黒色中国さんの #上海逍遥

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黒色中国 @bci_

弄堂を抜けて豫園前のお土産物屋さんの通りを歩く。この周辺は、道1つ隔てて、観光地と下町が混在している。上海観光で豫園まで来ても、弄堂に足を踏み入れる人は少ないようで残念である。弄堂が観光客ばかりになるのも困ったものだが… #上海逍遥 pic.twitter.com/GoOVFfjhMR

2014-06-16 23:02:06
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黒色中国 @bci_

『十元2元店』…日本で言うところの「百円ショップ」か。10元のものと、2元のものを扱っているらしい。 #上海逍遥 pic.twitter.com/Q8SP4lU8bm

2014-06-16 23:03:29
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黒色中国 @bci_

豫園を離れて南に下る。交差点の陸橋から南西を眺めると、このような景色が続いている。遠くには高いビルが見えるけれど、手前には見えない。この一体が、かつて城壁に囲まれていた上海の旧市街にあたる。私は上海の中でも特にここを愛する #上海逍遥 pic.twitter.com/0UC2fptUMi

2014-06-16 23:06:17
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黒色中国 @bci_

さっきの写真の手前にイスラム風の建物が見えていたが、ここにはモスクが2つある。こちらは「清真女寺」と書いてある。女性専用のモスクなのか…ちょっと中に入ってみよう… #上海逍遥 pic.twitter.com/iV7scv6E0p

2014-06-16 23:08:01
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黒色中国 @bci_

「上海市清真女寺」の紹介があった。元は1933年に建てられたイスラムの女学校で、抗日戦争中に活動停止…日本終戦後に再開し、1958年に別のイスラム女学校と合併され、住居として使用されたが、1993年に清真女寺として回復… #上海逍遥 pic.twitter.com/xDAWYU4Pcy

2014-06-16 23:14:02
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黒色中国 @bci_

▼この「清真女寺」について解説を加えると、1958年というのは、中共の「社会主義改造」が行われていた時期にあたる。住居不足解消のため、「合併」させられたのか。1993年頃は、改革開放の一環で、それまでに破壊・転用されていた中国各地の宗教施設が復元されていた時代にあたる #上海逍遥

2014-06-16 23:19:03
黒色中国 @bci_

さっきの説明書きでも、2010年の上海万博を迎えるにあたって、「大修」されたとある。そうやって多くの外国人の目に触れるとなれば、それまで破壊していた宗教施設をせっせと修復するわけだ。 #上海逍遥

2014-06-16 23:22:17
黒色中国 @bci_

上海市清真女寺の中の黒板。「民族団結共建文明社区」と書いてあった。 #上海逍遥 pic.twitter.com/dfjzUGBUkY

2014-06-16 23:24:27
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黒色中国 @bci_

黒板を眺めていると、後ろで物音がする。頭に布をかぶった老女が私を見ている。振り向いて、ゆっくり深々と頭を下げると、ニコニコと笑いかけてくれた。言葉を話さなくても、頭を深くさげれば、日本人であると、わかってもらえることが多い #上海逍遥 pic.twitter.com/nR4JVg5HuO

2014-06-16 23:27:48
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黒色中国 @bci_

中国の少数民族などが多い地域では、ゆっくりと動作すること、初めての人にはいきなり中国語で話しかけずに、深々と頭を下げて挨拶すること、この2つを私は習慣としている。いきなり中国語で話すと、漢民族と間違われるからである。 #上海逍遥 pic.twitter.com/a64EusAXJb

2014-06-16 23:30:39
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黒色中国 @bci_

清真女寺の側に、この建物がある。上に「1343」とあるが、これはイスラム暦だから、西暦になおせば1925年である。つまり、その頃に建てられた…ということであろう。その時代に、上海の下町近くには、イスラム教徒が多かったのか #上海逍遥 pic.twitter.com/mwTr279BRR

2014-06-16 23:36:23
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黒色中国 @bci_

「小桃園清真寺」とある。1917年に着工し、1925年に改築、1930年に完成とある。たぶん、1925年にさっきの写真の塔の部分が出来たのか。現在の形になったのは、1930年ということではないだろうか #上海逍遥 pic.twitter.com/Vnlg2W7amt

2014-06-16 23:39:54
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黒色中国 @bci_

