原発事故避難。「福島県県内よりも、県外を視野に入れている南相馬市の考え方には納得できる」渡部記者の呟き

RT 朝の河北新報「原発事故、避難先に差/福島県『まず県内』、南相馬市『原則県外』」。実際に3年前、避難指示を出す際に、県や中央政府の対応によって翻弄された経験を持つ南相馬市では、県外との連携を模索する。より現実的で真っ当な対応だと思う。 http://twitpic.com/e2moyt
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渡部真 @craft_box

今朝の河北新報「原発事故、避難先に差/福島県『まず県内』、南相馬市『原則県外』」。実際に3年前、避難指示を出す際に、県や中央政府の対応によって翻弄された経験を持つ南相馬市では、県外との連携を模索する。より現実的で真っ当な対応だと思う。 http://t.co/PKRMvqWmF3

2014-05-02 08:02:15
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渡部真 @craft_box

承前)高齢者など遠方への避難が生命に直結するケースもあるので、それはそれで対応するとして、今後も、重大な原発事故が起きれば、周辺地域の混乱は避けられないと考えられる。それを前提にすれば、県内で対応しようとする県の考え方よりも、南相馬市の考え方は自然だ。

2014-05-02 08:08:06
渡部真 @craft_box

この震災によって生じた、福島県や中央政府に対する南相馬市(桜井市長)の不信感も、根強く残っていることもうかがえる。

2014-05-02 08:10:01
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震災のあった年の3月から取材させてもらっている福島県相馬市の姉妹。何度か紹介しているが、姉妹2人と年老いた祖母の3人で被災した。当時、高校生だった姉が、体の不自由な祖母と中学生の妹を連れて、南相馬市鹿島区の避難所に避難。数日後、南相馬市の親戚に合流した。(続く

2014-05-02 09:06:51
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すぐに、南相馬の避難所が会津若松に避難するというので、親戚とともにバスに乗った。会津若松に到着して間もなく、避難所に余裕がないというので、今度は東京の杉並に避難するということになったが、東京に向かうバスの中で杉並がこれ以上受け入れられないという情報が入り、バスはUターン。(続く

2014-05-02 09:08:09
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福島県内の二本松が受け入れてくれることになり、二本松の避難所で数日を過ごす。しかし、親戚を含めて7人で避難所にいるとやはり手狭だったため、親戚とともに南相馬に戻ることになった。南相馬に戻ってさらに数日、姉は妹と祖母を連れ、相馬の大きな避難所に移った。(続く

2014-05-02 09:09:10
渡部真 @craft_box

どうせなら、友達、地元の知り合い、学校の教師達がいる相馬の方が便利で楽だと考えたからだ。3月25日、震災から2週間たって、ようやく自分達が落ち着ける避難所を見つけることができた。風呂に入れるだけで嬉しかった。僕が姉妹と出会ったのは、その翌日。避難所の食事の行列に並んで、(続く

2014-05-02 09:12:23
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自分と祖母の分の食事をダンボールのトレーに乗せて運んでいる中学生の妹に声を掛けたのが最初だった。それから約3カ月、避難所生活が続いたが、途中、両親の離婚によって、幼い頃に生き別れた母と再会した。飯舘村に住んでいた母が、姉妹を心配して探してくれた。(続く

2014-05-02 09:15:49
渡部真 @craft_box

さらに数カ月後、新潟の原発に長期出張中だった父も相馬に戻った。今現在、母親が引き取って育てていた兄は、母方の祖母とともに福島市の仮設住宅で暮らしているが、母は、姉妹と父とともに相馬の仮設住宅で暮らしている。自宅再建は未定だが、姉は高校を卒業して就職し、妹は高校に通っている。(続く

2014-05-02 09:18:00
渡部真 @craft_box

震災直後に妹と祖母を引っ張っていた姉は、兄貴が出来てすごくうれしいようだ。すっかり甘えているという。原発事故に翻弄され、大人に混じり避難所を転々として彼女達だが、こうしたとしたケースは決して少なくない。いずれも、受け入れ態勢の不十分さ、受け入れ先の混乱が大きな原因の一つだ。(続く

2014-05-02 09:23:27
渡部真 @craft_box

別のケースだが、いまは埼玉県の借り上げ住宅で暮らす男性は、震災前、妻や娘夫婦、孫に囲まれて双葉町に住んでいた。原発から数キロの場所で農業を営んでいたが、原発事故があって避難指示が出たため、最初は浪江町の津島地区の避難所に避難した。(続く

2014-05-02 09:25:31
渡部真 @craft_box

当時、双葉町の議員で今の町長から、川内村に避難指示するように言われたが、道路が大渋滞し、ガソリンも不足していたため、とりあえず、地理的にも馴染みある津島に避難したのだ。ところが、数日後、その津島の空間線量が非常に高いことがわかり、浪江の人達ともに二本松の避難所に移った。(続く

2014-05-02 09:26:40
渡部真 @craft_box

そこで数日を過ごしている時のことだ。二本松のある大規模店で買い物をしていたら、車のナンバーで浜通りの人間だと理解した人から、「お前ら、浜通りの奴らは原発で儲けていたくせに、こっちにまで迷惑かけるな。出て行け」と言われた。(続く

2014-05-02 09:28:40
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その直後、双葉町が全体で埼玉県のスーパーアリーナに避難することになったと連絡が入り、地元の人達と合流するために二本松を後にした。男性は「埼玉でも悪口を言う人はいるし、声も聞こえてくる。だけど、どうせ避難されるなら、福島の人間よりも埼玉の人に言われた方がまだマシだ」と言う。(続く

2014-05-02 09:29:16
渡部真 @craft_box

そうやって、当時、翻弄されながら避難先を転々としていた人達の話を聞くと、少しでも混乱が小さくなるような避難行動を、現実的に考えるべきだと思う。まして、今も震災以前には戻っていない沿岸地域の自治体の立場ならなおさら現実感を捉えているだろう。(続く

2014-05-02 09:32:59
渡部真 @craft_box

原発事故が厄介なのは、事故が起きた時点で、その災害規模がどこまで広がるか正確に判断できないこと。最悪の事態を想定しておくなら、福島県県内よりも、県外を視野に入れている南相馬市の考え方には納得できる。長くなったけど、そろそろ仕事が始まるので、ここまで。

2014-05-02 09:36:37