【佐世保事件】自由意志と責任、現実・イデオロギー・物語、について

興味深い考察を拝見したのでまとめさせていただきました。
15
めんたね @mentane

島本さんのように怒りをこめて言うつもりはないが、自分にはどうにもならないことの責任を自分の責任という形で引き受けさせることで社会が回っていることには完全に同意する。そして、その理不尽さを覆い隠すためにイデオロギーとか責任にまつわる論理が後から組み立てられたのだと思う。

2014-08-01 14:19:14
めんたね @mentane

精神鑑定一切無しで、行動の結果に対して自動的に罪を認め罰するようになれば、精神障害がらみの犯罪の一部は減ると思う。社会の仕組みが個人の行動に影響を与えるから。だからそうしろ、と言うつもりはないけど。なぜならイデオロギーにはイデオロギーで果たしてきた役割とメリットがあると思うから。

2014-08-01 14:22:37
めんたね @mentane

「精神鑑定による有責性の判断」があることにより、犯罪の量が少し増えるというデメリットと、「自分でどうにかなること、自由意思で選べる行動の結果にのみ責任が伴う」という規範があり、守られていると信じられるというメリット、どちらが大きいかという比較の問題なのだろうと思う。

2014-08-01 14:28:58
めんたね @mentane

今の多くの人は「責任は本人が自由意思により選べる結果にのみ伴う」というイデオロギーが剥ぎ取られてなくなった世界に放り出されることは心理的に耐えられないんじゃないかと思う。だからそれが実現不可能な幻想であってもその幻想を守るように動いている。まあ、それでいいんじゃないの、と思う。

2014-08-01 14:35:24
めんたね @mentane

もしも本当に「本人の自由意思に基づいて選択可能だった行為の結果にのみ、責任を負わせる」ということを完全に厳密に実現させたら、多分、誰の責任も問えなくなって犯罪野放しの世界が出来上がる。それはそれで不都合だ。

2014-08-01 14:37:59
めんたね @mentane

犯罪者がなぜその行為をしたのか?というときに「本人の生得的気質」「生まれた後の環境からの影響」この二つの原因が組み合わさって、その人の性格や思考が出来上がり、それがある場面で犯罪行為を選んだのだとしたら、原因の二つはどちらも自分でどうにかできるものではない。

2014-08-01 14:41:50
めんたね @mentane

そうやって責任の所在を探っていくと無限背進に陥り、あらゆる犯罪行為は本人にはどうにもならないものであった、ということになるが、それは社会の成立において都合が悪いので「犯罪行為をした本人が自由意思によって選んだ行為だ」ということにして、本人に責任を問う。

2014-08-01 14:45:05
めんたね @mentane

つまり、「自由に選んだ行為だから責任が伴うのではなくて、責任を負わせるために本人が自由に選んだことにしている」というのが実際だ。その上で、そういう現実を覆い隠すための様々な言説、イデオロギーを社会規範として成立させ、その部分を覆い隠すことで今の社会は成立している。

2014-08-01 14:47:47
めんたね @mentane

今回の佐世保の事件のようなことが起こると、そういった現実とそれを覆い隠すためのイデオロギーとの間の矛盾が明らかになるので、日頃、そういった隠蔽に無自覚に平和に生きている人は、心理的に居心地が悪く感じ、なんとか、自分の心の中の整合性を保とうとあれやこれやの議論が起こる。

2014-08-01 14:51:43
めんたね @mentane

面白いのは「人間には自由意思があり、自分で行為を選べる。そして、自分で選んだ行為には責任が伴う」という規範を社会全体のものとして成立させれば、それは環境要因の一部としてきちんと機能し、人間はその影響を不可避的に受けて行動する。だから、犯罪は減る。

2014-08-01 14:57:20
めんたね @mentane

その虚構的な社会規範の影響で避けられることになる犯罪はたくさんあるが、それよりももっと他の要因「本人の生得的気質」「それまで人生の中で置かれたり、現在置かれている環境からの影響」が強くて犯罪に至る場合は犯罪行為に至る。

2014-08-01 15:01:53
めんたね @mentane

この話は「毒親問題」にも通じるものだ。子どもが毒親を恨む。このときには、子どもは毒親の有責性を認めているということ。「毒親は自由意思を持ち、毒子育てを選んだ。だから、私がこんなに困っているのは毒親の責任だ。責任を取れ」ということだ。

2014-08-01 15:09:15
めんたね @mentane

でも「毒親と呼ばれる親達も自由意思でそのやり方を選んだわけではなく、親がどのような気質に生まれついたか、どのような環境の中で生活してきたか、そういった自分では選ぶことのできない要因の影響で子どもに被害を与える関わり方をした」と考えることもできる。

