怪談から考えるヤなことファイルの制御ステップ

ヤなことファイルの制御ステップについて考えてみた事、まとめました。
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なん・抜け首・佐川 @nankuru28

ヤなことファイルの制御ステップを、怪談でイメージしたのを再投稿。後でまとめてみる。

2014-05-29 09:49:00
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

弟を学校の事故で亡くしているので、弟はきっとその学校の「学校の怪談」として語られたりなんかして、そこではいまだに幽霊としてさまよったりしてるんだろうかねぇとかも思う。遺族的に死んだ上にネタにされて!って怒る気持ちも理解するし、それでも怪談の持つ「意味」を私は愛してたりする。

2014-05-29 09:49:30
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

「快・不快反応」と「闘争・逃走反応」はヒトの行動をかなりの深部で規定していると私は思っている。恐怖を感じるとはすなわち身の危険のアラームサインで、瞬時に対応を決定せねばならないが故に脳の理性的判断ルートには乗らない情報である。ヘビだ!ってすくむが、実はロープだと「後から」の判断。

2014-05-29 09:50:00
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

判断は実は「後から」くる。理性は恐怖にスピードで負けるのがヒトの脳の仕組みである。だから「恐怖」を素早く押し隠し、「理性的であるかのような闘争・逃走反応」を見せているのが文明社会ってやつだ。私が怪談を愛する理由の一つは、恐怖を飼い馴らす手段としてである。

2014-05-29 09:50:26
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

息子の「パニック的暴れん坊状態」「パニック的自傷行為」の軽減のために私が取った手法は怪談からヒントを得ている。 1何がイヤで怖いのかを自覚する(幽霊だと理解する) 2それが来たらどうするかを決めておく(お札なり塩なり準備) 3どうにもならなくても次の情報にはなる(怪談に残る)だ。

2014-05-29 09:51:33
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

大事なのは「怪談を語ること」である。息子にとっては「恐怖を飼い馴らす練習」であって、ここを「思い出すと面倒」(怖いからイヤ)で逃げれば、幽霊はいつまでも現れる。恐怖・幽霊は常にヒトの脳の中にいるから。怖がるのは全然構わない。ただ、幽霊だぁ!で無関係の人を斬り殺さないように、だ。

2014-05-29 09:52:07
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

夜と霧。収容所のような「閉じ込められた絶望的な場所」で生き抜くために必要なもの。いじめでも、母親業でも、仕事でも、現実の収容所ではなくても、心理的に収容所を感じている人が生き延びるために必要なもの。恐怖へのお薬は笑いであることの意味。

2014-05-29 09:52:58
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

そして「守りたいもの」のためにも、残酷になれるのが人間ってもの。家族を守るために隠蔽だってしちゃうもんさ。けどそれで恨み買ったら「7代祟られる」のかも、なんだよなぁ、って世の因業さと無常さを怪談で考える怪談好き。古典な怪談は大体、いじめと復讐で出来てるからな。

2014-05-29 09:54:02
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

怪談だと「7代祟るぞ」って定番。恨みを買うようなことをしたら、自分だけじゃなくって周囲親類縁者子孫に影響あるんだぞぉって脅しだよね。だけどこれは「大事なもの」「守りたいもの」を持ったことのない人間には全く効かない脅しなんだよね。「守りたいもの」がない人間が残酷になれるのはそこ。

2014-05-29 09:53:31
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

以上、2012年の夏に書いたやつ。以下は補足となる。

2014-05-29 09:55:39
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

「自分の、マイナス感情」あるいは「感情の変化」を、「なかったことにする」という、現象がある。 完全に記憶が消去される、そこまではいかなくても、矮小化される、記憶が変換される、等々のことは、比較的よく起こるのだ。 本人には自覚は「全くない」ここが肝心だ。

2014-05-29 10:00:04
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

今は感動すれば大泣き「出来るようになった」息子であるが、かつては「痛みでは泣かない」子供だった。 無痛症という、痛みを感じない障害がある。痛みによる学習が無い為、大ケガを何度も繰り返すという。 自閉症の「固有感覚の弱さ」と、「自分の感情の扱えなさ」には関係があると私は思う。

2014-05-29 10:06:21
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

固有感覚の弱さは、自分のカラダの感覚(車幅感覚的なのも含め)の弱さだ。 一面では「無謀な行動」に出るし、別の場合は「不器用さ」となる。 痛みへの感覚も、バランスが欠けているように健常発達者には見えてしまう事も多い。 「痛みによる学習」が薄いことは、感情面ではさらに複雑になる。

2014-05-29 10:10:53
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

「自分がイヤだった」を「心の痛み」と置き換えてみると、セルフイメージの根幹である固有感覚の薄さが、どれだけ大きく関与しているか、分かるはずである。 「心の痛みによる、あの感じ」を制御できなかった時の、恐怖感は、「なかったことにしたい」を生むのに十分過ぎるほどの衝撃なのだ。

2014-05-29 10:14:41
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

感情の変化によって起こった「衝撃体験」を経験した後。「自分の感情の揺れ、動き、流れ」は、恐怖感へ繋がってしまう。 そこで起こるのが「見ない」「感じない」防御法である。 「あの時、どう感じてたの?」と聞かれて、怒りやゴマカシで応えてくる率が高いのは、そういう理由だと思う。

2014-05-29 10:18:38
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

「自分自身の、感情を、直接、見ろ!」と、要求するのは、あるタイプにとっては「心霊スポットに行って、幽霊と会ってこい!」言われるのと似てる様な、恐怖と、もう一つ「なんで、そんなことしなくちゃならねーんだよ!」っていう理不尽さを感じさせるんじゃないかと想像する。

2014-05-29 10:21:24
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

その感覚は、ある意味正しい、正し過ぎる!と私などは思っている。 人の感情ほど、恐怖を生み出し続ける深淵は、他にはないだろう。どんなお化け屋敷より怖いね。 だからこそ。 「自分の気持ちを把握できてるかどうか?」「自分の辛さを辛いと認められるかどうか?」が最初で最大のハードルだ。

2014-05-29 10:25:58
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

怪談を語る作法は、恐怖の飼い馴らし方の作法の一つである。 自分がイヤだったこと、悲しかったことを語るのも、同じ作法である。 「お話」として、過去化し、今への影響を認め、今後はを考える時の参考資料化し、整理するのだ。

2014-05-29 10:31:46