言語をめぐる冒険

数学と、プログラミング言語と、 自然言語をめぐる冒険。
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三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

数学や、プログラム言語は、 精神の第一言語として、つまり自然言語と同様な地位を占めることはできるだろうか? とすれば、今の数学とプログラム言語に欠けているものはなんだろうか?

2014-06-08 09:07:48
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

自然言語は世界を十分に覆い尽くすことはできなかった。しかし、それが第一言語として機能する必要条件を満たしている。その条件とは何か?そして、数学と、プログラム言語は、それを満たしているだろうか?

2014-06-08 09:23:01
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

自然言語から見て数学、プログラム言語が欠けて見える。数学から見て自然言語、プログラム言語は欠けて見える。プログラム言語から見て数学、自然言語は欠けて見える。 とすれば、各々の立脚的に言語としての本質が含まれているのだ。

2014-06-08 09:40:53
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

新しい世界はそこかしこにあり、 ただ僕たちの言語が、 それをつかまえられないだけだ。

2014-06-08 09:54:06
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

数学とプログラミングこそが、自由の代名詞である人々について、その旅は世界を自分自身の中で創造し直す路だ。

2014-06-08 09:59:50
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

動物も植物も「根」と「幹と葉」を持ち、己の存在を世界深く根付かせると同時に、そこから外へ向かって自分を展開して行く。我々が日常行っているのはその二つの活動なのです。ひきこもりの人にしても暗い部屋の中で自分を根付かせる場所を探しているのです。やがてそこから出てたくさんの葉を茂らせる

2014-06-08 10:04:59
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

身体と同じように精神も運動によって、その性能を拡張する。身体の制限は身体構造であるが、そこには可塑性があり、成長と制限の中で発展させて行くことができる。 同様に精神も制限の中で成長させることができるが、その制限が何なのかはわかりにくいが確実に存在する。

2014-06-08 10:21:54
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

そして、精神の自由な運動の中で、精神の運動は言語と深く結びついている。それは精神の運動のスタイルである。精神の運動のエネルギーをある方向に方向付けると同時に分解し精緻化する。言語がなければ我々はそのエネルギーを行動に直行させてしまう。言語は精神のエネルギー遅延させながら組み合す。

2014-06-08 10:24:23
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

仮に、数学で話す惑星を考えてみる。そこでは、あらゆる出来事が、数式の近似によった語られる。物事は定義によって捉えられ、日々、定義と数式が改善されて行く。だが、数学が得意なのは描くことであって、行わせることではない。そこに欠けているには、行動の形式である。数学は行動を扱わない。

2014-06-08 10:31:45
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

では仮に、プログラム言語で話す惑星を考えてみる。そこでは、人々は、物事の手順を話し合う。対象はデータ構造やオブジェクトとして明確に定義され、オブジェクトに対する操作が明確に定義される。だが、そういった世界で原理は、行為に対する効果としてしか把握されない。或いは、行為の序列の中に。

2014-06-08 10:34:00
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

仮に、自然言語で話し合う惑星を考えてみる。そこでは、物事が人間の生活の範疇で定義され、あいまいだが、ものや対象には名前が与えられ、人間の行為もなんとなく定義されている。そこでは、人間の内面的構造が世界に押し広げられ、人間の都合で世界が解釈され、客観的な記述というものが苦手である。

2014-06-08 10:35:56
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

言語が完全である必要はない。 動物は世界に直面する。 その世界と動物の精神の間を、 調停してくれる機能が、 そこにあればいい。

2014-06-08 10:45:43