- y2_naranja
- 1842
- 4
- 0
- 0
そういえば今日は終戦記念日。祖父二人とも地獄の島ニューギニアと酷寒の地シベリアへ。双方とも悲劇を二度と繰り返さぬようにと手記を遺してこの世を去った。兵隊の命を粗末にした日本軍め許さん。
2014-08-15 16:54:17(0) 終戦記念日なので祖父が遺した手記をもとに連ツイしてみようと思います。連ツイ用にがっつり編集したため祖父本人の意とは異なる可能性をあらかじめお断りしておきます。
2014-08-15 19:05:33(1/7) 昭和二十年八月十五日戦争が終結し、軍機密の暗号書などをペーチカにくべて焼却した。昨日までの軍事機密の暗号書がいっぺんの煙となって消失したのは感無量であった。数日後、ソ連軍将校の指揮下で武装解除を受けた。
2014-08-15 19:07:36(2/7) 八月十九日、貨車での輸送となり、途中地図をみて「まだウラジオストクの方の可能性があるぞ」などと一条の希望を託していたが、その希望は裏切られ、九月三十日満ソ国境のアムール川を渡り国境の街ブラゴヴェシチェンスクへと辿りついた。
2014-08-15 19:07:57(3/7) 再び貨車輸送となり約半月かけて炭鉱の街チェレンホーボに到着し、ソ連軍の指揮下で石炭掘りの労役につかされた。最初の冬は発疹チフスで作業が中止になりラーゲル全体が隔離病棟となった。高熱と下痢で戦友がばたばたと倒れていった。
2014-08-15 19:08:31(4/7) 朝起きると隣の戦友が死んでいる。さながら地獄絵のごとく悲惨なありさまであった。戦友の屍が山積みされていた部屋から死体を運び出し、発破をかけて凍り付いた大地に穴を掘り一つの穴に五体ずつ番号をつけた棒とともに埋めていった。
2014-08-15 19:09:53(5/7) だれの死体か判然としないまま丘の上の墓地が形成されていく。人間を扱うのではなく物を動かしているようで、これが帝国軍人の末路かと思うと涙が落ちるのを禁じ得なかった。聞き伝えによると部隊の七百人あまりの戦友がシベリアの土と化したそうである。
2014-08-15 19:10:15(6/7) 二十二年春、チェレンホーボの地を発ちバイカル湖畔を経てナホトカへ。ナホトカで半月待機したのちに五月三日帰国船に乗船し、四日には舞鶴を発って故郷へと戻った。夢にもみたあの山や川が眼の前にひろがり、懐かしさ親しさがこみ上げた。
2014-08-15 19:11:11(7/7)祖国の敗戦。領土の喪失、海外発展の禁、進駐軍の姿、インフレの行進、国内の民主化、失業と飢餓。見るもの聞くものすべて驚くばかりであった。だが悲願や諦めは禁物である。一の力は二の力で、五の力は十の力で、新たな祖国を再建するのだ。(終)
2014-08-15 19:11:33祖父と同じ収容所にいた人の手記 / シベリア抑留体験記 geocities.co.jp/SiliconValley-…
2014-08-15 19:54:22