茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1307回「鱧の落としは、一つの代償行為である」

脳科学者・茂木健一郎さんの8月24日の連続ツイート。 本日は、そろそろ終わりの夏に、思うこと。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート1307回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。今朝は、そろそろ終わりの夏に、思うこと。

2014-08-24 08:47:50
茂木健一郎 @kenichiromogi

昨日、講演会の前の会食で、お昼なのにいろいろ出て、その中に、鱧があった。「あっ、今年初めて食べる鱧だ!」と言ったら、同席していた斎藤惇夫先生がわらった。「殺伐とした人生だなあ」と言ったら、また斎藤先生が笑った。

2014-08-24 08:49:57
茂木健一郎 @kenichiromogi

「鱧の落とし」を人生で初めて目にしたのは、ずっと年食ってからのことで、氷の上に出てきた、白い美しいすがたに心を動かされた。白洲信哉(@ssbasara)なんかは、きっと幼少期から正子さんなどと食べていたのだろうけど。以来、京都などで出会う度に、夏の風情を感じる。

2014-08-24 08:51:46
茂木健一郎 @kenichiromogi

氷の上に盛りつけられた「鱧の落とし」を梅肉などで食べる習慣は、東京ではあまりなくて、さすがは、1300年の古都、京都ならではの細やかな感覚だと思う。その存在を知って以来、夏の涼味というか、その何とも言えないクオリアの奥に、何かがあると感じていた。

2014-08-24 08:53:47
茂木健一郎 @kenichiromogi

子どもの頃、家のちかくに清流があって、今では信じられないことだが、夏に裸足で入ると、さらさらと水が空気のように流れ、タナゴなどの生きものがするどく泳いでいた。私が大学生になる頃には、その清流は、もう三面コンクリートのどぶ川になっていた。

2014-08-24 08:54:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

ある時、はっとした。「鱧の落とし」は、一つの代償行為ではないか。私にとって、「鱧の落とし」を食べることは、子どもの頃にあった、あの清流の中に裸足で入って、タナゴと遊ぶ、あの時間の感覚と同じような気がする。夏の経験の純粋さが、そこに凝縮してあるのだ。

2014-08-24 08:56:00
茂木健一郎 @kenichiromogi

夏だからこそ経験することがある。線香花火とか、スイカを縁側で食べて種を飛ばすとか。セミ時雨の中を、歩いていくとか。そんな夏の経験がなかなかできない大人になった時に、ひとは、「鱧の落とし」のような代償行為に走っていくのかもしれない。

2014-08-24 08:57:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

昼の食事はぜいたくだったが、東京に戻り、深夜まで仕事で、日付がすっかり変わって寝る前に、納豆一パックをまぜて夕食とした。鱧の白い印象が蘇った。私の今年の夏は、おそらくあの白さの中にあったのかもしれない。本当は、清流の中に足を浸す子ども時代に、幸福の原型があるのだと思う。

2014-08-24 08:58:54
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート1307回 「鱧の落としは、一つの代償行為である」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

2014-08-24 08:59:37