伊豆下田:五六七(みろく)稲荷にまつわる話

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HUNTER's LOG @hunterslog

「たまたま」の孤証なのかなぁ。…って、まー一月かそこらの調査で判断も蜂の頭もないが(笑)。個人的には最大の関心事は何で鹿島踊りが北川で終わるのか、なんだけれど。北川以南にミロクの何があったんだろう。うーむ。

2010-11-21 17:57:17
HUNTER's LOG @hunterslog

一番期待の高かった「富士講の講名にあったんちゃうか」という望みも『富士・大山信仰』(西海賢二)にある神奈川県南足柄市の講宿の膨大な宿泊リストの中にもなかった。「みろく」という講名はあったんだけどなぁ。

2010-11-21 17:52:37
HUNTER's LOG @hunterslog

さりげなくしつこく(笑)。「五六七稲荷」の「五六七(みろく)」に関して調査中。『弥勒信仰』(速水 侑)・『弥勒信仰』(宮田登)・『仏教語大辞典』(中村元)など目を通した限りは全然ない。

2010-11-21 17:51:37
ラフマノ二フ謙作あべ @TheEelShip

@hunterslog その一ページだけでも、貴重な情報だと思います。ありがとうございます

2010-11-12 00:49:02
HUNTER's LOG @hunterslog

わはははは。あたしの話題からだったのですか。しかしゲルマンの森の「鞭打ちじいさん」は一方で悪い子は「袋に入れて連れ去ってしまう」存在でもありました。そこからの変遷も興味深いものですね。RT @mrbMTR このネタのおかげで、王仁三郎自演七福神映画のラストシーンの…

2010-11-11 23:19:46
@mrbMTR

ありがとうございます。このネタのおかげで、王仁三郎自演七福神映画のラストシーンの布袋コスプレが、弥勒であると同時に、サンタクロースであることが分かりました。RT @hunterslog

2010-11-11 23:05:50
@mrbMTR

仏教の伝来とともに日本に入ってきたのではと。(仮)

2010-11-11 23:03:01
@mrbMTR

五六七の宛て字の由来については「仏教辞典読めば」というアドバイスをいただく。そりゃあそうだ。

2010-11-11 23:01:14
HUNTER's LOG @hunterslog

そもそもの問題の下田「五六七稲荷神社」の基本資料あげておきました。下田は一般的な神社資料というのがないのでこれだけなのですが( http://bit.ly/bQFj10 )。@mrbMTR @TheEelShip

2010-11-11 22:18:29
@mrbMTR

ありがとうございます。わたしも図書館行き決定。RT @Seiseisan う~ん・・・(ーー;) チョット調べてみますね。

2010-11-11 00:25:10
@mrbMTR

ありがとうございますー。RT @hunterslog こちら( http://bit.ly/aYOwTH )におそらく富士講と関係して「妙見弥勒・五六七」についてありますね。長いページなので「五六七」でページ内検索で。どこからどう出典してるのかとかまったく分かりませんが。

2010-11-11 00:20:15
HUNTER's LOG @hunterslog

こちら( http://bit.ly/aYOwTH )におそらく富士講と関係して「妙見弥勒・五六七」についてありますね。長いページなので「五六七」でページ内検索で。どこからどう出典してるのかとかまったく分かりませんが。 @TheEelShip @mrbMTR

2010-11-11 00:16:22
@mrbMTR

@Seiseisanさんこんばんは。 江戸時代にはすでに「五六七」とかいて「ミロク」と読んでいたらしいのですが、大本以前の伝承をご存知ですか?

2010-11-11 00:13:52
@mrbMTR

むー。これは図書館行かないと。RT @hunterslog ていうか「五六七稲荷」でぐぐったらあたしのツイート関係ばっかり出てきてワロタ。RT @mrbMTR 大本と後続の新興宗教団体のもの以外、五六七の由来が出てこないです。

2010-11-11 00:11:35
HUNTER's LOG @hunterslog

ていうかなぜか手元に食行身禄の『一字不説の巻』がありましたので(笑)、ざっと目を通してみますが表記一貫で「みろくの御世」ですね(原文資料)。しかし「ええじゃないか」とか弾圧されたろうから「五六七」と隠語にしたりしそうだ。大本教も富士講の影響は大きい、と。うーむ。

2010-11-10 21:59:39
HUNTER's LOG @hunterslog

うをー。これは確かにアヤシい。修行の富士講から民衆の富士講への転換期に出現するのが食行身禄…か。 RT @TheEelShip 五六七当て字起源については、江戸時代に流行ったらしい富士講ってのが怪しい気がする。

2010-11-10 21:55:09
ラフマノ二フ謙作あべ @TheEelShip

五六七当て字起源については、江戸時代に流行ったらしい富士講ってのが怪しい気がする。…そんな気がするだけ

2010-11-10 12:53:14
HUNTER's LOG @hunterslog

ていうか「五六七稲荷」でぐぐったらあたしのツイート関係ばっかり出てきてワロタ。RT @mrbMTR 大本と後続の新興宗教団体のもの以外、五六七の由来が出てこないです。

2010-11-09 23:20:10
HUNTER's LOG @hunterslog

わかんないっすねー。下田は『好色一代男』の世之介が船出したように熊野と同様の補陀落渡海に近い何かはあったんでしょうが。ネーミングセンス的には江戸文化のようにも思いますが(いい加減)。RT @mrbMTR 大本と後続の新興宗教団体のもの以外、五六七の由来が出てこないです。

2010-11-09 23:19:13
@mrbMTR

「釈迦如来の没後、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が…」の「五六七」に「ミロク」と読み仮名あてるのは仏教界では常識なのかなあ…。初めに読み仮名あてた人は誰だろう?

2010-11-09 23:11:35
@mrbMTR

いまのところ、ググッても大本と後続の新興宗教団体のもの以外、五六七の由来が出てこないです。王仁三郎は、霊感だけでなく、豊富な教養とそれをリミックスするセンスを持っていましたので、元ネタがあるかもな・・・と思っているところ。RT @hunterslog

2010-11-09 22:48:24
@mrbMTR

ありがとうですRT @hunterslog 下田:「五六七稲荷」。もと弥勒堂であり、今でも「ミロク」と呼ばれることは述べたが、これに「五六七」をあてたのが大本教によるのか否かという点だけれど、江戸安政二年の棟札に「五六七稲荷大明神」とある。この時点で「弥勒=五六七」はあったのだ。

2010-11-09 22:33:52
HUNTER's LOG @hunterslog

下田:「五六七稲荷」。もと弥勒堂であり、今でも「ミロク」と呼ばれることは述べたが、これに「五六七」をあてたのが大本教によるのか否かという点だけれど、江戸安政二年の棟札に「五六七稲荷大明神」とある。この時点で「弥勒=五六七」はあったのだ。@mrbMTR さん、という次第なんです。

2010-11-08 21:17:16
HUNTER's LOG @hunterslog

まじですか!あたしの思いつきもまんざら的外れじゃなかったですね。伊豆、巫女の地。いまさらながら大藪つついてんなー、あたしは(笑)。 RT @mrbMTR 伊豆には伊都能売にかけて(?)、大本の分派が多いので、そちらの系統の影響の可能性も。

2010-11-06 22:35:56
@mrbMTR

伊豆には伊都能売にかけて(?)、大本の分派が多いので、そちらの系統の影響の可能性も。

2010-11-06 22:30:54