飯田和敏さんの45年

@iidakazutoshi さんがこれまでを振りかえっています。 「というわけでkakexun応援よろしくです。目標達成出来ればwarp2が本格稼働出来ます!」 関連リンク:飯野賢治企画・原案のゲーム KAKEXUN(カケズン)制作プロジェクト 続きを読む
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飯田和敏 @iidakazutoshi

【モンケン】ゲーム作家飯田和敏の、ある意味核心に触れる内容になってお嘆きのあなたへ!・・・これに関しの話です。 ガンダムそんなやつらとツルンでちゃ!よろしくお願いします! アッソーレ!http://t.co/o9T0gCtkGh #劣化コピー 

2014-03-25 08:17:19
飯田和敏 @iidakazutoshi

ところで飯田ってなんなのよ?的なもんに応えるために今週のkakexun放送では「飯田和敏大解剖」をやる予定。飯田和敏45年の栄光と挫折の総決算、年度末だし。そしてプラマイ0人生の行方は?

2014-03-25 14:02:00
飯田和敏 @iidakazutoshi

1968年東京の阿佐ヶ谷で生まれ都内を転々。小学生の時に千葉県船橋市に。ここでスペースインベーダーブームに触れる。コンピューターとゲームやばい!近所の大学の寮で遊ぶようになり大学生たちからフォークとかロックなどを教わる。

2014-03-25 14:06:19
飯田和敏 @iidakazutoshi

図書館に通い映画雑誌に載ってたスチール写真でヌードばっかり眺める。キャンディーズのファンになりお小遣いではじめてのレコード購入。後楽園球場の解散コンサート3枚組。ファンが歌うキャンディーズ賛歌のトラックに「!?」となる。

2014-03-25 14:09:55
飯田和敏 @iidakazutoshi

船橋市は田んぼを埋め立てて宅地造成、なーんもなかったのに1年とかでドンドン住宅が増える。この原風景がのちの「シムシティー」激ハマりに影響を与えているはず。

2014-03-25 14:12:11
飯田和敏 @iidakazutoshi

そんで雑誌、宝島とビックリハウスとガロを読みまくる日々。ラジオで聴いたスターリンによってパンクに開眼!(スターリンの根っ子にあるフォークをキャッチしていた)

2014-03-25 14:14:03
飯田和敏 @iidakazutoshi

高校時代にバロック音楽とパンクロックのミクスチャー「腐敗屍體」を結成。千葉県を中心にライブ。時々、渋谷ラママまで遠征。時はインディーズブーム!ラフィンノーズ、有頂天、ウィラードなどが世を騒がす。この時はゲームのことすっかり忘れてる。

2014-03-25 14:20:23
飯田和敏 @iidakazutoshi

課外活動があまりにも忙しく高校はサボりまくり。大井武蔵野館という3本立ての名画座に通い「幻の湖」や「恐怖奇形人間」などを観まくる。モヒカン刈りでバイトに行ったら速攻クビ。ベッカムはまだ登場してない。

2014-03-25 14:24:25
飯田和敏 @iidakazutoshi

中野のレコード屋と神保町のジャニスによく行った。弟がファミコンマニアだったのでファミコンゲームは一通りやっていた。が、千葉のパンクロックシーンはマッチョなトコがありとてもゲームしてるとは言い出しにくい雰囲気。。。

2014-03-25 14:27:06
飯田和敏 @iidakazutoshi

おニャン子クラブの大ブーム。バブル前夜の浮かれた気分にはとても馴染めず劇画!劇画!劇画!8ミリで学校が消滅する映画を作ってた。スチール写真を切り刻みながらのアニメーション。

2014-03-25 14:29:33
飯田和敏 @iidakazutoshi

高校を卒業してから美術予備校に通い美大を目指す。画家になろうとしてたみたい(?)

2014-03-25 14:31:14
飯田和敏 @iidakazutoshi

2浪して多摩美に。浪人時代のオカネは新聞配達や奨学金で自分で出してた!そういうとこ偉いw

2014-03-25 14:33:01
飯田和敏 @iidakazutoshi

美術大学に入ったらもう素朴に絵を描くみたいな時代じゃなかった!現代美術しなきゃいかんムード。衝動から離れ、「如何に絵を描かずに在れるか」という不思議な世界。そこにマッキントッシュが大登場!

