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サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
.@k_hr_37 質問ありがとうございます(`・ω・´)ノ ちょっとややこしいんんだけど、私なりにまとめてみるね
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
オスマン帝国のことを「オスマン・トルコ」と呼ぶべきではないという風潮があるのは何故か、という質問をもらったんだけど、この風潮というか合意は最近の研究者の間ではほぼ当たり前になってるよね。理由はおおまかに二つある
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
一つは、オスマン帝国が「オスマン・トルコ」と自称していないということ。実はオスマン宮廷の人間や首都のオスマン人にとって、アラビア語やペルシア語を知らないアナトリアの住民は垢抜けない田舎者で、「トルコ」という語には侮蔑的な意味合いが含まれていたんだよね
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
マヌエル「自称の問題は我々にもあてはまる。常にローマ帝国を自認している我々にとって、首都のかつての呼称ビザンティオンに由来するビザンツ帝国という呼称は奇異なものに映る」コンスタンティノス・カラマノス「渡辺金一先生は本のタイトルに「ビザンツ」を避け『中世ローマ帝国』とつけています」
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
もう一つは、オスマン帝国がトルコ人の国家ではないということ。確かに王朝の父系はトルコ系で、公用語はトルコ系のオスマン語だったけど、宮廷エリートは様々な民族的出自の人がいて、トルコ系の人たちだけに独占されていたわけじゃなかった。
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
これはアイユーブ朝にも言えることだよね。私達はクルド人だけど、だからといって当時のエジプト・シリアを「アイユーブ・クルド」とは言わないでしょう? オスマン朝の国家を「オスマン・トルコ」と呼ぶのは、それと同じ問題があるんだ
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
アナトリア、イコール「トルコ」となるのはトルコ共和国の成立以後だしね
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
林佳世子先生は『オスマン帝国500年の平和』で「オスマン帝国は「オスマン人」というアイデンティティを後天的に獲得した人々が支配した国としかいいようがない」と書いてるけど、この本にはきっちり呼称問題について書いてあるから気になったら読んでみてね(`・ω・´)こんな感じでよかったかな
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
サラディン「ちなみに中の人はビザンツについては「ロマイオン帝国」(ローマのギリシア語読み)でいいんじゃないの、なんて言ってるけど(´ω`)」マヌエル「日本語ならそれでいいかもしれんが、他の言語と整合性が取れまい」

以下5月8日追記

サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
「オスマン帝国の呼称問題について」 http://t.co/f8FD5aG8G9 このまとめが伸びてるみたいだからいくつか補足しておくね。思ったより大事になってしまった(´∀`;)
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
まず、ビザンツ帝国の件については類似点という意味で挙げたけど、研究者の間でも便宜的呼称としての「ビザンツ帝国」は定着してしまってて、最近出た本(『ビザンツ 交流と共生の千年帝国』や『ビザンツ世界論』)でも「ビザンツ帝国」の方が一般的なんだ
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
より重要なのは、まとめの中で挙げた二つの理由のうち後者の方。「オスマン・トルコ」という呼称が、あの国の「非トルコ的要素」が多すぎるという特徴にモヤをかけてしまうという問題だね。
サラーフッディーン・ユースフ @Y_b_Ayyub_bot
もう一つの補足は、トルコ共和国時代の「トルコ人」と、オスマン帝国時代の「トルコ人」はイコールではないということ。現代の「トルコ人」概念は近代のナショナリストたちによって作られたやや人工的なものなんだ。この辺はちょっと私の中の人の専門外だから、気になったら調べてみてね(´∀`)

コメント

北岡修二:S.KITAOKA @regedry33 2014年5月8日
「青年トルコ党」を「青年トルコ人」と訳す識者もおり、オスマン帝国についてはどれが正解だか判断に迷うこともしばしば。例えば「チュルク主義」などという言葉はどう理解すれば良いのか?さらにオスマン帝国とクルド、アルメニアとの関係など、是非とも正確に理解したい問題ですが。
創作文芸サークル時の輪@通販受付中 @Kamimura_Maki 2014年5月8日
スレイマンの自称を以下に引用してみる。「諸スルタンのスルタン、諸君主のあかし、地上における神の影、地中海と黒海、ルメリとアナドルとルームとカラマンとエルズルムとディヤルバクルとクルディスタンとルーリスタンとイランとズルカドゥリエとエジプトとダマスクスとハレプとエルサレムと全アラビアの諸地方とバグダードとバスラとアデンとイエメンの諸国土と(続く)
創作文芸サークル時の輪@通販受付中 @Kamimura_Maki 2014年5月8日
(続き)タタールとキプチャク平原の諸地域とブダとそれに属する諸地と、そしてまた我らが剣をもって勝ちえた多くの諸国土の大王(バディシャー)でありスルタンである、スルタン・セリム・シャー・ハンの子、スルタン・スレイマン・シャー」。どこにもトルコとかチュルクとか出てこない。
ラナ・クアール @rana_kualu 2014年5月9日
雄でマンとかインカ帝国的な話かと思ったら全然違った。
きんだいち @kanedaichi1 2017年3月24日
オスマンもサファビーも国名というものが無かったらしいな
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