便宜上の呼称,便宜上の衣装
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例えば出世魚の一つ「ブリ」は成長するにつれて,ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ(関東地方の場合,Wikipediaより)と名前を変えていきます。その時点のブリを指し示すのに必要だから,(仕方なく)それぞれの成長段階に応じて名前を付しているのです。
2014-09-26 16:10:06同じことが,ほむらについても言えます。その時点のほむらを指し示すのに必要だから(仕方なく)用いられる呼称が,「眼鏡ほむら(めがほむ)」であり「クールほむら(クーほむ)」であり「リボンほむら(リボほむ)」であり「悪魔ほむら(デビほむ)」であるのです。
2014-09-26 16:10:12さやかはほむらのことを「悪魔」と呼んでいます。それは確かです。 「だとしても,これだけは忘れない…。暁美ほむら,あんたが,悪魔だってことは!」
2014-09-26 16:10:24「あの神にも等しく聖なるものを貶めて,蝕んでしまったんだもの。そんな真似ができる存在は,もう,悪魔とでも呼ぶしかないんじゃないかしら?」 まずはこの台詞。一見すると悪魔を自称しているように見えますが,ことはそう単純ではありません。
2014-09-26 16:10:52まず最初に,この台詞を発したほむらは,まどかを「聖なるもの」でと非常に高く評価します。まどかが「聖なる」の水準を例えるのに「神にも等しい」という言葉までも使って,まどかを評価に高く評価します。
2014-09-26 16:11:03次に,そのまどかへの評価を基準点として,自身の行動を「貶める」「蝕む」ものである,と非常に低く評価します。そして3番目に,その非常に低い評価の行動を起こした自分自身を,ほむらは非常に低く評価し,まどかとは真逆の存在であると述べるのです。
2014-09-26 16:11:09ほむらがこの台詞の中で「悪魔」という言葉を使ったのは,まどかの水準を「神」に例えたことが切っ掛けです。「神」という例えの延長で「悪魔」という例えが登場しました。高い評価の例えとして「神」が登場したので,それと正反対の低い評価として「悪魔」が登場したのです。
2014-09-26 16:11:22実際,ほむらは「私は悪魔だ」と言ったのではなく,「悪魔『とでも』呼ぶしかないんじゃないかしら?」と言っています。「とでも」という表現は「完全に合致はしないが,近いものを強いて挙げるとすれば」ということを表す表現です。
2014-09-26 16:11:30さらに,「悪魔とでも『呼ぶしかないんじゃないかしら?』」という表現を使っています。これは相手に自分の評価を委ねる言い方です。この部分をもっと明確に書くと,こんな感じになります。
2014-09-26 16:12:01「私のことを悪魔と呼びたければ呼びなさい。私はそう呼ばれたって構わない。私はそんな罵声を浴びせられても文句を言えない酷いことをしたのだから」 つまりやはり,ほむらは自分で自分のことを悪魔だとは一言も言っていないのです。
2014-09-26 16:12:07「今の私は“魔”なるもの。摂理を乱し,この世界を蹂躙する存在。神の理に抗うのは,当然のことでしょう」 ここの「魔」という表現も「神」という例えの延長で登場したに過ぎません。(加えて言うなら,自分を「悪魔」だと評価するように,わざとほむらはさやかを誘導しています。)
2014-09-26 16:12:32ほむらのこの「悪魔」という言葉の使い方を見ていると,かつてまどかがキュゥべえに「君は,本当に神になるつもりかい?」と問われて答えた言葉を思い起こさせます。
2014-09-26 16:12:45「神様でも何でもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを,希望を信じた魔法少女を,私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい」
2014-09-26 16:12:58この台詞に「神」という言葉が登場しますが,もちろんまどかは「神」を自称したのではありません。ここでまどかは,「私のことを神様と呼びたければ呼びなさい」と,相手に自分の評価を委ねているのです。
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