「コミュ障」を大量生産する学校というシステム

学習する生き物である人間には、嫌いな人間、合わない人間とうまくやっていく経験、練習が必要だった。
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Ducky G. Duck @duckygduck

誰も責任を取らない公務員ワールドと、「児童・生徒の人権を守る」左翼が全力を尽くした結果、学校は地獄になった。 永遠に続くかと思われた地獄は、長い議論を経て、ようやく人間らしい世界に向けて歩みだした。しかし、

2014-08-03 23:44:33
Ducky G. Duck @duckygduck

しかし、今も、学校は組織的に児童・生徒の人生を奪い続けている。未来を、希望を奪っている。 それは、児童・生徒のエゴを増長させることによって、彼ら自身の人生を、あるべき本当の生活を損なう結果になっている。

2014-08-03 23:45:51
Ducky G. Duck @duckygduck

さすがに、クラス編成を生徒自身に任せる学校はほぼ存在しないはずだが、クラス内のグループ編成はほとんど児童・生徒に任せられる。 そのことによって、生徒は友人関係を過剰に意識させられる。「ぼっち」を恐れるか、あえてぼっちを選択するか… しかも、最悪なことに、彼らは、

2014-08-03 23:16:35
Ducky G. Duck @duckygduck

しかも、最悪なことに、彼らは、「異質を愛する」チャンスを奪われるだけでなく、「異質を排除する論理」を強めてしまう。 一見、「自由」で、子供本位のはずのグループ分けが人間関係の先鋭化をもたらしてしまう。

2014-08-03 23:22:25
Ducky G. Duck @duckygduck

異質であることを恐れ、異質を排除することに慣れてしまえば、コミュニケーション力を伸ばすことは不可能になるだろう。 自分たちとは違う思考、行動にふれる機会を奪い、社会適応を学ぶチャンスを破壊してしまっている。 社会的動物である人間社会にはコミュ障を自認する大人が溢れてゆく。

2014-08-03 23:23:24
Ducky G. Duck @duckygduck

嫌いな人間、嫌な人間と折り合いを付けて生きるという生き方は、現在の学校では学ぶことができない。

2014-08-03 23:25:22
Ducky G. Duck @duckygduck

1970年代前半、修学旅行の自由なグループ分けの時に感じた違和感… 強制的なグループ分けには、その後の社会生活に必要な社会性を涵養するメリットと同時に、人間関係を不必要に意識させないメリットがあった。

2014-08-03 23:40:31