佐藤正美Tweet_20140616_30

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佐藤正美 @satou_masami

もしSEが事業設計者たらんとすれば、自分のモデル作成力を弱める結果になると私は言いたい。さらに、そのモデルは出来の悪いものになるはずだと断言しても間違いはないだろう。モデルは事業の営為・手続きと同化されるべきものではないし、もし同化されれば、それはモデルとは違うものである。

2014-06-25 18:28:54
佐藤正美 @satou_masami

普通なら文の記述は、「事実」によって言葉へと赴く。しかるにモデルでは、言葉(記号)によって「事実」に到達する。

2014-06-25 18:28:15
佐藤正美 @satou_masami

システム・エンジニアはアルゴリズムを作る職であった。ところが、いつのまにか、事業設計者を粧うになった。それ以来、モデルは大してアルゴリズムとは縁がなく、諸概念に頼るものになった──自分の経験が豊富でありさえすれば。こうしてSEが続出して、膨れあがった。膨れたのはSEの慢心である。

2014-06-25 18:27:39
佐藤正美 @satou_masami

モデルでは、事態をありのままに模写する──そもそも、そんな事はできるだろうか?──のではなくて、「論理」が事態を表象してゆくのである。事態を写すのではなくって、事態がそうある条件を記述するのである──諸条件の論理的編成、それがまさしくモデルの意義でなければならない。

2014-06-25 18:27:02
佐藤正美 @satou_masami

事態は、観る者の先入観に囚われる事なき思考の中にあってはじめてその同質性(同質の条件)を表し、個個性は、その得たる結果の「解釈」(値の充足)にあたってはじめて見出される。

2014-06-23 20:57:12
佐藤正美 @satou_masami

数学者は、事態を見るのに、私のような見かたはしない。事態の関係を探究していく(構造を探る)。そういう処だけを見ている。本当は我々の目にもそういう処以外の何物も映ってはいないのであるが、我々はそうとは意識せずにいるだけである──パッと見た時の印象に我々は先入観を宛がってしまう。

2014-06-22 14:27:09
佐藤正美 @satou_masami

アルゴリズムは論理によって鍛え上あげられた。そういうアルゴリズムが整合的にあるのは、モノが何らの性質をともなわずに条件として定立できる事、それに、条件のあいだが必要十分条件になっている事に、もっぱら由来する。そのために「関係」が、つまり「構造」が、目につきやすくなる。

2014-06-22 14:27:51
佐藤正美 @satou_masami

「文『雪は白い』が真であるのは、雪が白い時、そしてその時に限る」という真理条件(事実的 F-真)は、記号というものに信頼すると空疎な抽象的なものになってしまう観念がモノに触れて生命と意味を取り戻し、何物かを掴まえさせるに至るという至極当然の事を如実に語っている。

2014-06-22 14:28:37
佐藤正美 @satou_masami

現代のマスコミのなかに生息する批評家は、「聞き手(あるいは読み手)を退屈させやしないか」という神経症を患っている。技術とその論では、或る程度の退屈なしには、相手の思考を誘い込む事ができない。退屈でないのは、熟練(くり返し作業)のなかで、工夫を続けるという事を忘れてはならない。

2014-06-22 14:29:21
佐藤正美 @satou_masami

対象──モデルを例にしてもよい──を愛するが故に、その情熱が色々な想像物を繁殖させる。あるいは、暇人が ひやかしの批評をするからこそ、言い草も作り話になってしまう。

2014-06-23 21:01:09
佐藤正美 @satou_masami

事態(出来事)の視覚・運動上の外形たる印象(心像)を離れて、その限定された領域において、その法則を統一して、それ観察者(SE)の立つ場・時とは独立したものと為すためには、ユーザ言語を素材にした(形式的)モデルよりほかにはソリューションの指針はないのではないか。

2014-06-23 20:56:29
佐藤正美 @satou_masami

モデル上、先ずはじめは、言語を単なる記号として対し、これを一種の計算として読み、また読み返すべきであって、「意味」はその一連の計算が表す「関係」をいったん掴んだうえではじめてこれに値を移し入れるという手続きをとる。

