中ザワヒデキ文献研究 夏の陣~現代美術史日本篇~ 第1回
- misonikomioden
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[追記]
上述、イラストレーションにおける2つの意味は2014年時点の日本における意味合いであり、そして1995年の段階ではその2つの意味は混同されがちであった。
イラストレーションの英語には情報の図解する図版の意味であり、一番目の意味はわかりやすい具象画の意味は無いし、二番目の応用美術でも指すわけでもない。 しかし一番目の意味の二番目の意味も美術ではなく、イラストレーションが侮蔑用語として成立していた
2014-09-07 19:50:21(誤)一番目の意味は → (正)一番目の意味の
(誤)一番目の意味の二番目の意味の → (正)一番目の意味と2番目の意味も
[補記]
誤字が多いので言い直すと、
イラストレーションという英語には「情報の図解をする図版」の意味しか無く、日本語におけるイラストレーションの一番目の意味「わかりやすい具象画」という意味もないし、二番目の意味「応用美術」を指すわけでもない。
しかし一番目、二番目の意味も美術ではないためイラストレーションは侮蔑用語として成立していた。
このことが、小山登美夫が奈良美智を扱って良いの?と当初疑問に思った理由であった。
なお、2005年以降はその侮蔑が成立しなくなっていった。
[追記]
中ワザは続けて次のように話している。
小山登美夫は奈良美智をイラストレーションだから美術でなくギャラリーで扱ってはいけないのでは?と思ったのだが、
奈良美智による描きたいから描くという言葉を聞き、2番目の意味つまり応用美術でないからイラストレーションではないと納得した。
しかしイラストレーションは一番目の意味(わかりやすい具象画)を含んでいて、奈良美智はそれに該当するにも関わらず、カン違いしたまま彼の絵を美術としておkとしてしまった。
この小山登美夫のカン違いにより95年以降の流れがでてきた。
奈良は名刺が指しだされた相手がイラストレーション誌の編集長だと知った奈良は、僕はこの雑誌に何度も持って行こうしたことか、と。
2014-09-07 19:52:53奈良のように好きだから描くという態度は珍しかったというかいなかった。 中村ケンゴが2012年に、1995年以前を振り返って、当時美術をやってる奴で絵を描いてるやつなんていなかった、と
2014-09-07 19:54:31例外的に絵を描いていた人として会田誠がいる。 しかし精緻な絵柄で絵描くが自分の嫌いなウンコとゴキブリを描くという嫌がらせて描くというものであり好きだから描くというものでなかった。 その古典的筆致は再現芸術だが、マニエリズムの先鞭でもある
2014-09-07 19:56:27[追記]
例外的にとは当時例外的に、という意味
小山登美夫は奈良美智の作品をイラストレーションではなく美術であるとした。現代のようなイラストレーション的な絵が美術の中心になるきっかけとなった。 #夏期特講 #文献研究
2014-09-07 19:56:581995年7月段階では抽象表現主義風絵画が主流だったが、1996年に村上隆がヒロポンファクトリーを立ち上げ、タカノ綾やミスターをプロデュースし、いつの間にかイラストレーションと区別付かない具象画が増えていった
2014-09-07 19:57:47[追記]
1995年7月号の美術手帖では快楽絵画というタイトルで奈良美智を表紙していたのだが、絵画の主流は抽象表現主義風のものであり、例えば赤塚裕二や丸山直文、堂本右美などであった
イラストレーションと区別つかない具象画の広がりは世界的動向
時代支配的なイズムの不在は内容のための技巧でなく技巧のための技巧=マニエリズムが台頭する。 またマニエリズムは不安な世相が広がる時代に台頭する特徴がある。
2014-09-07 20:00:28[追記]
マニエリスムの特徴は、
自己目的化した技巧、極端な人工美、貴族的洗練、歪曲、奇想、引用や模倣、不安な世相を反映した気色悪さであり、中ザワによる印象ではネガティブな感情もあげられる。
マニエリスム=マンネリズムのことで、つまりマニエリスムとは後代による揶揄であった。
世相が不安定な時ほどマニエリスムが繁栄する。自己目的化した技巧や極端な人口美、貴族的な洗練…ネガティブな感情。マンネリを意味する「マンネリスム」と「マニエリスム」は同じ意の言葉。 #夏期特講 #文献研究
2014-09-07 20:03:52