少し、懐かしい夢を見た。その人がいなくなった頃の記憶だった。怒りと悲しみ、それに寂しさが沸き起こる。涙は出ない。僕の目は、いつからか、涸れ果て干上がってしまったらしい。 瞼を上げると、見たこともない、灰色の風景が広がっていた。真っ暗闇の夜ではなく、人工の灯に照らされた街でもない。
2014-07-14 22:46:52色のない光は外から差し込んでいるらしい。遠く離れても、遮るものがあっても、大気に溶けて広がり、満ちる力を持つ光。同じくらい強い光を、ひとつ知っているけれど、この色はそれとは違う。 長い癖毛のようなシルエットの、ふわふわの羽毛の塊が揺れる。僕の見た太陽と同じ、淡い黄色を帯びた白。
2014-07-14 22:47:02僕自身の色だけは、あの常夜の世界でも、いつだってはっきり見えていた。それは、その人とはぐれてからのこと。太陽を見た、そのときから、僕は『陽光』だった。 暗闇の中で見るのでなければ、街に暮らしていた頃と同じだな、と思った。僕の姿は風景から浮かび上がるでもなく、ただここにある。
2014-07-14 22:47:13両腕――ではなく、肩の先にあるのは両翼。翼を広げるには、この【通路】は狭すぎるように感じた。 建物の中は、窮屈だ。その窮屈な空間で、僕は自分の体を抱いて目を閉じた。 ゆらり、僕の身体から陽炎が立ち、風が起きる。吹く、というより流れる空気が、あたりを撫でて、その様子を僕に伝える。
2014-07-14 22:47:25「広いところ……高いところがいい」 誰にともなく、呟くように言葉を零す。その人がいなくなってから、僕の話し相手は、僕だけになった。 「そうだね。ここにも、太陽はあるかもしれない。――……?」 そうして、その人の名前を呼ぼうとして、気付いた。思い出すことができないという、事実に。
2014-07-14 23:06:11名前だけじゃない。顔も、声も、たった今夢に見たばかりだというのに、記憶が虫食いになったように欠けている。 「……僕は……」 その人のことばかりじゃない。 「……なんて、呼ばれてたっけ……?」 僕自身についても、僕はほとんど、思い出すことができなかった。
2014-07-14 23:06:24僕は、いなくなったその人を、探し続けている。それは、間違いない。そう思う。それだけは、確かだ。確かであってほしいと思う。 その人を探すために、僕は、あの常夜の世界に帰らないといけない。 「……広いところがいい。高いところがいい。行こう」 僕は僕に語りかけて、裸足のまま歩いた。
2014-07-14 23:06:39通路
【通路】 長い長い茶色の髪の人物が、自分の髪の毛に埋もれるようにして眠っている。 「んん……」瞼が震え、緑白色とも灰色ともつかない、白土の色が現れる。驚いたような声をあげて、酷く眩しそうに目を細めた。
2014-07-14 22:47:05(……夢じゃない、『分かってる』。ここは、私の世界とは違う、別の場所) 夢よりも現実味のない光景、しかし生身に訴えかけてくる現実の感覚。ここは自分の世界ではない。 (……帰らないと) 豊穣の女神、国の守護神、アルデフィーダ。女神と慕う、彼らのいるところへ、帰らなければ。
2014-07-14 22:49:23衝動が囁く。「誰かを殺さなければ消滅する」と。感覚が告げる。「最後の一人になれば戻れる」と。(……こんなのは、違うのに)自分の性質を思い出し、しばし瞠目する。 これは削り合い、奪い合う行為だ。総計は変わらぬまま。本来つながらないものをつなぎ、総計を増やす力とは、考え方が違う。
2014-07-14 22:55:22『誰かを』? 一体、誰を? きっと、同じ状況の者がいるのだ。彼らもまた、存在がかかっているのだろう。(……誰かを殺す、なんて、やったことがない) 「……どうしよう」口に出して呟く。勿論、答えが返ることもない。
2014-07-14 22:55:52『死ねない』『生きていたい』『帰りたい』。叶わぬかもしれない希望など、持ったことがなかった。いつも、満たされていた。希望したときには、それはもう与えらていた。そうでなければ、自分で得ていた。こんなに、何をしたらいいのか、分からないのは初めてで。
2014-07-14 22:58:22「……うう」全身を覆うような長さの髪の毛を触る。戦う、なんてとても無理だ。掴まれたら終わってしまう。切るべきだろうか。手近に、切れそうなものもなく。はた、と気付く。何も、ない。ただ、ぼんやりとした明かりの通路が続くだけ。
2014-07-14 22:58:46何処へと繋がっているのか。"扉"を探る。(きっと、誰かが私を殺そうとやってくる。殺す誰かを探して動き回るのは、私には向いていないだろうから)意識の奥で扉を開き、目的の場所を探す。(不意を突かれない場所、なんて意味が無い。そもそも私は隙だらけだから)
2014-07-14 22:58:59隙をなくすことは出来ない。戦いも勝手が分からない。なら、少しでも居心地の好い場所で待とう、訪れる死という停滞を。(死という停滞なら、良く知っている。アルデフィーダの力は、停滞したものを押し流して回らせる力。身を任せるしか、ないのだから)
2014-07-14 23:01:25ゆっくりと立ち上がり、絹糸の刺繍が重たい衣装を持ち上げて足を踏み出す。 裾は踏まなかったが、髪の毛を踏んづけてつんのめる。 「…………だめかなぁ、やっぱり」 後ろに手でまとめて、首の周りをくぐらせてどうにか動けるようにした。 →移動【住居】
2014-07-14 23:08:34通路
【通路】 初めに覚えた違和は固い床。藁すら敷かずに寝るような無精ではないし、第一そのようなことではあの悪魔へ対抗する力が衰えてしまう。それはすなわち戦闘能力であり運動能力。 次の違和は匂い。いつも共に在った潮の匂いは、平時はあることに気付かずともなくなればそれに気付かされる。
2014-07-14 23:12:37起き上がり目を開けて、広がるのは見覚えない石壁。材質それ自体ならば常いた場所と大して変わりはしないだろう。しかしあの場所は、あの建物の壁は、このように色を失った代物ではない。例えその色が、悪魔の血で染まった蒼であろうと。
2014-07-14 23:12:43何処なのか。何故なのか。それに当たる情報は頭の中をどう探しても出ては来ず、代わりに見つかるのは虫食いだらけの記憶そのものだ。海。悪魔。祈祷のことば。短刀の振るい方。それ以外はどれもこれも不確かに過ぎた。 立ち上がる。石床に崩れる気配はなく、自分を殺すのはこれでないと分かる。
2014-07-14 23:20:25欠けた記憶の上から塗られたようにはっきりとした確信。他を殺すこと、それ以外に帰る術のないこと。 それを、自分は。 「これは試練ですか、母なりし海よ」 反響する声に答えは返らない。ただ自分の中で最も納得の行く答えはただ一つそれであった。
2014-07-14 23:20:55世界を看取るなどと言う大それたことが、看取るまでに追い込んだ身で宣ったそれが、『彼女』の気に障ったに違いないと。そして帰り着いたなら、『彼女』はおそらくその資格を認めるのであろうと。 なれば腹は決まった。
2014-07-14 23:22:11歩き出す。風の吹く方角へ。 外に出れば海が見えるだろう。推測の皮を被り、その実確信めいたそれは海の見える場以外で暮らしたことのない私の矮小さの証明であり、同時に私の限界でもある。
2014-07-14 23:25:22