佐藤正美Tweet_20140616_30

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佐藤正美 @satou_masami

「関係」そのものが、当の行為を表すのであって、すなわち事物が関与した道筋を明らかにするに準じて、事態はまさしく事態となる──つまり、事態の構成が明らかとなる、他のすべてのモノとの関係が限定されていく訳だから。モノの存在理由として、運動(関係)を考えてほしいということ。

2014-06-25 18:24:27
佐藤正美 @satou_masami

モデルTMは幾度も修正されて来た。その修正では、いつも根底から考えかたを疑って来た──喩えれば、泥の底をかき回す様な仕事だった。そのために頭のいい人たちがTMの理論を読むと不安を覚えるらしい。しかし、私はいつも全体を揺さぶる事から始める──何遍もやり直す、技術を単純にするために。

2014-06-25 18:23:43
佐藤正美 @satou_masami

行為をしている人々は、当の行為しか念頭にない。行為によって受けとめる事ができるのは自分の身体だからである。営業の人々は営業しか考えないし、製造の人々は製造しか考えない。舵手のとっては舵だけが船であるという事情にそれは似ている。SEがその事に不満を言うのは、SEの都合でしかない。

2014-06-25 18:25:07
佐藤正美 @satou_masami

如何なるものも──たぶん、そう言い切ってよいだろう──、適切な時と適切な所に置かれて真でないものはない。逆に、適切な時・所から離れて真なるものはない。ゆめゆめ「関係」を疎かにしたもうな。

2014-06-25 18:26:23
佐藤正美 @satou_masami

「論理」は、我々をその元来の性分から引き離すのだから、これは大した事である。しかし、そういう「論理」の世界にも俗物というものは在るもので、俗物は自分と異なる説を否定するばかりでなくて、他の人々も自分と同じ考えかたをすべきだと思っている。そういう人を私は、最近、見た。

2014-06-25 18:25:44
佐藤正美 @satou_masami

経験豊富なSEならば、おそらく、誰でも自分の経験を拾い集めて、立派なモデルを一つや二つ作る事ができる。なぜなら、モデルとは事態の写像に他ならないからである。だが、そういうモデルらしきもの(パターン)は眼前の事態の写像でない。対象(現実の事態)が存しなければ、モデルは存しない。

2014-06-25 18:29:38