2014-03-25 14:35:21
飯田和敏 @iidakazutoshi

デザイン科にマッキントッシュが大量導入されたので、夜中教室に忍び込みペイントソフト(マックペイントかなー?)で夜な夜な、四角形や三角形や円を大量に描いてぽーってなってた。

2014-03-25 14:38:29
飯田和敏 @iidakazutoshi

オデンみたいな絵を描き続ける日々! これはぉうパソコン欲しいわー。ずーーーとオデン描いていたいわー、となる。しかし当時は100万円とかする。うーむ、そうだ!バイトだ!で、マルチメディアソフトの制作会社で仕事をする。オカネもらいながらパソコンの勉強も出来る黄金期!

2014-03-25 14:42:02
飯田和敏 @iidakazutoshi

休みの日はスーパーファミコンの「ドラッケン」をずーーーとやってた。なんでオレは他人の背中を観続けているのかナゾを感じながら。pcエンジンも買い「R-type」やりまくり。あと「スプラッターハウス」も大好きだった。

2014-03-25 14:45:08
飯田和敏 @iidakazutoshi

新聞社主催の美術展のバイトも楽しかったわー。毎日ドラクロワのホンモノの絵を眺める贅沢!しかもカネがもらえる!そんな日々に宮崎勤事件が起こるのであったー。

2014-03-25 14:47:48
飯田和敏 @iidakazutoshi

とにかく「イマダユウコ」の手紙が恐ろしかった。1度テトリスを始めると終わらない状態になったのもこの時期。その時感じた全能感がぼくにとってのビデオゲームの快楽の全て。石原恒和さんのテトリス本も最高だった。

2014-03-25 14:51:53
飯田和敏 @iidakazutoshi

いやーこうなったらもうゲーム作るしかないなーとなって、ゲームの会社でバイトはじめた。pcエンジンCDロムロムの「ロードス島戦記」「yawawara!」「コブラ」などをドット絵にする仕事。自分が描いた絵が動いて、音声を発して、プレイ出来るってスゲー楽しい!スゲー楽しい!

2014-03-25 14:54:57
飯田和敏 @iidakazutoshi

大学4年生の時、電通と任天堂がやっていたゲームセミナーに通う。そこで宮本茂さんに企画のダメ出しをされてシビれた!これ一生の仕事にすると決意。帰り道はボアダムズのPOPタタリ。血がたぎってた。(おしまい)

2014-03-25 14:58:26
飯田和敏 @iidakazutoshi

任天堂電通ゲームセミナーの先輩にニコニコ学会βの江渡さんがいて(当時から天才と言われていた!)、同級生には今井トゥーンズさんがいた。当時から今井さんはメチャクチャ絵が上手かった。ぼくはその時まだ飯野賢治の存在を知らない。

2014-03-25 15:06:17
飯田和敏 @iidakazutoshi

そうだそうだ、その頃は四つ打ちのテクノに夢中でロックをあまり聴かなくなってたけど(ボアダムズ以外w)、ストーンローゼスとプライマルスクリームとマイブラディバレンタインでまた聴くようになった。で、グランジブームがキテ、んがー!となった。

2014-03-25 15:11:21
飯田和敏 @iidakazutoshi

で、ゲームフリークと佐藤大さんの「パルスマン」などがあり、この道はそんなに間違ってないと確信した。KLFとthe orbのアンビエントテクノにハマり、それが「アクアノートの休日」に繋がっていくのだ!

2014-03-25 15:14:36
飯田和敏 @iidakazutoshi

「アクアノートの休日」はプレイステーションが100万台を達成し200万台目指してる渦中にの時に20万本売れたという......、マジか!? 「アクアノート」アメリカ版の発売を後押ししてくれたのが内海さん。内海さんは後に、水口哲也さんと一緒にQエンタテインメントをはじめる。

2014-03-25 15:18:47
飯田和敏 @iidakazutoshi

飯野賢治と最初にあったのはこのあたり。「ゲーム批評」の対談だっただろうか。なんか知らんが対決ムードだったと思う。で、こういう成り行きを話したら一気に打ち解けた。「アクアノート」が環境ビデオの亜種からの発想だったら許さねー的なあれですよね。

2014-03-25 15:23:34