渡邊芳之先生ynabe39の「この「意図してない差別」は批判されるべきでないのか,というのは実はかなり大きな問題だ。」

だからさあ「この言葉を言ったら差別になる」とか「この言葉なら差別にならない」なんてないのよ。あなたが差別してればどんな言葉も差別になるし差別してなければどんな言葉でも差別じゃないのよ。 by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

それも岡谷で。 RT @hiroshigondo: 言葉なんか狩るよりギャルを狩りたい(理想は高く

2011-06-22 14:59:46
渡邊芳之 @ynabe39

個人それぞれの努力だけでは構造はなくせないんですよね。これは必ず「政治的」な問題になります。 RT @yinoi: 今無いから、少しでも近づきたいと願い、言動しようと心がけています。先生の教えです。

2011-06-22 15:08:57
渡邊芳之 @ynabe39

差別というのはする側も「よく目に見えない構造によって差別させられている」ものだと思う。「被差別者への悪意があって差別している」のではないことのほうが多いのが差別の深刻さだし,その意味で差別構造の被害者は被差別者だけではないはずだ。

2011-06-22 15:17:43
渡邊芳之 @ynabe39

「自分もいつ誰を差別してしまうかわからない」という不安自体は悪いものではない(むしろ持つべきだとすらいえる)。しかしその不安のはけ口や責任が「差別を訴える当事者への反感や敵意」につながってしまいやすいのは「構造の問題」だとしか言いようがない。

2011-06-22 15:22:45
渡邊芳之 @ynabe39

とりあえず考えたことは全部書いた。

2011-06-22 15:22:59
渡邊芳之 @ynabe39

それはそのとおり,そのとおり。RT @yinoi: もちろんそうです。が、政治ですら、一人ひとりの言葉で伝わり、行われています。言葉の意味、用法を少し考えるだけで、誰でも一歩、自由になれるし、してあげられる。

2011-06-22 15:35:22
渡邊芳之 @ynabe39

「なんでも差別差別って言うな!」とか「お前らが差別って言えばなんでも差別なのかよ!」とか。RT @o_masako: すみません。急にわからなくなってしまったんですが「差別を訴える当事者への反感や敵意」の具体例ってどんなことですか?

2011-06-22 15:39:43
渡邊芳之 @ynabe39

差別を認めるためには侵害された権利の存在が必要で,権利の侵害を主張できるのは第一義的には当事者であるという点では「差別である可能性は高い」。 RT @10CHF: 「お前らが差別って言えばなんでも差別なのかよ!」 これ前から疑問だったんですが、どうなんでしょうか?

2011-06-22 15:56:29
渡邊芳之 @ynabe39

逆に「当事者にとってではない差別」とはなにか。 RT @10CHF: その「差別である」というのは、前に先生が仰っていた様に「当事者にとっては差別」ですよね? 

2011-06-22 16:08:59
渡邊芳之 @ynabe39

現にその差別の当事者は存在しないが差別そのものは存在するということはあるだろうか。

2011-06-22 16:11:02
渡邊芳之 @ynabe39

そういう主張については私は賛成しないと前から言っています。「その言葉は私にとって差別であるので私には言うな」は常に正しいけど。 RT @10CHF: 「私はその言葉を差別語と感じるので誰も使うべきではない」みたいな主張を想定しての質問でした。

2011-06-22 16:12:30
渡邊芳之 @ynabe39

「デジタル大辞泉」によると「取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと」だそうです。 RT @kyos1704: ちょっと、初歩的で申し訳ないですが、差別、の定義ってなんなんでしょう?

2011-06-22 16:16:12
kyos @imag_k

@ynabe39 不当に、ですか。ありがとうございます。イマイチ区別することと差別することとの差がわからなかったのです。だとすると、理由があれば差別ではない?さをつけた理由が説明できればいいということでしょうか?

2011-06-22 16:18:48
渡邊芳之 @ynabe39

それと同様のあるいは関連した差別の当事者がすでにいなくてもそうでしょうか。 RT @climbing_there: 故人を対象にした歴史の逸話は当事者が存在しないけれども差別観念だけが残っているんではないでしょうか。

2011-06-22 16:18:49
渡邊芳之 @ynabe39

@kyos1704 それは「客観的にどう」ではなくて「その区別とその結果に不服を申し立てる人がいる」ならば差別とされ,権利の侵害が明らかであれば「区別自体に理由があるか,その理由が正当か」は関係ないのではないかと。

2011-06-22 16:21:21
渡邊芳之 @ynabe39

「理念としての差別」というのはとても難しい性質を持ったものだなあ。

2011-06-22 16:21:49
渡邊芳之 @ynabe39

差別を理念としてとらえようとすると間違うのかもしれないなあ。

2011-06-22 16:24:12
渡邊芳之 @ynabe39

なので「差別とされる」かどうかは権利の侵害が明らかであるかどうか以前の問題という意味で前半に書き,後半に権利の侵害があれば「(区別の)理由の正当性」は関係ないと書きました。 RT @kyos1704: 権利の侵害が明らかであれば、というのは、客観的な気がしますがどうでしょう?

2011-06-22 18:54:02
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「誰かの正義」じゃない「普遍的な正義」なんてあるのだろうか。

2011-06-24 12:01:20
原信平 @hara_shinpei

募金詐欺が横行すると募金そのものを眉唾で見るようになる。これは差別糾弾なんかも同じですね。差別でもないものを差別だ差別だと吠える人や組織が増えると、ほんもののの差別を指摘している人まで胡散臭く見えてくる。結果として本当に困っている人が救済されにくくなる。全く同じ構図です。

2014-07-10 09:46:21
渡邊芳之 @ynabe39

こうした論ではまず「(誰かによって差別だと主張されているが)それは差別ではない」という判断が先にあって、それが差別であることを否定するために「それがほんとうの差別の解消を妨げる」という主張がされるのだと思う。

2014-07-11 11:57:34
渡邊芳之 @ynabe39

同じように「それは貧困ではない」「それは弱者ではない」ということを言うために「ほんとうの貧困」や「ほんとうの弱者」が引き合いに出されるという仕組み。

2014-07-11 11:57:43
渡邊芳之 @ynabe39

AだからB、と書いてあるけど本音はBだからA、不正だからダメと書いてあるけど本音はダメだから不正、というようなことはすごく多い。

2014-07-11 12:09:38
渡邊芳之 @ynabe39

そういう主張をしている人に「ニセ差別」をリストアップさせたら次々と挙げることができるだろうが「ほんとうの差別」を具体的に挙げさせるのは難しいと思う。自分の知っている差別を「ニセ差別」だと言いたいことが主張の趣旨だからだ。

2014-07-11 12:15:23
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