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@Chambre903 K×先生 なんでしょうか livedoor.4.blogimg.jp/goldennews/img…
2014-09-01 00:20:49@meltdownko Kはノンケな上に死んでしまうので、先生の片思いホモです。実際、奥さんとヤろうとしても勃たなくてできなかったと書いてあります。
2014-09-01 00:26:07@Chambre903 私は女というものを一人しか知らない、って言ってるから奥さんとはやってるんだと思ってました…(勃たずにできなかったという描写を思い出せない)
2014-09-01 00:41:22@meltdownko 結婚当初はやったのかもしれませんが、「天罰」によって子供はもてなくなったんです。この小説で奥さんの存在はKの死因のひとつ以上の価値を持たないので、先生の不妊つまりEDと考えることが自然です。 pic.twitter.com/u04a3rteCA
2014-09-01 01:03:48EDと仮定すると、なぜEDになったのか、そしてそれが「天罰」と表現されるのはなぜか。先生が本当はKのことを愛していて、Kがお嬢さん(先生の奥さんの)を好きになったから、先生も好きになり、Kの死によって自らの思いに気づき、結果的にEDになったんです。
2014-09-01 01:11:46@Chambre903 だから、せっかく結婚した奥さんとの子供をもてないことを「天罰」と表現したんです。ホモセクシャル(あるいはホモソーシャル)に気づかず、奥さんの人生に傷をつけてしまった負い目があるから、先生も死ぬことを選ぶんです。
2014-09-01 01:13:19@Chambre903 では、主人公の役割は何か?それは冒頭に表現されます。主人公は冒頭から数ページを費やして延々と先生を見ています。「私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。」明らかに先生に恋していますが、おそらく本人に自覚はない。
2014-09-01 01:16:13@Chambre903 主人公の恋心に気づいたのは先生が先でした。なぜなら先生も自分の感情に気づかず、恋する友人を死に追いやってしまい、「天罰」をうけているからです。先生は主人公を家に招き入れ、奥さんと先生自身の生活や、ほのめかしによって主人公に気づかせようとします。
2014-09-01 01:18:28@Chambre903 その挙句、先生の「手紙」によって明確に指示されます。主人公は先生に恋をしているが、それはやめておけと。しかしその告白は明治の近代社会では許されませんし、奥さんへの裏切りもやはり許されない、何より大切なKはもう生きてはいません。だから先生は死ぬんです。
2014-09-01 01:22:03@Chambre903 先生は、せめて自分に恋するのはやめろ、ということを伝えており、主人公もこの部分でそれは理解しています。しかし、主人公はなぜ先生に距離をとられているのかまでは、はっきりと理解はしていません。 pic.twitter.com/xQQXo8gtjx
2014-09-01 01:27:29@Chambre903 ただ恋敵に勝利しただけで何年も自分を「軽蔑」し、結婚生活を「天罰」と呼び、しまいには友人と同じく自死を選ぶのはKに「こころ」を寄せていたからに他ならない。少なくとも本編のあちこちの思わせぶりな文体のほとんどは説明できる。この作品は悲劇的大恋愛小説なのです。
2014-09-01 01:32:32@Chambre903 Kの死によって自身の恋心に気づいた先生と同じように、前述の引用のように「今日」は先生の気持ちを主人公は理解できています。理解できているということは、先生の死を明示します。小説の芸術的な要求に従えば、ここは反復されなければならないからです。
2014-09-01 03:24:54@Chambre903 ここまでは明示的ですが、主人公の世代でこの「こころ」がどうなるかはわかりません。先生への思慕はますます高まっているでしょう。一方、先生に向けられたホモソーシャルな感情が深化し、ホモセクシャルになる可能性もありますが、そこまで言うと深読みが過るかもしれません
2014-09-01 03:27:57「こころ」は親友を死に追い込んだ先生が、その後の人生を世俗から離れて生きている。その超然たる姿に主人公はひかれていくが、先生もまた世俗と過去にまつわる苦悶は抗い難く、死への憧憬をつのらせる、というのが普通の読み方なんだろうか?それが人間的な「こころ」だと言うことなのだろうか?
2014-09-02 00:10:42