- tikuwa_zero
- 8724
- 3
- 1
- 7
「反体制」には相対的と絶対的があるんだけど、こじらせすぎちゃった人はどちらも発症していてなかなか厄介。 ざっくり解説すると、相対的反体制とは「現社会の何らかの構造が自らの思想信条に反する」事で、絶対的反体制とは「現社会の権力構造を嫌う」事。
2014-09-26 00:47:44相対的反体制をこじらせた人は、自分の主義主張に反する裁判の経緯や結果に物申す事が多い。最近だと、ちょうど強姦罪で無罪判決が出た例の事件での批判的反応に詳しいですな。
2014-09-26 00:50:01法律を理解していれば、あの事件の最たる問題は暴行や脅迫が立証出来てないのに、それを必要とする強姦罪で無理筋な立件をした検察だっつー事は理解できるんだけど、「女性への性差別は犯罪だ」という思想信条が先に立つので、事の経緯や問題を正しく認識する事が出来ない。
2014-09-26 00:51:02無論「女性への性差別は犯罪ではない」が正しいとする意味ではない。「女性への性差別は犯罪だ」という思想と、法律が必要とする目的・手段・方法は必ずしも合致しないという当たり前の話なのね。 これは別項で述べた罪刑法定主義を理解していれば通じる。
2014-09-26 00:53:34絶対的反体制は、誤解を承知で例えれば「革命至上主義」と置換すると判り易いかもしれない。 「我々の考える統治体制や法こそが正しいハズだ」という実に中二病マインド&手遅れ感満載のアレ。
2014-09-26 00:55:57絶対的反体制をこじらせた人は、特定政党・特定政党が与党となった政府・司法・警察や自衛隊(軍隊)などへの強い疑念と疑いを抱く一方、諸外国の政治やシステムのうち、自分たちの主義主張に都合のよいモノをつまみ食いする事が多い。
2014-09-26 00:58:20当たり前だけど、自分たちの主義主張に都合の良いトコだけつまみ食いするような論理が正常に機能するハズもなく、ツギハギの論理を並べれば精査する必要もないほど論理破綻しているのは明らかなんだけど、彼らの中では論理的に成立しているため、外部からどれだけ批判しても全く理解しない。
2014-09-26 01:05:18いずれにせよ彼らの根幹にあるのは「我々が正しい」とする全能感であり、それによって自分たちの主義主張に都合よく「差別」を切り分けているのは間違いない。 だからこそ彼らは「差別は許されない」と強く論じるその一方、自分たちの主義主張の適わないモノへの差別を自覚的に出来るのだ。
2014-09-26 01:08:30私刑の論理アペンディクス1「深遠を覗き過ぎた何か」
「1933年の春、ナチスの学生組織、教授および図書館員は、ドイツ人が読むべきではないと思われる本の長いリストを作りました。そして1933年5月10日の夜、ナチスはドイツ全土の図書館や書店を襲撃しました。」- ushmm.org/outreach/ja/ar…
2014-09-27 13:59:06これ、まさに今カウンター界隈がやろうとしている事そのものだよね。 twitter.com/CSambo/status/…
2014-09-27 14:59:36私刑の論理アペンディクス2「殺意の方向性」
正直なところ、政治的アジテーションとして「死ね」って罵倒はアリだと思ってる。死ねっつーのは願望であり受動的なモノで、それを受ける側が自殺でもしない限り問題として成立しないからね。 ただ「殺せ」はダメだ。それは能動的な殺害欲求であり、冗談でも人に向けて口にしてはいけない言葉。
2014-09-27 15:41:21無論、いわゆるイジメにおいてはどっちも同じ。だからあくまでも政治的アジテーションに限定された話ね。 しかし逆の文脈で云えば、「死ね」って言葉は必ずしも虐められてる側が反抗として使う言葉とは限らず、虐める側が口にする言葉でもあるって事。
2014-09-27 15:42:41そして少なくとも、虐められてる側は虐めている対象に向かって「死ね」とは云っても「殺せ」とは云えないし、云わない。 イジメの構図って、大抵の場合が加害者=集団、被害者=個人だからね。 もちろん必ずしもそうとは限らないが、一般例として。
2014-09-27 15:44:25「殺せ」は殺意の肯定であり、 「お前らも殺すのに協力しろ」という強要でもあり、 「オレらと一緒に殺さなきゃ、お前らは仲間じゃないぞ」という脅迫でもある。
2014-09-27 15:50:23私刑の論理5「カウンターという行為の欺罔性」
本人たちは「やられた事をやり返しているだけだ」とほざいてますが、あの界隈が問題にしているのって在特会やいわゆるネトウヨによる嫌韓ないしそれに根付く言動だよね。だったら、カウンターを名乗れるのは差別されてる当人だけじゃろ?じゃろ?
2014-09-27 15:53:32差別されてる対象の代理人ないし代弁者が「カウンター」を名乗って差別をやり返すのは、人のふんどしで相撲を取るのと同じ。 そこが「アンチ」との最大の違いなのよね。
2014-09-27 15:56:01「アンチ」は誰にでも出来る。主観的に問題だと思った要素を非難するだけの単純なモノから、分析した上で論理的な批判を語るモノまで玉石混交。 しかしそれらは、主観的にも客観的にも行える。
2014-09-27 15:57:03しかし「カウンター」は当人にしか出来ない。「やられたからやり返す」という論理は、本来そういうモノだ。 被害者でもない人間が被害者の代理人や代弁者気取りで勝手な報復を行うのであれば、それこそが私刑そのものだ。
2014-09-27 15:58:15その点を理解せず、「いや、我々はマイノリティを守り、マイノリティを差別するクソ共を批判するために拳を振るう正義そのものなのだ!」と中二病全開の全能感丸出しで自己肯定に明け暮れるのがこの手の義憤と私憤を履き違えたウンコタレの最たる問題。
2014-09-27 16:05:04