140621 藤村龍至氏 縮小時代のアーキテクト 前向きな街の畳み方 ( #samt0621 )
まず、僕たちのような設計事務所のような立場では、藤村さんのように施設計画前の、政治の世界へ踏み込んで計画に参加することは難しいのだけど、それでも実務として、そして地域に根ざして公共建築を設計してる立場としてはとても共感できるし、同時に身につまされる内容だった。
2014-06-21 18:05:38確かに公共建築の寿命を迎えて、地方の建築は更新の時期に来てるのは間違いなくて、いま僕が担当してる計画なんかも50年前につくられた施設の建替え計画である。50年前の建築を刷新して次の50年後をいかに考えるかっていうのを試行錯誤したいのだけど、やっぱり設計事務所単独でやることではない
2014-06-21 18:08:02そういう意味でも、藤村さんが住民や行政を巻き込みながらプロジェクトを進めていく取り組みは、すごく高いレベルでの試行だと思う。そして質疑応答で言われていたように、地域性もあったりするから、同じ手法が別の場所でできる保証はなにもない。毎回が試行錯誤の連続になるのだろう。
2014-06-21 18:12:13そして藤村さんは政治の、そしてコミュニケーションのデザインにとどめるのではなく、建築の読み込むべきコンテクストとして浮かび上がらせるプロセスとしているのが特徴と言える。話の中でも「コンペの一発勝負では…」と何度か言ってたけど、いかにコンテクストを読み込むかを重要視してるのだろう。
2014-06-21 18:16:224年前の大阪での藤村さんの講演会ではプロセスの話に終始していたけれど、今回はコミュニケーションのデザインからコンテクストを浮かび上がらせ、設計の要素とすることの重要性を説き、両者は全然スタンスが違っているように見えながらやはり一本の補助線を引くことで結びつけられる。
2014-06-21 18:19:05僕はその補助線を「統合すること」だと考えていて。つまり、建築を濃密に統合させようと思うと、多くの要素を読み込むことが必要で、それを建築家の思考だけでなく、外部からもより多く集めることを、統合のプロセスとして考えているのではないか。
2014-06-21 18:25:42そう考えてみると、やはり藤村さんはプロセスの中から建築をつくりだそうとしてるっていうことが分かる。そういう意味でも氏の活動自体が相当レベルの高い超線形に思えてくる。
2014-06-21 18:27:32今日は120名定員のところ、200人くらいお集まり頂いたようで。入れなかった方、座れなかった方、どうもすみませんでした。
2014-06-21 22:02:28祖父はこの島を出て神戸の郊外へ、そこで育った父は東京へ出てその郊外へ出たため自分は大都市郊外の近代核家族で育った。そのため中山間離島地域の農村集落には縁がなかったのだが、一歩間違えば「そっち」の空間で生きていた可能性もある。濃密な共同体と場所がある世界。
2014-06-22 19:56:08日本全体がムラだった余韻のあった団塊の世代くらいまではそういうパラレルワールド感も強かったのだろうか。新全総とか列島改造論ってそういう想像力で読まないと大都市と農村とか、中央と地方の関係とか、ましてや「コミュニティ」なんてなかなか理解できない。
2014-06-22 20:00:02昨日の西山夘三文庫の講演で「前向きな街の畳み方」なんていうタイトルを掲げた結果、限界集落の話を期待して来た向きもあったようだが、そこで中山間離島地域の話はしません、大都市郊外の話をします、といってももとをたどるとあるところで繋がっている。
2014-06-22 20:06:24西山夘三文庫の先生方は私のプレゼンテーションをとても喜んでくださった。打ち上げでもそこにいた先生方がいろいろ誉めて下さったが、講演内容についてあんなに肯定されることはもう二度とないのではというくらいw
2014-06-22 20:13:32私を呼んで下さった増渕さんが神戸市の職員であったり、多くの先生方が行政職と研究職を横断する立場でいらしたこともあるが、私のやっていることが西山夘三研究室周辺の関心と接続するところがあるのかも知れない。団塊の世代であることや近代化との関係で生まれてきている議論ということも。
2014-06-22 20:18:54残念ながら昨日は諸々重なっており京大生はあまりいなかったようだが、私の一連の活動をみて頂いて西山夘三のことをどう捉えているのか議論してみたりすると面白いんだろうな。
2014-06-22 20:23:21