戦車模型がドイツ戦車偏重になった理由は?
つまり、ドイツ戦車が憧れの対象に、あるいは一種の宗教的イコンにさえなりおおせたのが70年代前半のMM人気勃興期だったのではないかと思う。少年キングにまでジオラマ講座の記事が出たのは1973年だったか74年だったか…。ブームのピークはその後の数年だったんじゃないかな?
2014-06-08 16:34:09ちょろっと松井さん本でタミヤの動向を見てみると1/35シングル虎1が70年、M36は68年。M4A3E8が70年(VVSSのM4A3は66年)で以降はリー/グラントまで米軍戦車は出てないっぽいか
2014-06-08 16:36:28@shermandoh あの本を元にした自作のグラフを見るとMMの発売ピークは1975年の30アイテム(1974年76年はそれぞれ約15アイテム)、MMブームといえるのは73~77年頃の模様。78年には一気に5アイテムに減少してますね。
2014-06-08 16:40:51あ、あと手軽なMMとしての2号戦車の存在も大きいかもしれないな。安いからコレを買う、ついでドイツ物を集め出す、という流れ。
2014-06-08 16:38:36@shermandoh M3A2ハーフトラックが75年の9月だったはず。年に30アイテムってことは月に2個以上MMの新製品があった計算ですから、まさにラッシュですね。
2014-06-08 16:50:48このへんはもう少し年季の入った人のご意見を伺いたいところだな…俺は75年に間に合わなかったクチでMM本格参入は76年からだわ。
2014-06-08 16:45:46実は俺ミリタリーミニチュアシリーズにまつわる根深い想い出そんなに無いんですよ!!!!!若いんですよ!!!!!!1!1!
2014-06-08 16:50:33@bantowblog MM No.1ドイツ戦車兵から全部リアルタイム経験者だw でも、記憶にちゃんと残ってるのはNo.2のドイツ歩兵セットからかな。三共のキューベルワーゲンと日東のコンバット7経験者だもん、俺w
2014-06-08 16:54:57「ドイツ偏重」に変わったきっかけ、もう一つ思い当たった! 1972年の見本市で展示されたカンプの連作ジオラマだ! バルジ大作戦というかアルデンヌの戦いを「ドイツ側視点」でどーん!と視覚化されたのはものすごいインパクトだったもの…。HJがそれを巻頭特集したのが1973年の1月号。
2014-06-08 16:53:02大滝 1/35迷彩塗装済みタイガー戦車とかあったんだぜ、知ってる?w 有名な1980年に出た中期型じゃなくて、60年代のゴムキャタピラで走るやつね。ダークイエローの成型色にダークグリーンの迷彩が施されて箱に入ってました、見たのは1度だけw
2014-06-08 16:57:55カンプのメンバーによる情景写真初掲載はMAの1970年10~12月頃に元島治さん名義で投稿されたのが最初。カンプグルッペジーベンとしての初登場が1971年の1月号、タミヤニュース初登場がVol.32(1971年3月号)。その時にスクラッチのエレファントだのヘッツァーも掲載w
2014-06-08 17:05:34タミヤのモ子ちゃんのあの太ももで道を誤った少年が多数いそうな気がするので、模型誌ライターに語らせてみたい気がちょっとだけするw 黒歴史としてみんな封印してるかも知れんけどw 「カラー版の模型講座、持ってます?」って聞いてみるのがリトマス試験紙w
2014-06-08 17:08:54確かにカンプの登場は一大転換点だったのは事実だろうけど、実はその前から「ミリタリー模型の主流はドイツ戦車」という流れはあったと思うんだよ。タミヤのMMがドイツ戦車兵から始まったのもその証拠の一つだとは思うんだけど、そうなったきっかけが何だったのかが分からない…。
2014-06-08 17:16:22その直前の60年代は戦車の模型といえばアメリカ戦車だったんだもの…。ほんの1~2年で状況ががらっと変わってる。タミヤが現地取材した成果として新キングタイガーやパンサーを出したのが1967~68年。この辺がきっかけだったのかもしれないな。
2014-06-08 17:22:10タミヤの旧パンサーやそれに対抗した大滝のドイツ戦車って60年代前半、そこから5年経たずに現地取材の成果として革命的とも言える新製品が出て、それを追うようにニチモの1/30のドイツ戦車シリーズが出たのが1970年までの話。バンダイのピューマや1/30四号戦車シリーズもほぼ同時期。
2014-06-08 17:25:48