さそりん日記 2009年11月〜2018年2月
牡牛先輩は昼休みになると必ず補給のために理科室へ行くんだ。……なぜか必ず理科室らしい。それは家庭科室や職員室や給湯器のある部屋では駄目だった
2010-07-06 22:28:46一人で理科室に行って、ペットボトルに補給が済むと菩薩みたいな顔で戻ってくる。で、この行動が気になって調べた先輩が他にいたらしいんだ。それが乙女先輩っつって三年からの牡牛先輩のクラス友達だったらしい
2010-07-06 22:31:47これは乙女先輩しか見てないらしいんだが、牡牛先輩の正体不明のお茶には髪の毛のような、植物の蔓のような、すげー細長い混入物が入ってたことがあったそうだ
2010-07-06 22:35:00牡牛先輩はにこにこしながらそれを平気な顔で飲んだ。絶対口に入ったらわかる量だったらしいな? 乙女先輩はもう、それがヒステリックになるぐらい許せなかったらしくて、その場で思わず聞いたそうだ。「牡牛君、そのお茶は一体何を煮詰めたやつなんだ!?」って
2010-07-06 22:37:21人前だったんで、牡牛先輩は困った顔になって「なんでもないよ」ってのろのろ逃げたらしい。でも乙女先輩はそれじゃ気が済まなかったんだな。彼はあとで昼休みになって、牡牛先輩のあとを尾けることにした
2010-07-06 22:40:11時期は……秋ぐらいだったかな。残暑かも。まだ湿気で理科室の扉のレールがうっすら湿るような、そんな頃合いさ。乙女先輩はいつものように牡牛先輩が理科室に向かうのを見計らって、そっと長い廊下を特別棟までついていった
2010-07-06 22:43:37牡牛先輩は毎日のことだからそれはもう慣れたもんだ。理科室は鍵がかかってるんだが、……なぜか鍵を持っていた。すげー普通そうな面でドアを開けて入っていく。乙女先輩は中には入れないし、ドアの隙間から牡牛先輩が冷蔵庫を開けるのを見ていた
2010-07-06 22:46:46牡牛先輩はあのまったりした面で、その時だけ異様に素早い動きでドアを開けた。乙女先輩は”誰かいる?”って言われた時点で半分バレたと思ったらしい。逃げなかった。牡牛先輩は乙女先輩を見た時、なんか、剥製みたいな無表情だったらしい。
2010-07-06 22:51:00「乙女君、何しに来たの。……ああまさか、俺のお茶を盗みに来た?」ほんとにお茶を他人に一滴でもやるのが死ぬほど嫌そうな態度で威嚇してくるんだよ。あの牡牛先輩が。乙女先輩が「言っちゃなんだが誰がそんな不潔そうな飲み物要るか」って言うと、牡牛先輩は馬鹿にするような顔で笑った
2010-07-06 22:55:46「わかってないなあ。これはさ、シメコロ茶だよ」「シメコロ茶?」「ほかにばらしたら夜中に目玉を抜きにいくからね。これはすごく珍しい、シメコロって茸の原種を培養して、特別なお水に漬けてそのエキスをお茶にしたものなんだ。俺の持ってる株は小さいから、自分一人分の量しかとれない。でも……」
2010-07-06 23:01:19目がとろんとしてるのに、意味不明なほど傲慢そうだった。牡牛先輩が。乙女先輩は本当に意味がわからなくて牡牛先輩を凝視したんだ。気持ち悪い話になるからここからは苦手な人は退室してほしいんだけど
2010-07-06 23:05:24植物の根にしては細く、菌糸にしては太い。そういうものが目から、鼻から、耳から、あと首筋の小さく盛り上がったおできみたいなところから、何本もびっしり生え始めていた……。
2010-07-06 23:11:36「……なあ乙女君、どうするの? このシメコロ茶さあ、俺が言うのもなんだけど、すごくいいよ。飲み続けてると、穏やかだけど不安をまったく感じなくなるんだ。布団の中みたいな夢心地でさ。あとテストもできるようになるし、湿気がすごく気持ちよくなってくるよ」
2010-07-06 23:15:18「ああ、そうだ、今思いついた、株わけてあげるから乙女君も一緒にシメコロ茶増やそうよ。ちょっと舐めてみよう。舐めよう。舐めよう。飲もう。飲もうよ。飲めよ。飲め。のめ」
2010-07-06 23:17:43──息がとまっていた。乙女先輩は牡牛先輩に掴みかかられそうになって、とっさに彼が持ってたシメコロ茶のペットボトルを弾き飛ばした。ペットボトルが床に落ちて茶が床一面にぶちまけられたんだ。牡牛先輩が悲鳴をあげた隙に彼は走って逃げた。乙女先輩と牡牛先輩とは、それきり。
2010-07-06 23:20:00二人の関係はそれきりだったが、話自体には続きがある。二学期の途中に何かの実験で冷蔵庫を使ったらしくて、その時繁殖したカビが他のシャーレに胞子を飛ばしたことがあったらしい。多分その事件のせいで牡牛先輩の「株」に致命的なダメージがあった。……
2010-07-06 23:24:20──牡牛先輩は二学期が終わるころに行方不明になった。どうして消えたのか誰もわからない。乙女先輩が卒業するまで見つからなかった。見つかったのは春休みに入って貯水槽の清掃業者が学校に入ったときだ
2010-07-06 23:28:10貯水槽の中で、すっかり水を吸いきったぱんぱんの水死体が出てきた。体中を無数の菌糸が食い破っていて……牡牛先輩から伸びた白い菌糸の束が貯水槽の内側の壁一面にびっしり生えてた。
2010-07-06 23:30:49一番その話でヤバいっていうのはな。たぶん、その貯水槽っていうのは学校全体に飲み水を提供していて、俺達卒業生は少なからずその水を直で飲んだってことだ
2010-07-06 23:33:01この話はこれで終わり。──え、シメコロ茶?ああ、ちょうどそこの紅茶みたいな色だよ。なんであの白い菌糸からあんな茶色が出るのか。それも不思議と言えば不思議だよな。【終】
2010-07-06 23:34:36