永井均講演@哲学道場駒込
@moshippp 様々な側面があると思う。法律とか経済とか宗教とか。法的、経済的な側面から見てみると、男と女の同盟条約、二人の子供に確実に相続させるための保障、そういったことが私の思いつくところかな。
2010-10-31 10:34:16自由意志の話に戻る。自由とはどういう自由なのだろうか? 意識が物理的な制約を受けない形で在ることだろうか。自由意志をもっているということが、自分が原因となって行うことができるということだとして、自分が原因になるって何だ?
2010-10-31 10:46:27原因という言葉が出た時だったか、因果とは何だという話があった。因果というと法則性があるように感じてしまうけれど、元々、因果すなわち原因があって結果があるということと、そのことに法則性があるのは別の話だ。
2010-10-31 10:51:11科学的に物事を考える時には因果には必ず法則性があるという態度があるんじゃないか、だから現代の私たちは因果というと法則も一緒に考えてしまうのではないか、そういう意見があって、そうかもしれないと思った。
2010-10-31 10:52:59その話の時に、クワス算のことを思い出していた。例えば、ある数列、2,4,6,8,10,?,14,16,18……という数列があるとして、クエスチョンマーク部分に想定されるのは普通は12だけど、この部分だけ65になる、そういう規則を言うこともできるということ。
2010-10-31 11:03:10因果ゾンビという言葉がある(劇場版ドラえもんに出てくるギガゾンビをちょっと思い出した)。因果ゾンビの世界では全てが偶然である。普通の世界と因果ゾンビの世界があって全く同じ出来事が起きていたらどちらの世界が因果ゾンビなのかはわからない。
2010-10-31 11:07:26ひとまず昨日のメモはこんなところで。手書きのノートから特に気になる所を抜粋しつつ、ここに書きながら思ったことなども書いていきました。
2010-10-31 11:25:35@daidozi_koromo あ、そうなんですね。ちなみに心身問題はどういうところに興味が? 東洋哲学は中国哲学に興味がありますねー。インド哲学にも興味があるんですがなかなか手に入りづらい……。
2010-10-31 12:22:55@shoji_arisawa 仮に脳の働きによって意識が出来るとして(それ自体疑いがありますがさておき)、脳という物体から意識が出てくるのが謎です。そこら辺の石ころには意識はあるのかどうか。色々な話に派生していきますけど、最初の疑問としてはそんなところだと思います。
2010-10-31 13:08:50@shoji_arisawa 中国哲学というと諸子百家の頃の? 禅宗や浄土教も中国から出たものだと思います。あと陽明学とかですかね。
2010-10-31 13:24:30@shoji_arisawa 意識の起源もありますし、その、他人の心が存在するとなぜ言えるのか、ということにも関心があります。これは主観が他人にもあると言えるのはなぜかという問いに読み替えても問題ないですか?
2010-10-31 14:34:07言語によらなければ思考はできないのだろうか。言語抜きでの思考は本当にできないの?という疑問はまだ私の中では解決していない。言葉によって思考が分別されて意味がわかるようになるとして、分別される前の思考っていうのもあるんじゃないかって。
2010-10-31 15:41:32ちょうど「言語抜きで考えられないかなあ……」となんとなく思っていたところに、デイヴィドソンの「他者による発話の解釈者でない限り、生き物は思考を持ちえない」という言葉にぶつかって。
2010-10-31 15:44:47RT @daidozi_koromo: 言語によらなければ思考はできないのだろうか。言語抜きでの思考は本当にできないの?という疑問はまだ私の中では解決していない。言葉によって思考が分別されて意味がわかるようになるとして、分別される前の思考っていうのもあるんじゃないかって。
2010-10-31 15:44:51@daidozi_koromo 面白いですね。意識の起源とかは私もすごく関心のあるところです。シンボルをどう見るか、言語(ランガージュ)をどう定義するかにもよるかと思いますが。
2010-10-31 15:49:10@Abraxas_Aeon そうですね、言語をどう定義するか。意識できるものの中の線引きと、意識と無意識の線引きがあるのかな、と少し考えてみました。
2010-10-31 15:58:58考えがパッと浮かんでくるなんてことはよくあるけれど、浮かんでくる前にその考えはどこにあったんだろうね。私の意識のスクリーンには映らないけど、どこかでつくられていたのかな。
2010-10-31 16:01:17@daidozi_koromo たとえば意識と無意識で言えば、「秩序だてられた言語構造」とそれ以前の、構造を持たない言語という感じでしょうか。この場合だと言語抜きというより、秩序以前の思考もまた言語ということになりますが、「分別される前の思考」ということにはなるかもしれません。
2010-10-31 16:10:37@Abraxas_Aeon なるほど、そう言うこともできますね。今の私を例にとると、秩序だてられた言語構造による思考、言い換えると分別された思考、これになって初めて、認識することができると感じています。
2010-10-31 16:20:16分別される前の思考って、意識の中にもなんとなくあるように感じなくもないけど、別に感じていない気もするな。コンピュータだったらディスクを読み込み始める感じ、そういうのはあるというかないというか。
2010-10-31 16:24:31考えている時に身体が動く、と言っても、これは脳内のやり取りがあるという程度のことだけど、その動きの感じを意識が受信するならば、それは痛いとか痒いと同レベルのことなんだけれど、これが分別されていないけど何か考えている感じなのだ、と私が理解することもあるかもしれない。
2010-10-31 16:31:37