なにかひとつの観点からアニメを語る/論じることにおける注意点
創作物には舞台がある。舞台は池袋なり下鴨幽水荘なり登場人物たちが活躍する場、作中で言及される場など登場人物の見える範囲の限界までを指す。その場所的な意味合いに作品設定などを加えたものを世界観という(もっと詳しくもあるが、文量上省略した)。
2010-11-05 19:40:10この世界観というものに、作者によって提示された一定の視点を加えたものが箱庭の領域だ。箱庭の領域を親しみ易い言葉に置き換えるとすれば、演劇の舞台なのだけれど、場所としての舞台の他に作中で述べただけの場所も領域の範囲なので、もう少し演劇の舞台よりは広い範囲を指している。
2010-11-05 19:41:00たとえば、アニメ、ギャルゲーなどはディスプレイを通してしか創作物の世界を見れない。媒体を通すために画面の端の先や描かれてない部分は見れない。しかし、登場人物の視界の外を作者の描写によってseeできる。
2010-11-05 19:41:19箱庭の領域は残念ながら我々が自由に閲覧できるものではない。作者によって提示された一定の視点と限られた視界でのみ、視聴者は作品をseeするしかない。つまり、我々は作中で描かれていない部分をseeできないというわけだ。
2010-11-05 19:42:18だからアニメやドラマでは演出が大事だと言われる。見せる作品を作るために、魅せる技術やセンスが必要となる。マンガにおいてもネームの段階で作品の面白さが決まるし、萌え系のラノベも描写で萌えるか否か決まる。
2010-11-05 19:43:36第四の壁がある限り、我々は創作物に描かれていない部分を見ることは出来ない。それは世界の一部を見ていることと同義だ。我々はその一部を通し、箱庭の領域の果てを見ることができるのか。
2010-11-05 19:46:37「木を見て森を見ず」ということわざがある。細かいことばかりに集中して、全体を見れない狭窄状態のことだ。創作物は箱庭の領域を狭窄した状態でしか描いていない。領域の全てを描くは物理的障害(時間的制約、我々の集中力や記憶力が持続しない制約)がある。
2010-11-05 20:01:47ネットで創作物の質のいい考察記事などを見ると納得することが多いが、これは狭窄していた視界の外にある領域を書いているから納得する。納得するのは書き手が何度も創作物を反復したり、何か一つに意識を集中させるなどして、詳らかにするからだ。
2010-11-05 20:02:40しかし、領域をはっきりさせるなら設定を読めばいいわけで、実際に作者に聞けば問題が解決する。聞けないから書いてることもあるけど、本当は書きたいのは事実ではなくて意見だから「木を見て森を見ず」なんてことわざを取り出して「あなた方は森(全体)を見れていないんだよ」と説教垂れる気はない。
2010-11-05 20:05:26創作物の細かな部分や一部だけしか見ていない狭窄した状態で、我々はそういった一部分を持ち出して全体の評価にしてしまう間違いをたまに起こす。
2010-11-05 20:07:37もとより箱庭の存在である創作物を見ることは、障子の穴から部屋を覗き込んでいるようなもので、その家の全体像は見えてこない。我々はすでに創作物を見ることで狭窄状態に陥っているとも言える。間違ってしまうのはよくあることだ。
2010-11-05 20:08:57木をみていると自覚することで、考察する際にたった一つの断片だけを語り全体を批評するのではなく、「森を見ず」に気付くことができてやっと読者が納得出来る意見を書ける。また、その木と森の関係を吟味することでまた違ったことに気付けるかもしれない。
2010-11-05 20:10:30