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「乞巧奠(きっこうてん)は冷泉家に伝わる旧暦七月七日の行事である。和歌の門人が中心になって催す行事で、技芸が巧みになることを二星に乞う祭典。乞巧奠は日の高い間に庭上でのあげ鞠という蹴鞠から始まる。梶の枝に結ばれ、神に供えられた鞠を足の甲で蹴り上げ、地に落とさないように(つづく)」
2014-06-21 22:35:52「(つづきから)受け渡しをする。庭には大きな台盤があり、星の座と呼ぶ二星への供え物、海山の幸を載せた土器、玉色の布、五色の糸、梶の葉、秋の七草、梶の葉を一枚浮かべ水を張った角盥、雅楽の楽器など。角盥は星を映して見る。蹴鞠の次は室内で雅楽。日が落ちる頃、灯台に向かい、(つづく)」
2014-06-21 22:43:02「(つづきから)和歌の献詠披講。披講は和歌を声に出して歌う儀式で、夕べの兼題の和歌を冷泉流で歌う。最後は流れの座という当座(即興)の和歌会で、彦星と織姫に擬せられた男女が、恋の和歌の贈答を繰り返し、鶏鳴を聞くまで楽しむ。」(「冷泉家 王朝の和歌守展」図録より抜粋)
2014-06-21 22:48:17昔は電気が無いからまぶしいくらいにたくさん星が見えたんだろうけど、趣きがあると思うのは、角盥の水に映して星々を見る楽しみ方だよね。天の星の実像と、角盥の星々の虚像と。水に映すことでお供えとしての意味があるんだろうけど。水は波が立つから、星々がゆらめいて見えるでしょ。
2014-06-21 22:53:00冷泉家では、新春の和歌会始や七夕の乞巧奠などの年中行事に、和歌を披講。時雨亭文庫というのがあって、そこに勅撰和歌集や私家集、宸翰消息、物語、文選などが収められる。ということだそうな。
2014-06-21 23:10:24文庫にあるというのが、有名なやつだと、古今和歌集や三十六歌仙の私家集、明月記とか。きらずりの料紙に描いた和歌が、カラフルな和紙を背景にした風景画みたいでとても綺麗だよ。
2014-06-21 23:15:01相撲節(すまいのせち)「『日本書紀』によれば、垂仁天皇7年7月7日に野見宿禰と当麻蹶速が力を争ったとされるのがはじめとされる。相撲節に先立ち、2、3月ごろ左右近衛府より国々へ相撲部領使を遣して相撲人を集める」(『有職故実大辞典』吉川弘文館)より抜粋)
2014-06-21 23:26:02相撲節は平安時代に断続的に続いたみたいで、一旦は後白河天皇の保元3年(1158年)に再興したが、承安4年を最後に廃絶した、とある。昔は七夕のときに相撲をやってて、その後はずっと長いこと、宮中行事としてはやってなかったみたいだよ。
2014-06-21 23:30:25今挙げた相撲人を集める左右近衛府もそうだけど、左大臣右大臣もそうだし、だいたい昔から官職はペアになってて、昔のことだから少なからずは陰と陽の考え方の影響はあろうけど、しかしこういう工夫も何事も、一種のバランス感覚ではないかと気づいた。
2014-06-21 23:34:43日本の七夕のお祝いの仕方は中国から来てるから、ここらへんの国々はそういうような習慣があるし、未だに短冊に願い事書くでしょ。去年かなキタエリとか、すごい切実な願い事書いてたの画像で見たし。こういうときはみんな手書きで書くから、その人の字を見比べるのが面白い。
2014-06-21 23:44:23春水堂のとあるお店がちょうどいま七夕ランタン祭で、短冊にお願い事を書けるよう店内で配布してる。店内には、先日冷泉家の年中行事で触れた乞巧奠のことが書いてあって、日本の棚機と中国の乞巧奠と習合したものが七夕の始まりと伝わるということで。 pic.twitter.com/MI9PHGTMFZ
2014-06-29 15:47:20