渡邊芳之先生ynabe39の「この「意図してない差別」は批判されるべきでないのか,というのは実はかなり大きな問題だ。」

だからさあ「この言葉を言ったら差別になる」とか「この言葉なら差別にならない」なんてないのよ。あなたが差別してればどんな言葉も差別になるし差別してなければどんな言葉でも差別じゃないのよ。 by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

それはおっしゃるとおり。だから私は「意図の有無や意図の内容をあまり重視すべきでない」と思います。 RT @yinoi: 行動の結果と意図は、相手にとって往々にして同じではないでしょう...(誰にモノを言ってる俺)

2011-06-22 12:38:28
渡邊芳之 @ynabe39

そうとも言えるし「意図していなければ行為者に責任がないわけではない」とも言えます。RT @yinoi: すみません、お教えください。それは「行動者の意図が行動に現れているとは思い込むな」という意味でしょうか?

2011-06-22 12:43:13
渡邊芳之 @ynabe39

それはすこし違うんじゃないかなあ,と思います。少し考えて考えがまとまればあとで書きます。RT @MangKung: いわれのない要求を強いられた者が『差別された者』です。どうやったら差別しないで済むかわからない者に「差別するな」と押し付ければ差別です。…

2011-06-22 12:44:20
渡邊芳之 @ynabe39

なら同じです。で話は前に戻って「まだ起きていないことについて批判されることが不愉快なのか」ですね。 RT @yinoi: 意図がどうであれ、行為に責任はつきものでしょう。それは問題としていません。

2011-06-22 12:49:14
渡邊芳之 @ynabe39

基本的なこととして「差別される者は差別していないというわけではない」ということもあります。それも含めて考えていただけるとありがたいです。RT @yinoi: …前提にまだすり合ってないものを感じますので、もう少し考えたいです。

2011-06-22 12:51:16
渡邊芳之 @ynabe39

それはあなたとその学生との個人的な関係の文脈に大きく影響されます。個別の事象について「これは差別なのか差別でないのか」と「判定」しようとするのは「言葉狩り」と似ている気がします。@kkitagaw

2011-06-22 12:57:27
渡邊芳之 @ynabe39

「差別者と被差別者」がそれぞれ別々に存在しているなんてことはないんだ。ある文脈では被差別者である人が別の文脈では差別者であることもいくらでもある。差別と被差別の構造は複雑に入れ子になっている。それを「言葉狩り」などで単純に解決できるはずはない。

2011-06-22 13:01:16
渡邊芳之 @ynabe39

私はあなたの先生ではないしあなたは私の生徒ではありません。いったい何を期待しているのか。 RT @wakabafukada: 小学校や中学校の先生が、生徒に「死ね」と発言したらどうなるでしょう?間違いなく新聞記事になりますよ。自分の職業が社会に与えている影響を…

2011-06-22 13:03:56
Katsumi Kitagawa @kkitagaw

@ynabe39 ちなみにその後、麻雀をやって私が緑一色をあがり、ボロ勝ちしたのも嫌われた原因かもしれません。その後、その方は私の(後の)奥さんの小学校からの同級生とわかり、私の親友の親友でしたので、和解というか自然に仲良くなりました。私は以後そういう発言には気をつけています。

2011-06-22 13:04:00
渡邊芳之 @ynabe39

@kkitagaw 相手がいやがることを言わないのは差別がどうのこうの以前の思いやりです。ただしそれは個人的な関係の中で成立することですよね。

2011-06-22 13:04:57
渡邊芳之 @ynabe39

「何が差別であるかが文脈によって異なる」という大きな不確実性に差別を糾弾する側も糾弾される側も耐えられなくて,前者は「攻撃しやすい典型例」を求めるし後者は「差別といわれないためのわかりやすい基準」を求める。その結果のひとつが言葉狩りだと思う。

2011-06-22 13:22:16
渡邊芳之 @ynabe39

まあふつうみんなそうですよね。 RT @satohi11: 「めんどくさがりでこわがり」な人が多いってことですね。

2011-06-22 13:25:25
渡邊芳之 @ynabe39

どの人が官僚なのよ。 RT @dogeHiromi2: @yutakioka オリンピックで「JPN」という凶悪な差別用語と日本差別を広めているのは、貴方のようなエリート官僚じゃないんですか?

2011-06-22 13:30:09
渡邊芳之 @ynabe39

もともと「ことば」というもの自体にどれだけ文脈から独立の固有の意味があるだろう。「ことばの意味」とは辞書に書いてあることだけではないということは誰でもわかっていることなのに。

2011-06-22 13:40:56
渡邊芳之 @ynabe39

まあ時間的文化的スパンの大きい文脈は「普遍」と思われやすい。 RT @yutakioka: 辞書に書いてあることも、辞書に書かれるという(歴史的・権威的)文脈ですよね、それでも「辞書に書いてある」を根拠に意味を決定的と考える人がたまにいますよね。

2011-06-22 13:44:53
よつ @coomix

@ynabe39 渡邊先生のツイッターを拝見していると、発言なさっている(個人としての)先生と、観察者として成り行きを興味深く見守っておられる(研究者としての?)先生が同居しておられる感じがします。常に研究している、とはこういうことなのか、と思います。俯瞰の視点、私も努力します。

2011-06-22 13:46:28
渡邊芳之 @ynabe39

@coomix そんなたいしたものではありません。

2011-06-22 13:48:37
ノロワレ @cursed_steven

辞書に書いてあることは、言語学方面やあるいはその他何らかの専門領域ではいざ知らず、少なくとも現時点の日常会話においては決定的なんではないのかしら(・ω・) あーでもそういうのは限定的とも言えるか。

2011-06-22 13:48:54
渡邊芳之 @ynabe39

@cursed_steven 語義として羅列されているもののうちどれが「いま使われているこのことばの意味」なのかを判断する情報は辞書にはほとんど書いてないじゃないですか。

2011-06-22 13:50:56
渡邊芳之 @ynabe39

@yutakioka もともと「差別を受ける側に文脈的な事実に基づいた差別の申し立てをさせない」ようになっているようにも感じます。「文脈で判断」を認めるといつ誰が何によって差別を指摘されるかわからなくなり「世間」の方が困ります。

2011-06-22 14:38:25
渡邊芳之 @ynabe39

「意図してるだろう」などと誰も決めつけていないのでは? むしろ「意図しなくても差別していることはあるし,これからも意図しないで差別する可能性がある」と言われているのだと思います。少なくとも私はそういう意味で言っています。 RT @yinoi

2011-06-22 14:41:53
渡邊芳之 @ynabe39

もともと「差別を意図しなければ差別でない」なら,差別の問題はこんなに面倒ではありません。「差別を意図しなくても差別である」ことがありうるから言葉狩りみたいなことも正当化されるわけです(言葉狩りという方法自体には反対ですが)。 @yinoi

2011-06-22 14:43:56
渡邊芳之 @ynabe39

差別というのは個人の意図とか個人の行為の問題よりも「構造」の問題です。もともと差別の構造がない場では個人の発言や行為はとても自由になります。 @yinoi

2011-06-22 14:46:56
渡邊芳之 @ynabe39

そんなの実在しないと思いますけどね。 RT @yinoi: 差別の構造の無い場、ですか。

2011-06-22 14:51:42
渡邊芳之 @ynabe39

差別というのはもともと社会の構造なのにそれを個人の意図や行為に還元してしまうことには私も反対です。言葉狩りもそういうもののひとつ。 RT @yinoi: 一方、「差別」の実情は「先に言った者が勝者」のようにもなっています。

2011-06-22 14:54:50