室井佑月さんが伝えたかった事 2014.7.25

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水無月 @minadukiG

答えはすぐには出ないし、永久に出ないかもしれない。 でもその「答えられない」「解のない問い」に取り組む苦しさから逃げてもダメだと思うんだよね。 なぜなら、より苦しんでいるのはそこで生活している人だから。 今、私が自分の言葉として言えるのは、その程度…かな。

2014-07-29 10:02:09
水無月 @minadukiG

「『福島をひとくくりにするな』って言葉自体の含む残酷さ」という部分は、丁寧に考えたいと思う。 誰かへの抗弁(配慮が無いという意味では同じ)として用いるのではなくて、根本の部分からちゃんと考えたいと思う。 まぁ私の場合は、「考える」というより「見る」になるかもしれないけども。

2014-07-29 20:32:56
水無月 @minadukiG

さて…深夜だし。少し時間もできたので自問自答メモ。 ある場所、あるいはそこの作物…を「避けないで欲しい」という願いを、「差別だ」と表現することには色々不具合がある。まぁ私は専ら言われる側なので、その不具合を説明したり指摘したりすることには、さほど(特に精神的な)困難さは感じない。

2014-07-30 00:25:13
水無月 @minadukiG

ただ、それを説明することの「意味」の方は、考えないわけにはいかないだろうと常々思っている。つまり「差別だ」と言われて「それは差別ではないです」と返すことの意味…。 そこを考えると、結局、先方が「差別だ」という表現に込めている意図を理解しなくては…と思える。 @minadukiG

2014-07-30 00:41:29
水無月 @minadukiG

で、その意図とは既に述べたように、「避けないで欲しい」という「願い」であろうと理解している。 逆側から言うと、その「願い」は、消費者の選択を前提とする市場主義社会においては、「差別だ」のような極端な表現でも取らない限り、消費者に届かないのかも…とも思う。 @minadukiG

2014-07-30 00:51:21
水無月 @minadukiG

「それは差別じゃないです」と説明したいのなら、「差別」に替わる、消費者や社会に届き得る表現や方法を同時に提示するのが、誠実な態度ではないかとも思う。 だが、それは私には荷が重い…。 もちろん「信頼を得るにはまず計測」「損害は賠償を求めるのが筋」程度は言える。 @minadukiG

2014-07-30 01:00:21
水無月 @minadukiG

実際に誰かに責め(攻め?)られたら、おそらくそう返すだろう。けれども、それはやはり綺麗事だという気もする。 自分の子が修学旅行で東京にいった時、私は「街路樹や地面を無闇に触るな」と注意した。そういう私に「避けないで欲しい」の願いを叶えることは難しい。 @minadukiG

2014-07-30 01:12:40
水無月 @minadukiG

自分自身にできそうもないことを、他の誰かに勧める…そのためのアイデアを、共感をもって真摯に考えるということは、やはり難しい。 私の思考はいつもこのあたりで空中分解してしまう。 @minadukiG

2014-07-30 01:17:44
水無月 @minadukiG

このあたりのジレンマは、「障碍者を差別してはならない」し「障碍者も前向きに生きていける社会を目指すべきだ」という考え方に心底同意する一方で、もし自分の子に障碍があるかどうかを選べるとしたらどっちが良いか、と神様に問われたら…と想像した時の苦しさに似ている。 @minadukiG

2014-07-30 01:23:51
水無月 @minadukiG

以上は、自分の中で結論が出ていない内容を結論の出ないままに出してみた。 もう寝よう…。

2014-07-30 01:33:01