「儒教は上位者への盲従を説く」との誤解についての解説

@hitomimotoya196さんの解説。 自分の忘備録として作りました。
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人見 基埜 @hitomimotoya196

「「五経」とは何かというと、(中略)詩経、書経、礼経、易経、春秋経の総称」って、「礼経→礼記」「春秋経→春秋」。橋爪先生、これはまずいでしょう。 沈没事故で韓国人被災者家族が顕わにする感情に儒教の影響も  http://t.co/CtWWG6QNNF #postseven

2014-05-07 20:42:11
人見 基埜 @hitomimotoya196

セウォル号事故で上からの指示を守って死んだ方々の行動までも「儒教の影響」と分析する者がいて、それをまた餌にして愚かなことを書く所謂「ネトウヨ」がいるが、儒教は上下関係盲従思想ではないのだが。

2014-05-07 20:47:15
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 今日はもうしんどいので寝るが、儒者たちが上に逆らっていることを示す文献上の典拠は多いので、明日か明後日にツイートする。

2014-05-07 20:54:51
人見 基埜 @hitomimotoya196

「儒教は上位者への盲従を説く」との誤解がまかり通っているので一言。

2014-05-08 13:58:11
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 『論語』里仁篇(4-18)に次のように言われる。(原文)子曰、事父母幾諫。見志不從、又敬不違、勞而不怨。

2014-05-08 13:58:28
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (書き下し)子曰く、父母に事るには幾(ようや)くに諫む。志の從はざるを見ては、又敬して違はず、勞しても怨みず。

2014-05-08 13:58:51
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 朱子は、「論語集註」で、この一節を、『礼記』「内則」の「父母有過、下氣怡色、柔聲以諫。諫若不入、起敬起孝、說則復諫。不說、與其得罪於鄉黨州閭、寧孰諫。父母怒、不說、而撻之流血、不敢疾怨、起敬起孝。」を引用して説明する。

2014-05-08 13:59:18
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (「集註」原文)此章與内則之言相表裏。幾、微也。微諫、所謂父母有過、下氣怡色、柔聲以諫也。見志不從、又敬不違、所謂諫若不入、起敬起孝、悦則復諫也。勞而不怨、所謂與其得罪於郷黨州閭、寧熟諫。父母怒不悦、而撻之流血、不敢疾怨、起敬起孝也。

2014-05-08 13:59:50
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (書き下し1)此の章、内則の言と相表裏す。幾は微なり。微諫は、所謂「父母過有らば、氣を下し色を怡ばし、聲柔らかにして以て諫む」なり。

2014-05-08 14:00:13
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (書き下し2)志の從はざるを見ては、又敬して違はずは、所謂「諫め若し入れられざれば、敬を起こし孝を起こし、悦べば則ち復諫む」なり。

2014-05-08 14:00:32
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (書き下し3)勞して怨みずは、所謂「其の罪を郷黨州閭に得んよりは、寧ろ熟諫せよ。父母怒りて悦ばず、而して之を撻ちて血流るとも、敢へて疾怨せず、敬を起こし孝を起こす」なり。

2014-05-08 14:00:52
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (訳)この章は、(『礼記』)内則の言葉と表裏一体である。幾は微(かすか)なことである。「幾くに諫む」、つまり、微かに諫めるとは、(「内則」に)言われる、「父母に過失があれば、不満を顔に出さず喜びの表情を作り、声色を柔らかにして諫める」ことである。

2014-05-08 14:01:16
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (訳2)「志の從はざるを見ては、又敬して違はず」とは、(「内則」に)言われる、「諫めてもし入られないならば、敬愛を起して孝心を起して、父母が喜べば、再び諫める」ことである。

2014-05-08 14:01:34
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (訳3)「勞しても怨みず」とは、(「内則」に)言われる、「父母がその罪を郷党や州閭(しゅうりょ)で得るよりは、むしろ繰り返して諫めよ。

2014-05-08 14:01:57
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 (訳4)父母が(その諫言を)怒って悦ばず、(あなたを)鞭打って流血の事態となったとしても、決して怒って怨むこともせず、敬愛を起こして孝心を起こす」ことである。

2014-05-08 14:02:18
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 「親が間違っている時であっても盲従する」のではなく、「たとい親を怒らせ鞭で打たれることになっても、過ちを犯した親を諌めなければならず、鞭打たれても親を怨まないようにせねばならない」と言われているわけだ。

2014-05-08 14:02:42
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 ようするに、「孝」には「親が誤りを犯している時には諌めなければならない」との義務も含まれているわけであり、「親に盲従」との考えからは程遠い。

2014-05-08 14:03:05
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 親が諌めを受け入れなかった時にはどうするのか。『礼記』「曲礼下」の「子之事親也、三諫而不聽、則號泣而隨之。」とあるように、三回諌めて受け入れられなかったなら従わねばならない。しかし、やはりあくまで諌めた上での話であり「盲従」を強いるのではない。

2014-05-08 14:03:47
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 しかも、これが君臣関係ならばどうなるのか。『礼記』「曲礼下」の先程の引用部直前には、「為人臣之禮、不顯諫。三諫而不聽、則逃之。」とある。三回諫言して聞き入れられなかった時は、その君主の下から去るのが正しいのである。

2014-05-08 14:04:17

これは有名ですね。

人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 主君のような社会的権威に対する儒者の態度は「『盲従』ではない」どころではない。

2014-05-08 14:05:23
人見 基埜 @hitomimotoya196

@hitomimotoya196 セウォル号事故に関して、儒教を持ち出すのであれば、むしろ「社会上層部から儒教道徳が失われたことが原因」とするべきではないのか。規制緩和を進めた政府、利益追求の為に過積載を繰り返していた船会社に対し、臣下の誰が身命を賭して諫言したというのか。

2014-05-08 14:06:37