中に入ってもいいのかな…と思って少し覗き込む。「すみませーん」と日本語で言ってみる…返事なし。「ウェーイ」と中国語で言ってみる…返事なし。開いてるから大丈夫じゃないかな?と思って、頭を下げて一礼し、恐る恐ると中に入ってみた #上海逍遥 pic.twitter.com/uurdSHcncO

2014-06-16 23:42:16
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黒色中国 @bci_

中に入ると、立派なお布施箱が… #上海逍遥 pic.twitter.com/rtmM7nq73E

2014-06-16 23:43:21
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黒色中国 @bci_

「小桃園清真寺」の紹介。文中に、「十年動乱中、寺院文物損毀厳重」とある。「十年動乱」とは文革のこと。寺院は激しく損壊させられたが、改革開放の宗教政策によって、修復された…ということだ。 #上海逍遥 pic.twitter.com/9k4riBKQoC

2014-06-16 23:48:18
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黒色中国 @bci_

小桃園清真寺に入ると、中庭があって、立派な礼拝堂があった。中は物音1つなく、テレビの音も、音楽も、話し声も聞こえない。門の外が上海の下町とは思えないほどに静まりかえっている。 #上海逍遥 pic.twitter.com/8HjR6JPxdY

2014-06-16 23:55:00
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黒色中国 @bci_

小桃園清真寺は文革時に激しい破壊にあったそうだが、こうして礼拝堂を見る限り、その破壊の痕跡は見られない。立派に修復したのだな…と思いながら、奥に進むと… #上海逍遥 pic.twitter.com/Rm5GhdEwon

2014-06-16 23:56:44
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黒色中国 @bci_

こんな石碑が壁に埋まっていた…文字がよく読めない。 #上海逍遥 pic.twitter.com/pjiSb61ZJo

2014-06-16 23:57:42
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黒色中国 @bci_

削り取られた跡か、埋められた跡か。建設からまだ100年経っていないのだし、風化したものではあるまい #上海逍遥 pic.twitter.com/FTO4Btzfh6

2014-06-16 23:58:58
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黒色中国 @bci_

かつては碑文が刻まれていたのだろうが、文字は判別できなくなっている。これが「10年動乱」の破壊の痕跡なのか… #上海逍遥 pic.twitter.com/5IOUA6gpBG

2014-06-17 00:00:14
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黒色中国 @bci_

こちらの碑文も読めない。たぶん建物は修復されたけど、石碑は破壊されたままで、それを文革の爪痕として、保存しているのであろう。後日知ったのだが、上海は中共建国以前に40近いモスクがあり、それが文革時には13まで減ったそうだ #上海逍遥 pic.twitter.com/GdghucI7Pj

2014-06-17 00:03:08
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黒色中国 @bci_

静かで立派なモスクであったが、その片隅には悲しい歴史の痕跡が残されていた。中国を観光するのは、色んな発見があって楽しいが、その随所に「影」が潜んでいる。中国の光と影…その両方を正視せねば、正しい理解はできない…と思うのだ #上海逍遥 pic.twitter.com/hzGeEKOiH9

2014-06-17 00:19:36
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黒色中国 @bci_

文革で破壊された石碑の前に立っていると、時間が経つの忘れてしまった。我を忘れて、ただずっと佇んでいたら、老人が側に立っていた。頭を深く下げると、老人はニコニコと微笑んでくれた。モスクを後にし、下町の散策を続けることにした #上海逍遥 pic.twitter.com/q83cZGpMLU

2014-06-17 00:31:40
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YAS @yas2000tt

確かにちょっと高めですね。物価上昇の波は正直ですね。“@bci_: 『店回家小炒』のメニューの裏。昔はもっと安かったけれど、物価の高騰でこの店も随分高くなった。 #上海逍遥 pic.twitter.com/Rr7sJc1HvO

2014-06-17 00:58:37
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黒色中国 @bci_

ここって観光客が来るようなところでもないので、ちょっと驚きでした @yas2000tt 確かにちょっと高めですね。物価上昇の波は正直ですね @ 昔はもっと安かったけれど、物価の高騰でこの店も随分高くなった。 #上海逍遥 pic.twitter.com/Gz8qbwUwpG

2014-06-17 01:31:08
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