- Y_b_Ayyub_bot
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.@k_hr_37 質問ありがとうございます(`・ω・´)ノ ちょっとややこしいんんだけど、私なりにまとめてみるね
2014-04-25 23:48:03オスマン帝国のことを「オスマン・トルコ」と呼ぶべきではないという風潮があるのは何故か、という質問をもらったんだけど、この風潮というか合意は最近の研究者の間ではほぼ当たり前になってるよね。理由はおおまかに二つある
2014-04-25 23:54:24一つは、オスマン帝国が「オスマン・トルコ」と自称していないということ。実はオスマン宮廷の人間や首都のオスマン人にとって、アラビア語やペルシア語を知らないアナトリアの住民は垢抜けない田舎者で、「トルコ」という語には侮蔑的な意味合いが含まれていたんだよね
2014-04-26 00:00:48マヌエル「自称の問題は我々にもあてはまる。常にローマ帝国を自認している我々にとって、首都のかつての呼称ビザンティオンに由来するビザンツ帝国という呼称は奇異なものに映る」コンスタンティノス・カラマノス「渡辺金一先生は本のタイトルに「ビザンツ」を避け『中世ローマ帝国』とつけています」
2014-04-26 00:05:04もう一つは、オスマン帝国がトルコ人の国家ではないということ。確かに王朝の父系はトルコ系で、公用語はトルコ系のオスマン語だったけど、宮廷エリートは様々な民族的出自の人がいて、トルコ系の人たちだけに独占されていたわけじゃなかった。
2014-04-26 00:06:46これはアイユーブ朝にも言えることだよね。私達はクルド人だけど、だからといって当時のエジプト・シリアを「アイユーブ・クルド」とは言わないでしょう? オスマン朝の国家を「オスマン・トルコ」と呼ぶのは、それと同じ問題があるんだ
2014-04-26 00:08:53林佳世子先生は『オスマン帝国500年の平和』で「オスマン帝国は「オスマン人」というアイデンティティを後天的に獲得した人々が支配した国としかいいようがない」と書いてるけど、この本にはきっちり呼称問題について書いてあるから気になったら読んでみてね(`・ω・´)こんな感じでよかったかな
2014-04-26 00:15:14サラディン「ちなみに中の人はビザンツについては「ロマイオン帝国」(ローマのギリシア語読み)でいいんじゃないの、なんて言ってるけど(´ω`)」マヌエル「日本語ならそれでいいかもしれんが、他の言語と整合性が取れまい」
2014-04-26 00:18:57以下5月8日追記
「オスマン帝国の呼称問題について」 http://t.co/f8FD5aG8G9 このまとめが伸びてるみたいだからいくつか補足しておくね。思ったより大事になってしまった(´∀`;)
2014-05-08 19:33:26まず、ビザンツ帝国の件については類似点という意味で挙げたけど、研究者の間でも便宜的呼称としての「ビザンツ帝国」は定着してしまってて、最近出た本(『ビザンツ 交流と共生の千年帝国』や『ビザンツ世界論』)でも「ビザンツ帝国」の方が一般的なんだ
2014-05-08 19:37:30より重要なのは、まとめの中で挙げた二つの理由のうち後者の方。「オスマン・トルコ」という呼称が、あの国の「非トルコ的要素」が多すぎるという特徴にモヤをかけてしまうという問題だね。
2014-05-08 19:41:05もう一つの補足は、トルコ共和国時代の「トルコ人」と、オスマン帝国時代の「トルコ人」はイコールではないということ。現代の「トルコ人」概念は近代のナショナリストたちによって作られたやや人工的なものなんだ。この辺はちょっと私の中の人の専門外だから、気になったら調べてみてね(´∀`)
2014-05-08 19:47:10