絵本と反レイシズム①:『いぬ おことわり!』、あるいは「おさるのジョージ」誕生秘話

『いぬ おことわり!』(マーガレット・ワイズ・ブラウン作、H.A.レイ絵、ふくもとゆみこ訳)
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直立演人 @royterek

ドイツ敗戦後、レイ(父方の姓はReyersbach)はハンブルク大学に聴講する傍ら、デザインやサーカスの石版ポスターの仕事等で糊口をしのいだが、その後、ブラジルに渡って「浴槽を売る」という退屈な商売を12年間続けたという。1935年にはブラジルで同郷のマルグレットと再会して結婚。

2014-05-01 16:31:15
直立演人 @royterek

レイの伴侶となったマルグレットは「ひとまねこざる」シリーズの一部で物語を担当したことでも知られるが、彼女の方は、父方がユダヤ系だったらしい。晴れて夫婦となった二人は、1936年、「新婚旅行」で暗雲垂れ込めるヨーロッパに帰還したところ、滞在先のパリで絵本が認められて長居することに。

2014-05-01 16:39:56
直立演人 @royterek

パリの出版社の目に止まったレイは『きりんのセシリーと9匹のさるたち』(http://t.co/zTwtYxfR1N)を発表。ここに登場する9匹のさるの一匹が「知りたがり屋のジョージ」だった。そこで二人がジョージを主人公にした絵本の制作を開始したところで、第二次世界大戦が勃発する。

2014-05-01 16:52:13
直立演人 @royterek

ナチの進撃を知った二人はパリ脱出を決意する。ハンスは二台の自転車を調達し、二人は自転車でパリを脱出した。パリ陥落の数時間前のことだった。そして4日間の自転車での逃避行のあいだ二人が後生大事に守り続けたのが、後に世界中の子供たちに愛されることになる「おさるのジョージ」の下絵だった。

2014-05-01 17:04:05
直立演人 @royterek

パリから4日かけて自転車でスペインとの国境の町バイヨンヌにたどり着いたレイ夫妻は幸運に恵まれた。ポルトガルの独裁者サラザールの命令に反して、難民に「命のヴィザ」を発給した駐ボルドー・ポルトガル領事館総領事アリスティデス・デ・ソウザ・メンデスのおかげで、夫妻にもヴィザが発給された。

2014-05-01 17:31:43
直立演人 @royterek

メンデスは、1940年6月16日から23日の間、ドイツの侵攻から逃れる難民に本国からの命令に逆らってヴィザを無料で発行(受給した約三万人のうち約一万二千人がユダヤ人)。彼は本国政府に罰せられたが、イスラエルから「諸国民の義人」の称号を得た最初の外交官となった(ただし本人の死後)。

2014-05-01 17:38:04
直立演人 @royterek

ちなみに、レイ夫妻がベルリン・オリンピックの年である1936年という段階でヨーロッパに舞い戻ったという記述も、彼らがユダヤ系だと推測できなかった理由の一つである。遡及的に見れば、危険な冒険以外の何ものでもないが、その時点ではナチスがユダヤ人虐殺に踏み切るとは思えなかったのだろう。

2014-05-01 17:16:10
直立演人 @royterek

「命のヴィザ」を得たレイ夫妻はスペインに入国して列車でリスボンまで行き、そこから航路で再びブラジルに舞い戻ったが、その足ですぐにニューヨークへと向かった。二人がアメリカに到着してまもない1941年、「おさるのジョージ」シリーズの第一弾『ひとまねこざるときいろいぼうし』を発表した。

2014-05-01 17:45:05
直立演人 @royterek

1941年といえば、独ソ不可侵条約を一方的に破棄してナチス・ドイツがソ連領に電撃戦を開始し、大日本帝国が真珠湾に奇襲攻撃をしかけた年。奇しくも戦争が後戻りのきかない破滅的な総力戦へと突入したこの年に「おさるのジョージ」は誕生した。そして兵隊物や戦記物一色だった日本は戦争に負けた。

