「日本的リベラル」 toriiyoshikiさんのTweet

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佐々木俊尚 @sasakitoshinao

「原発は絶対安全なのか?」とゼロリスクを求めた結果、架空の安全神話を原発に生みだしてしまった構造と似てるなあと思いますよ。非論理的な極論は、議論を成立させない。結果として強行突破や架空のゼロリスク論を生み出してしまう。

2014-07-03 09:45:18
toriiyoshiki @toriiyoshiki

「集団的自衛権」というのは単純化していえば「アメリカが始めた戦争に日本がつきあうこと」。対中国・韓国など東アジアのパワーバランスには事実上何の関係もない話だと理解している。識者、ジャーナリストのなかにも、そのあたりが未整理なまま発言している方がいて、この問題

2014-07-03 10:22:36
toriiyoshiki @toriiyoshiki

もうひとつの問題は交戦権を否定した現憲法下における「自衛」の意味を、憲法改定はおろか、本格的な国会審議すら経ることなく、閣議決定をもって野放図に拡大してしまうという政治手法の問題点。…つまり、集団的自衛権をめぐる対立を理想主義対現実主義と整理してしまうこと自体が間違っている。

2014-07-03 10:31:56
toriiyoshiki @toriiyoshiki

「間違っている」というか、意図的に歪めて設定された議論の枠組に乗っかってしまうことだと思うのだが…。

2014-07-03 10:33:13
toriiyoshiki @toriiyoshiki

「原発は絶対安全なのか?」とゼロリスクを求めた結果、架空の安全神話を原発に生みだしてしまった…という佐々木俊尚さんのtweetは前提となる事実認識が誤っていると思う。「安全神話」は住民サイドがゼロリスクを求めた結果ではないからだ。自分が取材しているところだから、少々こだわりたい。

2014-07-03 10:48:04
toriiyoshiki @toriiyoshiki

原発は事故が起こった場合のリスクを正当に評価したら経済的に成り立たない。そのため、原発建設を推進したい国や電力会社は「原発事故は起こらない」ことにした。「起こっては困る」ことは「起こらない」とする日本陸軍以来の伝統的思考法。その結果、作り出されたのがいわゆる「安全神話」なのです。

2014-07-03 10:54:34
toriiyoshiki @toriiyoshiki

日本の原子力開発の最大の問題は、この「安全神話」を始め、(事故を想定した途端に崩れる)「原発は経済的」神話、問題の先送りに過ぎない「核燃料サイクル神話」(最終処分場を受け入れる地域があるはずない)など、幾重にも架空の前提(フィクション)を積み上げたうえに成立していたことだと思う。

2014-07-03 11:01:40
toriiyoshiki @toriiyoshiki

「家めし…」など佐々木俊尚さんの著作は極めて知的刺激に富み、かつ実践的で面白く読ませていただいているが、政治的論考の面では違和感を感じることも少なくない。佐々木さんはある意味「リベラル」に期待しすぎて、結果として現実の「日本的リベラル」を藁人形化している傾向があるのではないか。

2014-07-03 11:11:28
toriiyoshiki @toriiyoshiki

例えば「日本的リベラル」の特徴として「反経済成長」をあげているのがそうで、実態とのズレを感じる。「リベラル」と規定するかどうかはぼくにはどうでもいいことだが、いまの日本の政治的対立軸の根底にあるのは「経済成長」対「反経済成長」という枠組ではない。

2014-07-03 11:14:50
toriiyoshiki @toriiyoshiki

それはむしろ「経済成長」に至上の価値を置く、言い換えれば「経済成長なくして国の豊かさは実現できない」と考えるか、「経済成長を否定するわけではないが、それはもう無理でしょ」ないしは「限界があるでしょ」と考えるかの対立だとぼくは捉えている。

2014-07-03 11:18:45
toriiyoshiki @toriiyoshiki

ぼく自身は様々な現場取材を通して、経済成長はすでに限界に達しており、局面はゼロサムゲームに移行していると認識している。つまりパイが拡大しない以上、さらなる経済的利益の追求は貧富の格差など矛盾の拡大にしかつながらないということだ。であれば「衰退化における豊かさ」を模索するしかない。

2014-07-03 11:23:42
toriiyoshiki @toriiyoshiki

こうしたぼくの考え方は内田樹さんが「街場の憂国会議」の「株式会社化する国民国家」で提示したスタンスに限りなく近い。内田さんの本を読んで影響を受けたというより、ぼくが現場取材を通してたどり着いた(現時点での)認識が内田氏の理論的な考察と結果として重なり合ったということだ。

2014-07-03 11:29:25
toriiyoshiki @toriiyoshiki

内田氏やぼくの「経済成長(=経済的利益の追求)には限界がある」し、「共同体は経済的利益の追求に奉仕すべきではない」との考え方は、佐々木俊尚さんのいう「反経済成長」の「お花畑リベラル」と一見似ているようで全く違う。むしろ、それは徹底的にリアルな現状分析に基づく針路選択の問題なのだ。

2014-07-03 11:39:09
toriiyoshiki @toriiyoshiki

最後に。ぼくは日本国民(市民でも生活者でも呼び方はどうでもいい)が「衰退」を自明の前提として受け入れることができれば、この国の政治や暮らしは随分風通しのいいものになると思っている。社会的矛盾の多くは無理筋の経済成長追求から来ていると思うから。そろそろ成熟社会を目指すべきじゃない?

2014-07-03 11:59:42
toriiyoshiki @toriiyoshiki

経済の衰退を前提としたとき、重荷を背負わされる格好になる若い世代から反発が出るのはある意味で当然。しかし、高齢者の側には、自分たちが必死で働いて現在の「豊かさ」を築いてきたのに恩恵に浴するばかりの若い連中が何をいうかという憤りもあるだろう。世代間対立と分断は不毛だと思うけどなあ…

2014-07-04 09:30:39
toriiyoshiki @toriiyoshiki

「平家物語」ではないけど「盛者必衰の理」ってやつだね。古来、永遠に栄えた国や社会はない。坂道を登ればやがて頂きに至り、そして下り道になるものだ。誰の失態でも責任でもない話。ただし、衰退を認めようとしなかったり、そのために適切な対処を怠ったりするなら、事態を悪化させる責任が生じる。

2014-07-04 09:37:01
toriiyoshiki @toriiyoshiki

だから責任は過去に対して問うものではなく、いまを生きる我々が今後生まれてくる世代のために背負うものではなかろうか。そういう岐路に日本の社会は立たされていると思う。

2014-07-04 09:40:54