- TOGO_Masanaga
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そうだ昨日話した内容をメモ。統合失調症で出てくる妄想は、幻覚よりも圧倒的に幻聴が多いのだが、それは言語に関わる病気だからだ、というのがラカンによるフロイト解釈によるもの(心は言語により構造化されている)。ところが最近のと病理として、「幻テクスト」とでも呼べる現象がある。(→続く)
2010-11-22 12:00:39幻聴ならぬ「幻テクスト」とは、メールや2chのカキコ、ツイートのようなネット上のテクストでの被害妄想だが、ネットがリアルに組み込まれた今、デリダのエクリチュール論をふまえたラカン=フロイト再解釈が必要なのではないだろーか。
2010-11-22 12:02:47考えてみれば、精神分析というのは圧倒的にオーラルの世界で分析しているけれど(テクストの分析もあるけど)、「心が言語によって構造化されている」場合、病理が必ずしもオーラルで発現するとは限らず、テクスト分析は今後注目されていくじゃないか。まあ精神分析を信じるならば、の前提つきだけど。
2010-11-22 12:04:55@good_Samaritan8 「幻テクスト」(造語ですけど)、やっぱりそうなんですねー。教えていただいてありがとうございます。
2010-11-22 12:14:44しかし幻テクストっていうと、唯幻論みたいなイメージで取られかねないな。幻覚、幻聴というのは「幻」+「受容感覚器」で表してるから、幻テクストよりも、「幻読」の方が適切なのかもしれない。
2010-11-22 12:17:05もうとっくに用語になってるかと思って「幻読」でぐぐって見たけど、存在しない!これはもしかして大発見か?まあ論文なんて書けないけどさ。
2010-11-22 12:18:26ちなみに「幻テクスト」でぐぐったら、自分のツイートが出てきたw ジジェクも斎藤環も、もしかしたらこの問題については気づいてないのかも?本当かなぁ。
2010-11-22 12:19:27幻テクスト(幻読)の場合やっかいなのは、幻聴とは違ってテクストそのものはちゃんと存在するってことなんだよな。ただその解釈が恐ろしくおかしくて、ごく普通のテクストなのにも関わらず、全てが自分を攻撃しているかのように読めてしまうという。この症状は相当怖いだろうな。
2010-11-22 12:21:34でも本のタイトルとして「幻読論~ネット時代の精神病理」とかあったら、僕なら手を出すな。よし、ちょっとまじめに考えてみよう。
2010-11-22 12:30:59@sunnyfunny99 @awajiya @nennpa ありがとうございます!幻読に対して実読はあるのか、というのも面白い問いですね。一時、誤読の自由論が流行りましたけど、さらにもう少し根本的なところで議論が出来そう。
2010-11-22 13:02:10換喩がシニフィアンをずらし、暗喩がシニフィエをずらすというのがヤコブソン=ラカンの説明ならば、提喩はどうなんだろう。換喩の一種だというのはあまりにも乱暴だ。概念の大きさをずらすのが提喩で、換喩とは全く異なる。
2010-11-23 12:04:19テクスト解釈における被害妄想に関していえば、提喩が非常に大きい意味を持つと思ってる。ほんのちょっとした記述をものすごく重大に受け取る、という作用があるんじゃないだろうか。このあたりをラカンに接続すれば、結構いい線行くような気がする。
2010-11-23 12:05:58提喩の作用は、シーニュ自体の操作といえる。 語用論的にいえば、デノテーションもコノテーションも同時にずらしてしまう訳で、これが暴走すると結構やばい病理を引き起こす気がする。まあ、何の根拠もないんだけどw
2010-11-23 12:08:20まとめ:換喩=シニフィアンの隣接性 暗喩=シニフィエの隣接性 提喩=シーニュ自体の隣接性 心が言語で構造化されているならば、シーニュが文字通り「目に見えるカタチ」で確認できるテクストこそが、提喩的な働きにより病理を引き起こすのではないか。
2010-11-23 12:10:54(メモ)幻覚や幻聴に比べて幻読(文字の読解による被害妄想)が怖いのは、読むという行為が非常に認知的な過程をへるためだそう。声や映像は所詮、他者のものだが、読むというのは自分そのものを前提としているため、そこに狂いが生じると手がつけられなくなる。
2010-11-24 14:22:59統合失調症で面白いな(失礼) と思ったのは、テレビもまた解釈で被害妄想に結ぶのだが、テレビは所詮遠くにあるもの(まさにtele)。しかし文字を読むのは自分の内部。だからニュースそのものはよくてもテロップで出されるとものすごく怖いという話。
2010-11-24 14:25:24ここで、出てくるのがデリダ。声に対する解釈と、文字に対する解釈とで違いがある、というところに援用できる訳ですね。パロールは誰が発しているかという「主体」が設定されるために、遠く聞こえる。ところがエクリチュールは主体なき一般性を獲得しているため、より深い病理を引き起こす、と。
2010-11-24 14:40:16ネットでテクストがあふれ、しかもチャットやメールやツイートといった「主体的テクスト」が激増したため、本来主体なき一般性を持つテクスト本来の性質と齟齬が生じ、深刻な「幻読」が多発するのではないか。これが現代における被害妄想の新たな局面。おお、ひとまずまとまったぞ。
2010-11-24 14:42:59