。それは欠かせません。それと、エトワールの称号に相応しい踊りをすることです。そして、素晴らしい公演を作り続けること。
<訳者補足:彼は2003年(23歳ごろ)に精巣ガンだと分かり、それを克服した話をしています。
http://blog.oncovia.fr/stephane-bullion-danseur-etoile-a-lopera-national-de-paris-vivre-normalement-pour-moi-cetait-danser/#.UymoP_l_vTo>
⑥RM : 秋には何を踊りますか?(*2010年の話です)
’ローラン・プティの夕べ’で、『若者と死』と、『狼』と踊ります。
「若者と死」はずっと踊りたかったバレエです。この役で、あのとても特別な世界に没頭するのが待ちきれないです。
ピエール・ラコット版「パキータ」でも踊ります。まだスケジュールは決まっていないけど、すぐにわかるでしょう。
『白鳥の湖』のロットバルトや、『ロミオとジュリエット』のティボルト役など、沢山の役をやることは、欲求を刺激されます。
⑦RM : 最後に、ステファン・ビュリオンを定義づけている鍵は?
私にとっては、自分の性質は、欠点にもなり得ます。
最初に言ったように、不誠実に何かをするなら、何もしない方が良い。
作り笑顔をするなら笑わない方が良い。
その特徴は、私を冷たくて他人行儀な人間だと思われるかも知れないけど、話したら、むしろ内向的でシャイな人間だと思うかと思います!
要するに、舞台の上では自分自身であって、自分自身の経験と感情で舞台に立っているということです。
私はできるだけ正直で偽りのない人間であろうと心がけています。
観客に、嘘をついたり何かを見せかけたりしたことは一度もありません。
カデル・ベルラビが私にアドバイスするをする時に、とてもいい褒め言葉を貰いました。
「そのままで、寛容のままでいなさい。」
正直にいることと、中途半端に何かをしないことが私の一番の特性だと思います。
~終わり~