2014/4/2 #DOMMUNE 爆クラ 第31回 『冨田勲ダイヴ ~スケールと官能の音楽』発言まとめ

冨田勲先生の発言を中心にできるだけ正確に書き起こしました。 2014/4/2 「爆クラ(爆音クラシック)第31回 x DOMMUNE!!」 『冨田勲ダイヴ ~スケールと官能の音楽』 出演:冨田勲 司会:湯山玲子 主催者:宇川直宏 続きを読む
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音楽大学ではなく慶應大に行った話

itmofnw @itmofnw

湯山「慶應高校で同級生に林光さんや小森昭宏さんがいらしたとき、作曲家を志したが音楽大学ではなく慶應大学に進まれたのは」冨田「音楽学校へ行くことも考えたが、当時の御三家(藝大、武蔵野、国立)は願書を出すときに調べたら、ドイツ音楽一辺倒だった」#冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 22:55:56
itmofnw @itmofnw

冨田「ドイツ音楽じゃなきゃ音楽じゃない、音楽理論も和声学、対位法、学識論もドイツのが一番正しいんだと。日本の音楽なんか目もくれないよね、当時のあの先生方は。これは音楽学校行って理論だけ習ってもしょうがないなと思ってね。」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 22:59:35
itmofnw @itmofnw

「それで慶應大にそのまま行ってね。で、音楽青年みたいな奴がいっぱいいるわけですよ。その連中はジャズから現代音楽からクラシックから、俺が一番知ってるみたいな。そういう中にいた方が得られるものが大きいなと思ってね。居心地良かったし」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:02:44
itmofnw @itmofnw

→「腹の立つ奴もいっぱいいたけどね、僕もそのうちの一人かも知れないけれど(笑)で、つまらない授業になると教室の後ろの方に集まって音楽議論の声が大きくなって『お前ら何やってる!』と(笑)今思うと楽しかったなあ。その中にはインターネットみたいな奴がいて」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:05:54
itmofnw @itmofnw

「この楽譜、このレコードはどこ行ったら買えるか、そういうことを知ってる奴がいてね。そのままいた方が吸収できることが多いと思ったんでね。親父がやってる医者には全くなる気は無かったけどね、親には悪かったけど。」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:09:19
itmofnw @itmofnw

冨田「当時岡崎で医師会の会長やってて『息子さんは今なにを?』と聞かれると肩身が狭いわけですよ」湯山「歌舞音曲ですよ、当時は…」冨田「そしたら、大学入ってすぐに朝日新聞と全日本合唱連盟の課題曲コンクールに当選して、僕の名前が全国紙に出たんですよ」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:21:01
itmofnw @itmofnw

冨田「そりゃガラッと変わる。朝日新聞サマサマですよ。」湯山「当時はテレビの勃興期でテレビ、映画の需要でクラシック音楽が書ける人が引っ張りだこだった」冨田「当時は放送局も規模が小さくて、制作現場の人が表彰式に来ててつながりが持てた。運が良かったね」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:28:06
itmofnw @itmofnw

「それで(放送音楽の仕事を)やってみたら締め切りが大変でもう…。だから才能よりも体力ですね、本当に。へばっちゃったらそれで終わりですから。」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:30:07

「新日本紀行」テーマ曲

itmofnw @itmofnw

(「新日本紀行」)湯山「これは日本の高度成長期に農村や自然が破壊されていく鎮魂歌のように聴こえた」冨田「寂れゆく文化財というようなことが叫ばれてる頃でしたね。あと、あのリズムはSL、蒸気機関車の夜行列車のものでもあるんですね」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:40:51
itmofnw @itmofnw

「夜行列車は上りも下りも昼間よりも遅い一定のスピードで走ってた。寝ていると一定のリズムで聴こえるんです。それから村祭りも村の青年がみんな笛吹いたりして。そんなイメージで書いています」湯山「拍子木の音が田園風景に差し込みが入るようで、凄いなあと…」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:45:20
itmofnw @itmofnw

