文化とデモ -アートや音楽に何ができるか?
だんだんわかってきたけど、ヘイト・カウンターにしろデモにしろ、俺としては「文化」であることをやめたいのだと思う。この場合の「文化」とはサブカルチャー。なぜなら、日本においては、「サブカル」的な文脈から出てきた社会運動を連想させるから(だめ連とか素人の乱とか)。
2014-10-08 02:22:01反原発デモをやりはじめた頃、よく新聞とかに取材されて掲載されるのが文化面だったりするとブーブー文句を言っていた。せっかく取り上げてくれてるのに(笑)。「アートでデモ」じゃないんだよ!これは政治なんだから政治面か社会面で扱えや!的な。
2014-10-08 02:23:44「文化の力で政治参加」みたいなノリって、新聞記者がそういうの好きだってこともあるけど、やっぱ勢力としてそういうものと見られていたんだよね。「アートを活かして…」「音楽を活かして…」「デザインを活かして…」みたいなの、いやだった。本末転倒な感じがして。
2014-10-08 02:26:27それでこれも最近よく言うけど「いまアートに何ができるか」「いま文学に何ができるか」系の問いも、いらんのちゃうかなと。アートはアートのまま、文学は文学のままでいればいいし、デモやるときはプラカのデザインに活かしてくださいとか呼びかけ文書いてくださいとか、そういう程度の効用しかない。
2014-10-08 02:31:29アーティストがアートで何かポリティカルな表現をしたからといって、それはどこまでいってもアートでしかなく、政治行動ではない。だから「私はデモではなく自分のできることをやっていく」って、意味がない。「私は会社員だからデモ行かない」と言ってるのと同じ。
2014-10-08 02:33:09自分はずっと音楽好きで音楽を仕事にしてきたけど、やっぱそれを政治行動に無理やり結びつけるのって自己実現が先立っててうざいのではないかと思う。ソウルフラワー・ユニオンはポリティカルな作品をつくるけど、中川君デモで歌ってるのみたことないよね。彼はいつもただ一般参加者としてそこにいる。
2014-10-08 02:36:47とはいえ別に集会で音楽やるのを否定するわけじゃないし、サウンドカーみたいなのもあっていいと思うんだけど、それらはあくまで政治表現のバリエーションのひとつでしかなく、「文化の力を!」みたいな方向にあんまり行くとつまらないと思うんですよね。あってもいいけど、なくてもいい。
2014-10-08 02:38:54最近よくやってる「サブカル」叩きって、そういうレベルにも行ってなくてただ自分の趣味や好きなものを優先して政治的文脈から自らを切り離す態度に対する批判なんだけど、でも根底にはこういう「文化」のウザさみたいなものがあるような気がしてきた。
2014-10-08 02:43:433年前にミュージック・マガジンが出した『プロテスト・ソング・クロニクル』という本に、《デモで「イマジン」とか「ウィ・シャル・オーバーカム」やんのやめてほしい》とか書いてる。かといってラップやったところでラップ嫌いな人には響かないのだから、音楽はむしろ分断の原因になる、と。
2014-10-08 02:46:35