2014-06-23 20:58:01
佐藤正美 @satou_masami

私の思うには、一つのモデルを「解釈」する最も確かな法は、はじめはそこに何が描かれているかはいっさい決めない事、そして並べられた箱(主題、集合)のあいだにある「関係」を一つ一つたぐりつつ、ついに事業の構造(構成条件)に、ついぞそれまでには知らなかった「意味」に、辿り着く事である。

2014-06-23 20:58:49
佐藤正美 @satou_masami

私はモデルTMを説明するに(モデルの専門家を相手にしない限り、)数学的説明をしない──無味乾燥な理屈責めに引き入れる事を嫌っている。それよりも、もっと単純な技術のほうが、いっそう役立つと思われる。しかし、なまじモデルらしきものを知っているSEたちには、それが単純すぎる様である。

2014-06-23 20:59:36
佐藤正美 @satou_masami

技術を単純にする事は、それで充分難しい一つの仕事なのである。

2014-06-23 21:00:29
佐藤正美 @satou_masami

「独創的な論を立てたい」、そういう仕事をする事の経済的・精神的な負担は、労苦を誇張させて肩に力が入る──自分が独創的な仕事をしている様に錯覚して、ひとり気負い立っている。自分がエンジニアとして当然すぎるほど当然の事をやっているのだという自覚が芽生えたのは50才をすぎていた。

2014-06-23 21:01:56
佐藤正美 @satou_masami

正しいモデルを制作する事、それは同時によく考え、よく表現する事である。したがって、モデルは、論理規則の結集を前提とする。

2014-06-23 21:02:36
佐藤正美 @satou_masami

概念に凝ってクラス制作にあくせくしているとモデルが描けない。それに(概念に)装飾を施してしまうおそれもある。システム・エンジニアが制作するのは、事業の正確な写像であって、美しい作品ではない。

2014-06-23 21:05:04
佐藤正美 @satou_masami

「論理」は透明な塗料の様なものである。下地の色を変色させたり、事実を変質させたりしてはならない。そして、システム・エンジニアの唯一の仕事は、文法(構文論)を遵守する事で、「意味」は後からやって来る。

2014-06-23 21:05:44
佐藤正美 @satou_masami

無論、論理規則はモデルの価値を為す──しかし、それは意識されずに過ぎる様なものでなければならない。

2014-06-23 21:06:37
佐藤正美 @satou_masami

真であるためには、モデルは現実の写像でなければならない。当たり前に事だって? 抽象化が時に邪魔をしてはいやしないか。

2014-06-23 21:07:58
佐藤正美 @satou_masami

モデルは、一つの客観的な叙事である。システム・エンジニアは、それを自分の流儀で取り扱う──問題は、ただ、一つの流儀(「論理」)を持っているかどうかという点にある。

2014-06-23 21:07:20
佐藤正美 @satou_masami

少なくとも、私は、事業を営んでいる人々の役に多少でも立ちたいがためにモデル技術を作って来た。けれども、それはシステム作りに悩んでいる人々の治療薬(強壮剤ではない)としてだけだ──悩みなき人々にとっては、ただの能書きであるにすぎない。

2014-06-23 21:09:35
佐藤正美 @satou_masami

取引は後続し、数々のモノがそれらの取引に関与して事業は営まれている。そこには統制がある。事業がいかに巨大になろうとも、それは曲がりなりにでも考えられたものであるはずだ。それらの素材が見せるあらゆる現実的な組み合わせ(関係)が把握できるまで、モデルを論理的に構成してみる事である。

2014-06-25 18:22:26
佐藤正美 @satou_masami

構文論が先で、意味論は後──こういう論理展開の真の力は、いくつかの公理を前提にして導出され、時に修正を余儀なくされる証明そのもののなかにはなく、先ず寧ろ外界(現実、事実)と形式的構成物のあいだには、写像的(あるいは条件的)一致があるという「関数」観念(理論式)の確信のうちにある。

2014-06-25 18:23:06