・季語を先にきめ、つきすぎにならないように他の部分を考える ・十二音ぐらいで言えそうなことを言って、それとつきすぎにならない季語をくっつける というのが基本だと思います。「つきすぎ」というのは「誰でもすぐに連想するようなこと」ぐらいの意味かな。
2014-10-05 14:39:58.@yukioi 梅雨、と、湿気、は、同じ意味を含んでいて、くどい、ということですよね。つきすぎ、が問われるのは、梅雨、と、チェス、のような、梅雨→閉じこもりがち→室内で遊ぶ→チェスといった連想のプロセスに対してなのでは? そこにくだらなさを感じるか、ちょっとした発見を感じるか。
2014-10-07 17:33:57@ogiharahiroyuki @yukioi 俳句では「つきすぎ」という語が定着しすぎて、「(適切に)ついているか」というセンスが希薄になっていますね。つきすぎじゃなきゃいい、ということになると全部が天狗俳諧になっちゃいます。
2014-10-07 17:54:24@ogiharahiroyuki @yukioi 【承前】重複を避けて、効率のよい句(すっきりした句)にするのは、基本だと思います。悪効率は、例えば、季語以外の部分が季語の説明になっている句。
2014-10-07 17:57:00桜、と、死体、の場合は、桜→桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる(梶井基次郎)→死体、といった連想のプロセスが問われるわけですけど、これは、つきすぎ、と言うよりも、むしろ、借り物、と言ってみたい気がします。威を借る感じが出ていたらアウト。パロったり茶化したりにはまだ可能性があるかも。
2014-10-07 19:40:09あと、みかん、と、こたつ、について、これはもう一体化していて、つきすぎや季重なりを超越した世界なのではないでしょうか。こたつの上にあるみかんやこたつで暖まりながらみかんを食べることを、こたつみかん、と呼んで、独立した一つの季語にすればいいのに、と私はそのように主張したく思います。
2014-10-07 20:44:04.@10_key @yukioi つきすぎ、が望ましいとは思いませんけど、つきすぎを絶対的禁則として用いる批評って、あまりその句をきちんと読んでいるようには見えない、と日頃から感じているものですから、つい語ってしまいました。石原ユキオさんの誠実さには誠実に応えたいと思っています。
2014-10-08 10:10:15@ogiharahiroyuki @yukioi 同意です。つきすぎにばかり目が行き過ぎているという見方から、若干コメントいたしました。ただ、つく・つかないという二物の距離より以前に、季語と季語以外という「部品工程」の作句法を積極的に推奨することには大きな違和感。
2014-10-08 10:14:38