2014-05-01 17:57:39
直立演人 @royterek

さて、ニューヨークに辿り着いて一躍人気絵本作家となったH.A.レイとニューヨーク出身の駆け出し作家マーガレット・W・ブラウンが組んで生まれたのが『いぬ おことわり!』(原題"Don't Frighten the Lion!")である。ナチが欧州全域を席捲した1942年の作である。

2014-05-01 18:18:24
直立演人 @royterek

『戦争をくぐりぬけたおさるのジョージ――作者レイ夫妻の長い旅』(ルイーズ・ボーデン文/アラン・ドラモンド絵/福本友美子訳、岩波書店)iwanami.co.jp/hensyu/jidou/j…

2015-03-23 18:54:40
直立演人 @royterek

ナチ支配下のヨーロッパからの逃避行や作品が発表された時代の状況について考えると、「ライオンをこわがらせないように」一目散に動物園から逃げ出して「うち」に帰り着いた子犬と飼い主を描いた最後の絵が不思議なリアリティを帯びてこないだろうか。https://t.co/o7VFlgWBNN

2014-05-01 18:30:51
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直立演人 @royterek

「いぬ おことわり!」の看板のかかった動物園がナチ支配下のヨーロッパに、そして子犬と飼い主がすんでのところで逃げ帰った「うち」が大西洋を隔てた安全なアメリカという具合に…。

2014-05-01 18:34:38
直立演人 @royterek

とはいえ、所変われば迫害や抑圧される人も変わる。ユダヤ人が十分に安全を感じることのできた「夢のような国」アメリカですら、殊に南部では、当時はまだ肌の色の違いによる差別が当たり前のように横行していた。"White only"の看板は至る所にあり、黒人は白人の乗るバスに乗れなかった。

2014-05-01 18:42:40
直立演人 @royterek

レイシズムの根は地球上の至る所に転がっている。昨今の日本でもますます露骨になってきた。サッカー場には"Japanese only"の横断幕が翻り、「外国人お断り」の看板を掲げる店も珍しくない。こうしたレイシズムの根っこにあるのは、凶暴なライオンたちの倒錯した強迫観念に他ならない。

2014-05-01 19:19:34
nuho_WeiBeRose @nuhoWeiBeRose

見慣れないからだろうけど、クリケットのユニフォームってユーモラス。このハットで黄色だと、あの懐かしい人を思い出す。 twitter.com/BBCAfrica/stat… pic.twitter.com/B1Z0gZ2WJE

2015-03-23 18:30:07
BBC News Africa @BBCAfrica

A million followers of cricket in Nigeria? @lucyfleming meets players in Lagos, bbc.in/1G3CZll pic.twitter.com/td4CQEw3DK

2015-03-23 18:22:21
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直立演人 @royterek

『おさるのジョージ』の黄色い帽子のおじさんの衣装、中世ヨーロッパでユダヤ人が強要された「黄色い帽子」にヒントを得てるんとちゃう?en.wikipedia.org/wiki/Jewish_hat @nuho:このハットで黄色だと、あの懐かしい人を思い出す。…pic.twitter.com/EpU42de06P

2015-03-23 18:39:56
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直立演人 @royterek

ていうか、似すぎ(笑):Rediscovering the Jewish hat in Augsburg:jhva.wordpress.com/2009/08/03/red… @nuho pic.twitter.com/PwSD4T6C7h

2015-03-23 19:12:17
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ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 @WSJJapan

「おさるのジョージ」初版から75年 作者はナチスから逃れた過去も on.wsj.com/2cNP1GB ナチス・ドイツが仏侵攻、首都パリに近づいていた1940年6月、ユダヤ人作家のレイ夫妻は自転車に乗ってパリから脱出した pic.twitter.com/LzJShXXUnP

2016-09-16 16:30:04
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