怪しい文化系イベントに要注意!

キリスト教文化(ゴスペルや古楽や聖画など)を利用しつつ「宗教じゃないです」と名乗る宗教的イベントにはカルトがわんさかいます。 ちゃんとした教会や組織のイベントではそれがキリスト教のイベントであることを明記していますが、そうでないものにはくれぐれも御注意ください。
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さぱたー @albm32

@secilia2010 宗教マーケティングがはかどります…ね…

2014-04-21 00:35:08
secilia2010@猫のお守り @secilia2010

@albm32 ここ数日の間、「キリスト教はわかりにくいというけれど、じゃ仏教や神道やイスラムは分かりやすいの?」とモヤモヤしてまして…すみません。

2014-04-21 00:55:42
secilia2010@猫のお守り @secilia2010

@albm32 私的には仏教や神道はすごく分かりにくいです。お寺や神社に行くと清らかで素敵で「癒されるぅ」みたいなのを「分かりやすい」というのは本当にそうなのと。同じように典礼や祈りで「癒される」だけ、にしたらキリスト教はわかりやすくなるのか?私は否定的です。

2014-04-21 01:19:41
さぱたー @albm32

@secilia2010 私には「癒やし」そのものの感覚がまだよくわからないです。典礼にあずかった時、初めに感じたのは違和感やなんともいえない欠落感でした。正直、端的な癒やしなら、アロマや美味しいもののほうがよっぽど感じる時もあるのですが、それを宗教生活に適応するとなると…

2014-04-21 01:26:51
secilia2010@猫のお守り @secilia2010

@albm32 おはよう。私も、「癒し」ならマッサージとか猫とかヨガの方がw 感覚を通した快楽、官能と「たましいの救済」(それがなんだかまだわからず)がゴッチャになっているような。あ、それがニューエイジか。

2014-04-21 10:30:23
さぱたー @albm32

@secilia2010 まさにニューエイジ…。純粋に鑑賞だけの次元に還元してしまったら、たしかにグレゴリアンも祭服も「癒やしっぽい」感じになるんでしょうが、ただ鑑賞してる時点でそれはもはや典礼ではないですよね

2014-04-21 11:30:40

Kyoko Nakanishi @mmktn

文化史ずきかつ音楽好きのみなさん「グレゴリオ聖歌を歌う」系のイベントに参加されるさいは、主催者をよーく確認なさることを強くおすすめします。音楽的にも霊的にも安全なところにはそれなりの確かさがある。霊的に怪しいけはいがする、偏狭なけはいがする、と思ったら近づかないのが一番です。

2014-04-20 19:33:20
Kyoko Nakanishi @mmktn

昨晩のこのツイート https://t.co/RaoKgTlT85 RTありがとうございました。「主催者に注意!なにか偏狭さや、参加者の虚栄心をあおったり主催者自身の自己顕示欲が前面に出る危うさの臭いがしたら近づかないことが吉」は、宗教音楽全般の集いにかんしていえることです。

2014-04-21 21:21:53
さぱたー @albm32

「うちは関係ないぜ」「ひっかかる人ってww情弱乙ww」みたいになる人、まじ注意ですよ。あと自称アンテナ高い人、もう一段階アンテナ伸ばしたほうがいいですよ。

2014-04-21 21:27:08
Kyoko Nakanishi @mmktn

善意の文化史好きのみなさんをひきこもうとするある種の集いも「これは宗教じゃないからだいじょうぶだよ」と迫るのだ、ということを改めて知りました。学校では毎学期、キャンパスカルトや自己啓発セミナーへの注意勧告を学生に周知してきましたが、それだけでは不充分なのだな、と実感しました。

2014-04-21 21:28:29
okaka_1968 @okaka_1968

↓ そういえばむかし「教会でゴスペル一緒に歌いませんか?」と知人に誘われて行ったら教会どころかテナントビルの一角でゴスペルどころか誰も歌わないただの宗教的集会だ、と気づくや否や五輪の1500m走のごとく一目散で逃げた、ということがあったなあ。

2014-04-21 21:41:32
Kyoko Nakanishi @mmktn

じっさい、教会芸術の遺産を宗教団体のなかの政争の道具や虚栄の道具に用いるグループは存在しますし、そして西洋古典語や教会芸術にある程度興味のある人が、それを共有するひとどうしの高揚感ある仲間意識や特権的な体験を求めてその種の団体に関わり、手ひどい傷を負った事例をしばしば耳にします。

2014-04-21 21:32:53
Kyoko Nakanishi @mmktn

霊的な危うさを見分ける目を養うには、やはりまず皆さん、アンテナの感度を高めましょう。特に「自分は大丈夫、あんなのにひっかかるやつはバカ、自分は宗教知識あるし、音楽だって(美術だって)勉強した、絶対引っかからないぞ」と思っている人、要注意です。

2014-04-21 21:36:12
Kyoko Nakanishi @mmktn

漏れ伝わる話をきくさえも、政争や虚栄の道具に美を用いるひとびとの自己満足と不毛なノスタルジーとうでじまんには辟易とすることがしばしばです。学生さんたちには触れさせたくないものがあります。よく祈るための教会芸術を、政争や虚栄の道具に使わないでほしいとつくづく願わずにはいられません。

2014-04-21 21:42:58
Kyoko Nakanishi @mmktn

霊的に安全なところには、やはり営々と虚心坦懐に、そして地道に教会音楽の伝統と遺産を探求し、技術を磨き、継承の努力を続けてきたひとびとならではの営みがあります。あえて声高に自らを宣伝しないからこそ、守られてきたものならではの安定感があります。

2014-04-21 21:48:05
Kyoko Nakanishi @mmktn

私たちが宗教芸術に抱くあこがれと信頼は、やはり先達たちが順風のときにも嵐の日にも営々と地道に虚心坦懐に積み重ねてきたよりよい祈りへの探求の歴史に裏付けられている部分があるでしょう。たんに甘やかなものではないはずです。

2014-04-21 21:55:49
Kyoko Nakanishi @mmktn

古楽と声楽そして鍵盤楽器を愛して実際に演奏にもかかわってきた宗教学宗教史学研究者としては、必要なところに今は届きにくい宗教リテラシーの知識を必要なところに届けるのも使命。やはり皆さんが幸福な宗教芸術体験を共有されることをねがってやみません。皆様ご静聴ありがとうございました。

2014-04-21 21:59:02