子日botまとめ「坊ノ崎海戦・その後~こぼれ話とか~」

1945年4月7日坊ノ崎海戦、大和さん撃沈後のことや、こぼれ話だよ。海戦自体についてはhttp://togetter.com/li/653877を参照だよ。
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メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

その後、大和さんの撃沈を見届けた米航空機隊は14時40分に撤収。 日本側はこの時点で大和さん、矢矧さん、浜風、朝霜を失って、霞と磯風が航行不能、涼月が大破。 まともに航行可能なのは雪風、初霜、冬月の三人だけだったんだよ。

2014-04-07 08:05:03
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

それでも、サマール沖海戦をも超える大空襲の中で三人も無事だったのは、やっぱり大和さんに攻撃が集中したことが大きいんだって。 その後、三人が他の艦の救出活動を行っていた16時39分。 司令部から正式に、天一号作戦の中止と撤退の命令が下るんだよ。

2014-04-07 08:10:05
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

この撤退命令のあと、霞と磯風は、航行不能で修理してる時間もなかったから、生存者救助後に撃沈処分…。 大破しながらもなんとか航行可能だった涼月も含めた四人が帰還の途について、坊之岬沖海戦は終了となるんだよ。 それで、今日は凄く暗い話だったから最後に涼月の少しいい話(?)なんだよ。

2014-04-07 08:15:04
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

このとき涼月は、艦首が浸水して沈降、前進するとそれが悪化して沈みかねない、っていう危険な状態だったんだけど… なんと「じゃあ後進すれば沈まない」っていう逆転の発想でこれを解決して、無事に(?)帰路に着くんだよ。 ただ、通信設備が壊れてた上に速度も出ないからはぐれちゃって…

2014-04-07 08:20:04
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

一夜あけて翌4月8日朝。 本土防空隊の飛行機が、九州沖で涼月を目撃したけど、そのあとまた消息不明に。 でも、きっと沈んでしまったに違いない、と噂になりはじめたこの日の午後、ついに後進のまま佐世保軍港に帰還。たどり着いたドックで着底、というギリギリのゴールを果たしたんだよ。

2014-04-07 08:25:03
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

その後の涼月は、戦後まで生き延びて引退。 同じく生き延びた冬月と一緒に、解体後の船体が、今の福岡県北九州市・若松港の防波堤として使われたんだよ。 ただ現在は涼月と冬月は完全にコンクリートの下で、見ることはできないんだって。 残念なんだよ。

2014-04-07 08:30:08
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

お昼のこぼれ話~! 子日の妹、初霜の、坊ノ崎での武勲の話だよ。 初春型4番艦。初春型1~4番艦で編成された第二十一駆逐隊の、最後の一人。 そして坊ノ崎の参加艦で唯一、無傷の帰還を果たした艦でもあるんだよ。

2014-04-07 12:30:45
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

傷を負わない幸運艦、といえば同じく坊ノ崎に参加した雪風だけど、最新鋭の陽炎型である雪風と違って、初霜は失敗作とまで言われてしまった鈍足の初春型… けど、その雪風ですら被弾を避けられなかった坊ノ崎で、ついに一発の直撃もうけることなく生還したんだよ。

2014-04-07 12:35:27
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

これはもちろん、大和さんに攻撃が集中してた事情もあるにはあるけど… 第二次攻撃のさなか、通信機能が壊れた大和さんに通信代行を命じられた初霜は、猛攻を受ける大和さんの隣に付き従って、降り注ぐ爆撃のど真ん中でその命令を実行しつづけて… それでも、無傷という奇跡を成し遂げたんだよ。

2014-04-07 12:38:54
メガネ子日bot(退役) @nenohi_bot

そんなわけで、艦これ的には今のところあまり話題にはなってないけど、初霜もけっこう凄いんだよ!という宣伝でした! こういうエピソードのある艦は改2で優遇されやすいし、初春型の期待の星なんだよ。

2014-04-07 12:42:27