冨田「豊年の頃に村祭りで村の若い者が芝居をやりますよね。ところが舞台が転換するときにいつまでも幕が閉まってて始まらない。その時にチョーン、チョーンと拍子木が『もうすぐ始まるよ』と期待をかけさせるような音で鳴る。で、その音をどう録音しようかと。」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:50:31
itmofnw @itmofnw

「お父さん(湯山昭)ご存知だと思うんだけど、内幸町(のNHK放送会館)の狭いスタジオで、今のようなデジタルリバーブも無いし、拍子木を鳴らすとコツンと響かないので味も素っ気もない。そこで非常階段の踊り場で手を叩いたら音がタァーンと伸びるんですよ」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-04 23:59:20
itmofnw @itmofnw

「これだと思って、拍子木の部分だけマイクのアウトをそこまで引っ張って、スピーカーも鳴らして、3階辺りにマイクを吊るして。それでスタジオのミキサーに入れた。当時はそんな(リバーブの)技術なんて無かったから『あれはどうやって録ったんだ』と言われてね」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 00:11:25

大河ドラマ「勝海舟」テーマ曲

itmofnw @itmofnw

(大河ドラマ「勝海舟」テーマ曲)湯山「カッコいい。よもやあのイントロで途中でジャジーなピアノが入ってくるという、桁外れな音楽ですね」冨田「当時アメリカまで太平洋を渡って帆船で行くというのは、今で言う宇宙旅行と同じくらいの決心が要ったと思うんですよね」#冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 00:17:39
itmofnw @itmofnw

冨田「福沢諭吉などの若者も咸臨丸に乗ってましたよね。東へ向かうということは必ず朝日を見るということ。多分ワクワクするような気持ちを持って行ったと思うんですが。西洋人も乗ってましたよね、確か」湯山「フリーメイソンの人たちとか乗ってそうですよね(笑)」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 00:27:51
itmofnw @itmofnw

冨田「時間はグリニッジ標準時が世界標準だと言ってるのに勝海舟たちは日本の京都だと言い張ってやりあう場面がありましたよね」湯山「ジャズの中間部や最初のグルーヴィーなリズムは対アメリカを意識されたのでしょうか。戦勝国だけど音楽を連れてきてくれたと」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 00:33:40
itmofnw @itmofnw

冨田「やっぱり大阪万博、東芝IHI館で石丸寛さんが読売交響楽団で演奏したシンフォニーがあるんですが、戦中から戦後にかけてラジオから聴こえてきた音楽、あのへんにに影響受けてるんでしょうね。そういう時代ですね、ディズニーにも影響受けた」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 00:39:54

「リボンの騎士」オープニングテーマ

「イーハトーヴ交響曲」ブルーレイより 歌唱:初音ミク)

itmofnw @itmofnw

(「リボンの騎士」※「イーハトーヴ交響曲 ブルーレイ」) 湯山「まずこのメロディーって少女向けじゃないですよね。フラットや短調も入るし、大人っぽいなと。可愛い少女が主役のアニメでそういう引き出しをぶつけてくるのが子供ながらに素晴らしいと思いました」#冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 00:48:52
itmofnw @itmofnw

冨田「当時『南太平洋』とかいろんなミュージカル映画がアメリカから来ましたけれども、やっぱりその影響ですね」湯山「ディズニー『シンデレラ』では「ビビディ・バビディ・ブー」を女性が低音で歌ってるが、お子様だから高いアニメ声ではなく、というセンス?」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 00:53:59
itmofnw @itmofnw

冨田「いやあ、あんまり考えてなかったな(笑)手塚さんのイメージがミクのキャラクターとピッタリ合ったんで。これ、本当に苦労したのは大友直人さんの指揮、オーケストラ、合唱にミクが合わせて歌って踊ること。若い人たちが徹夜して作った」 #冨田勲 #DOMMUNE

2014-04-05 01:00:13

- 2013 NHK ETV特集『音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~』ツイート集

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