【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」】

横山光輝「三国志」を一話ずつ解説してみようというコーナー。第22話「義軍集結」の巻。 反董卓連合軍結成のお話です。 ※解説はあくまでbotさんの個人的見解です。
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横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-01】 横三講座、第22話でございます。今回は、反董卓連合軍が結成されたというお話。今回はページ数が少なめな上、回想シーンもあるので話としてはそんなに進みません。

2014-08-19 14:25:33
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-02】 前回、曹操がはったりかました檄ですが、思いのほか反響がよろしかったようで、各地の将達がこぞって参加することになりました。そして、その檄は渤海の太守となっていた袁紹のもとにも届きます。

2014-08-19 14:27:51
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-03】 さすがに袁紹は、曹操が天子から密詔を受けたという部分に疑問を持ちますが、部下たちは細かいことは気にせず、董卓を討つことが正しいのだと袁紹を説得します。それもそうかと、袁紹は出陣を決意しました。

2014-08-19 14:29:53
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-04】 袁紹が軍を進めていくうちに、豫州(よしゅう)の孔伷(こうちゅう)の軍勢や、兗州(えんしゅう)の兵の姿を見ます。思ったよりも多くの兵が集まる様子に、袁紹達は早く決断してよかったと思いつつ、他国の兵に遅れをとらないよう、先を急ぎます。

2014-08-19 14:33:31
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-05】 そんな、義軍集結の最中、ある軍をおいかける三人の男達のシルエットが。何者?と身構える兵に対し、三人は怪しい者ではないと言います。三人が追いかけていたのは、北平の太守、公孫瓚(こうそんさん)の軍でした。

2014-08-19 14:36:25
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-06】 車中から三人を見た公孫瓚は、黄巾の乱の後、洛陽の外門で見た劉備玄徳であることを思い出しました。公孫瓚は劉備たちの活躍を知っていたので、今はどんな官職についているのかと聞きます。劉備が今は謀反人として追われていると答えると驚きます。

2014-08-19 14:38:45
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-07】 劉備が公孫瓚の軍に加わりたいと申し出ると、願ってもないことだ、と喜びます。劉備は、義弟の関羽と張飛の三人一緒に、兵のはしに加わりたいというと、公孫瓚は「うむ」と了承します。こうして、劉備達は公孫瓚軍に加わることになりました。

2014-08-19 14:41:11
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-08】 三国志関連地図を見てもらうとわかりやすいですが、劉備の故郷である楼桑村の北東の位置に北平があります。董卓追討の檄の話は中国全土に及んでいたようで、劉備達がてっとり早く軍に合流するのは公孫瓚軍を待っていることだったのです。

2014-08-19 14:43:41
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-09】 定州で(張飛が)督郵を半殺しにしたことで、お尋ね者となっていた劉備は、黄巾の乱で義勇軍を立ち上げの時のように、独力で軍を立ち上げるのは難しかったようです。

2014-08-19 14:47:39
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-10】 一旦は分かれた三人は、おそらく檄の話を聞いた際に、時期が来たと見て、合流。そして、もっとも近くを通る公孫瓚の軍に合流しようと考えたというのが自然でしょうか。こうして、公孫瓚軍に参加した三人は徒歩でついていきます。

2014-08-19 14:50:04
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-11】 ここで張飛は、昔の話を回想します。盧植将軍が無実の罪で都に送られていくのに出くわした後、黄巾賊にやられている官軍を救出したことがありましたが、その時の将軍が董卓でした。しかし、董卓は劉備達が正規軍でないことを理由に馬鹿にします。

2014-08-19 14:52:17
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-12】 董卓のあまりの扱いに義憤にかられた張飛は、董卓を叩き切ろうとしますが、それを関羽が止めますが、張飛の怒りは収まらず…。その回想シーンを余白を全部黒塗りにして表現しています。なお、以前のコピーではなく、全部描き起こしています。

2014-08-19 14:55:38
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-13】 張飛の親切すぎる説明で、関羽というより読者が思い出したこのエピソード。張飛は、「あの時、董卓をたたき斬ってりゃこんな騒ぎもおこらなかったんだ」、と言いますが、関羽は「もう言うな」とあっさり返します。それ以上の突っ込みは不要です。

2014-08-19 14:57:30
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-14】 さて、曹操の檄にこたえ、続々と兵が河南の陳留(ちんりゅう)に集結しました。公孫瓚軍は黄河を渡ったということですね。参加した諸侯は18ヵ国、兵力数十万。二百里も続くという大兵力です。

2014-08-19 15:01:29
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-15】 これだけの大兵力だと、総大将を置かないと、てんでばらばらに戦って話になりません。そこで将達は檄を飛ばした曹操に一度総大将をどうするか、と話を持ちかけます。

2014-08-19 15:04:41
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-16】 ここで曹操は自分が…、とは言わずに袁紹を推薦します。袁紹は漢の名将の家の出、それに先祖代々漢の重職についている家柄、名望地位から見て総大将として恥ずかしくない人物だと、持ち上げます。諸侯の将たちも異存なしの様子です。

2014-08-19 15:07:07
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-17】 董卓の前には、一番の権力者であった何進の直属の部下であった袁紹、董卓が直接何進を討ったわけではないので仇討ちというわけではありませんが、何進の後を継ぐ資格はありそうです。

2014-08-19 15:09:19
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-18】 曹操にしてみたら、各地の将を抑えて自分が盟主となるほどの実力はまだないことは自覚していました。誰もが認める総大将を推薦することで、軍全体への発言力を保とうとしたのかもしれません。

2014-08-19 15:11:23
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-19】 袁紹はあっさり総大将となることを引き受けます。早速、総大将の儀式をとり行います。逆賊を討ち、天下万民の苦しみをすくわんことを、と天に誓います。立派な総大将としてふるまうことを宣言するとともに、弟を兵糧奉行とします。

2014-08-19 15:14:39
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-20】 この回では名前は出てきませんが、この弟というのは袁術のことです。正史や作品によっては、袁術は従弟もしくは異母弟ともされていますが、横山三国志では弟ということになっています。

2014-08-19 15:17:10
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-21】 さて、これから董卓と戦うにあたって、汜水関(しすいかん)の関門を攻め破る必要があります。その先陣を引き受けるものはいないか、と呼びかける袁紹に対し、わしが引き受けたと名乗りでる男が。長沙(ちょうさ)の太守、孫堅です。

2014-08-19 15:19:20
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【横山光輝「三国志」講座22「義軍集結」-22】 今回のお話はここまでです。曹操の発した檄により、反董卓で多くの軍が糾合。曹操の天子からの密詔云々というはったりはすでにどうでも良くなっています。 というわけで、次回から孫堅さんの活躍が始まります。

2014-08-19 15:23:39