2014-08-01 15:12:17
めんたね @mentane

こう考えると「毒親と呼ばれる人たちも仕方がなかったわけで親に責任はない」という話になる。これはどちらの見方が正しいとか、正しくないとか、そういう種類のものではないと思っている。あえて言えば、どちらの見方を採用した方がその場面でメリットが多いのか?という観点で判断すると良いと思う。

2014-08-01 15:16:22
めんたね @mentane

これは倫理や社会規範を「動かざる絶対のもの」と見なさなずに、「社会や個人をうまく動かすための都合の良いルールであり、時や状況によって自由にすげ替えて良い」と見る発想で、大変にポストモダンな視点だ。この視点の最大の弱点は倫理や社会規範を無力化してしまいやすいこと。

2014-08-01 15:20:32
めんたね @mentane

ぼくは自由意思による選択というものを完全に事実に意味や解釈を与える「ストーリー」だと思っている。自分がある行動をした。これは事実。その事実に対して「自分でそれを選んでやった」というストーリーと「自分では選んでないがそういう行動をしていた」というストーリーのどちらを読み込むのか?

2014-08-01 15:31:23
めんたね @mentane

自分を社会に適応させて生きていくためには、「自分は自由意思に基づいて選んだ。だから、自分の行動の結果は自分の責任だ」こういうストーリーを読み込む範囲を広げておいた方が都合が良いことが多い。自己啓発というのはだいたいこの路線でものを語る。ぼくもこちら側のスタンスを取ることが多い。

2014-08-01 15:35:35
めんたね @mentane

でもカウンセリングのように困窮した状況の他者に対して影響を与える側に回るとき、相手に対して「それはあなたの自由意思に基づく自由選択で、その責任をあなたはとるべきでしょ」と自己責任論で迫っても影響力を持てない場合が多い。そのような場面では「仕方がなかったね」とやったりする。

2014-08-01 15:39:46
めんたね @mentane

そういう場面でぼくは「あなたの責任ではないが、社会はそれを認めてくれないので、あなたがその問題行動を繰り返す限りあなたがドンドン不利な立場に追い込まれ、損しちゃうよね」と本人の利害損得の話としてモノを語る。

2014-08-01 15:42:33
めんたね @mentane

そうやって「自分の利益になることはなんなのかをよく考えてそれをやる」という思考パターンをインストールするような環境を面接状況下で作って影響を与えようとしている。本人の自由意思には一切期待していない。人間は自分の損得の影響を意思とは関係なく受ける生き物だ。

2014-08-01 15:45:47
めんたね @mentane

そうやって「短期、長期、両方の利害損得を天秤にかけながら、自分の得になることを適切な形でやる」という思考パターンが十分に発達してから、はじめて自分の行動に対する自己責任論を導入する。それも「自由選択による自己責任という発想をもっておくと社会と折り合いをつけるのに『便利』だよ」と。

2014-08-01 15:49:35
めんたね @mentane

実際、大変に便利だしね。「自分の行動は自分で選んでいる。その結果に自分は責任を負う」と考えておいたほうが精神的に健康に毎日を過ごせるし、行動も社会適応的になる。ただこのメリットを知らない人に一足飛びに自己責任論の自己適用を訴えても受け入れてもらえないんだよね。

2014-08-01 15:52:46
めんたね @mentane

「俺は倫理規範が無根拠で必ずしもそれに従う必要がないものだと知っているが、世の中の多くの人には倫理規範を心の底からあるべき正しい姿だと思いつづけるだろうし、ある程度そうでいてくれたほうが社会の成立という点で俺にとって都合がいい」というぼくの見方は大変に選民思想的だとは思う。

2014-08-01 15:59:15
めんたね @mentane

でもこのような話を会う人、会う人、みんなにしてみると、やはりものすごく不快に感じ、決して理解しない人というのも多いので、世の中、そんなものなのじゃないかと思っている。別にそれが悪いことだとも全く思わない。世界はそうなっている、としか言いようがない、という感覚だ。

2014-08-01 16:02:17
めんたね @mentane

佐世保の件に関しては社会の秩序を保つために必要な事件への説明、ストーリーと、加害者更生のために必要な事件への説明、ストーリーはそれぞれ異なっていて、どうせそこは虚構だから、それぞれを担当する人がそれぞれの目的にかなうようなストーリーを作るでしょうと思っている。

2014-08-01 16:08:41