「知の巨木」
新しい(自然)科学的知見を認知し、それを公開し共有するためには、その内容と価値を理解できる人(主に当業者)によって吟味されるプロセスがいるのね。必要があれば追試もされるし、反証もされることもある。その営みの中でどんどんもっともらしさを増す。ここが一番「科学」らしい点。
2014-10-03 17:20:48今はウェブがあるので、ここに書き込むだけで簡単に「公知の情報」を世に送り出すことができる。でも、そのもっともらしさは誰にも担保されない。もっともらしさの保証は、それほど簡単ではない。
2014-10-03 17:24:38「ぼくのかんがえたさいきょうのかがく」を「科学」にするためには、そのもっともらしさを、その内容がきちんと科学的に吟味できる他人に査定してもらう必要が出てくる。
2014-10-03 17:29:25そこでもっともらしさが吟味され、担保が入ると、ようやくそれが科学的な知見の仲間入りをする。ただ、間違ってたら、また、よりもっともらしい論によって反証され、淘汰される。ずーっとずーっと、それを繰り返している。
2014-10-03 17:36:23最後に残ったのは、もう折り紙つきのもっともらしさのチャンピオン、何十年も何百年も生き残ったツワモノの諭。これを幹として枝葉が生えている。新しい枝葉が生え、たまに古い葉が新しい葉に新陳代謝する。
2014-10-03 17:38:44科学者は、ちっともその「知の巨木」を守りたいとは考えてないのね。実は、虎視眈々と、古い枝をバッサリ切り落として、あるいはどこかの隙間を見つけて、出来うる限り大きな枝葉を自分で付けようと狙っている。
2014-10-03 17:42:04守りたいんじゃなくて、幹はどうやってもそう簡単に斧が入らないんだよね。太い枝も。頑張って、やっと葉っぱが一枚貼り付くとか、そのぐらいで。
2014-10-03 17:43:34間違うこともよくある。というか、「科学らしさ」は、突き詰めると「間違いが発覚し、別の論に蹴り落とされる可能性が必ずあるが、現時点でそれが無い」ことだと言ってよい。
2014-10-03 17:53:25その巨木に枝葉を付けたり、あるいは剪定したりするのが科学で、その巨木が科学的な知見なのね。その木には誰でも触ることができる。どんなひとでも。
2014-10-03 18:05:48だれのものでもあるの?
@Butayama3 そうそう。そこに実る果実を享受することもできる。古い葉を落とすことも、新しい葉を付けることもできる。年齢も性別も身分も関係ない。
2014-10-03 18:12:18@Butayama3 ただ、枝葉を付けたり切り落とすのには、科学的な「もっともらしさ」がいるのね。これをするには、ある程度訓練がいる。触って楽しむのは誰でもあり。
2014-10-03 18:17:14@fluor_doublet どんな風に触ったらいいのか、遊んだらいいのか、もっとわかりやすいといいなあ。
2014-10-03 18:22:17@y_tambe @fluor_doublet いるなあ、そういう人(笑)。 でも、ちゃんと聞くと、丁寧に教えてくれるおじさん。
2014-10-03 18:27:06@Butayama3 ただ、そこにたわわに実った果実は、広く流通され、当たり前のようにみんなが食べているンよね。あまりにも当たり前すぎて、元の木を知らない人がいる。まあそれはそれであり。
2014-10-03 18:27:44