孫文の「アジア主義」と「王道」についての千坂恭二氏(@Chisaka_Kyoji)とnos氏(@unspiritualized)の遣り取り。

千坂恭二氏(@Chisaka_Kyoji)が、「孫文が『日本は王道を選べ』ということのダメさ加減が理解できないとアジア主義は理解できないのでは」と言う指摘に、nos氏(@unspiritualized)が異論を申し立てたことから始まった遣り取り。 更に翌朝、佐々木敦『ニッポンの思想』 http://amzn.to/1ssqFVL を枕に、いわゆる「思想」の暴落振りを何が招いたかについて千坂氏が言及。
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孫文の「アジア主義」に関する遣り取り
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

思想・文学・芸術(日独)。1968年闘争期はアナキスト革命連合(ARF)の10代の年少武闘派。ユンガー論、バクーニン論、神武革命論、アート廃棄論の4著を刊行予定。『歴史からの黙示・アナキズムと革命』(航思社)『思想としてのファシズム・「大東亜戦争」と1968』(彩流社)。少林寺拳法2段。 携帯09060622504

facebook.com/chisaka.kyoji
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
今月の定例研究会では黒龍会のアジア主義についての拙論を読むが、孫文が来日して言った日本は覇道ではなく王道を選ぶべしということの駄目さ加減が分からないとアジア主義は理解出来ないだろう。孫文はアジア主義を西欧帝国主義に売り渡したといえるからだ。
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
日本におけるアジア主義の肯定派も、孫文のこの言葉に、当時の日本のアジア主義に対する本質的な批判があると受け止める傾向にあるが、孫文自身も無自覚だっただろうこの言葉の構造的な欺瞞を見ない限り、アジア主義から学ぶものはあるまい。
nos @unspiritualized

月にすむ牢番のごと目をさまし

nos @unspiritualized
1924年の「大アジア主義」講演のことでしょうか。孫文はその前にアジア主義者らと接触を試みていて、犬養毅は面会を断り、頭山満は会っています。藤本尚則『巨人頭山満翁』を見るかぎり、孫文がアジア主義の西欧帝国主義化を批判したようですが、違うお考えですか。@Chisaka_Kyoji
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
@unspiritualized 神戸での講演です。孫文は意識的には西欧帝国主義には批判的ですが、しかし、その批判の現実がなく、それを暴露するものが、日本は覇道ではなく王道を歩めという立場です。孫文には日本という亡命先がありますが、日本には亡命先はありません。
nos @unspiritualized
うーん。孫文にその言葉を強いているものが日本の帝国主義であり、アジア主義はこの時点でその走狗ではありませんか。講演に先立つ頭山との会談では、孫文は来るべき新生中国について欧米の高圧を批判しつつ日本の態度を問うた。中国は「現実」です。それに対し… @Chisaka_Kyoji
nos @unspiritualized
頭山は孫文におよそこう応えました。日本が取得した「満蒙地方」や権益は、中国が諸外国から侵害される恐れがなくばれば当然返すべきものである。しかし今は国民が承知しない、と。ただの帝国主義的資本主義ですよ。ここでおそらく孫文は理解した… @Chisaka_Kyoji
nos @unspiritualized
日本は新生中国において欧米(資本主義)に対して戦わないどころか、むしろ彼らの一員である、と。私はここがアジア主義のひとつの分岐点だったと考えます。それを飲み込み、孫文が講演したのが神戸での講演ではなかったでしょうか。@Chisaka_Kyoji
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
@unspiritualized かりに日本が王道ではなく覇道であったなら(孫文はそう認識したのでしょう)、なぜ覇道たらざるをえないのかという「現実」に孫文は盲目だったと思います。
nos @unspiritualized
それは日本は資源がないからグローバリゼーションを選んでよい、というロジックと通じてはいませんか。@Chisaka_Kyoji かりに日本が王道ではなく覇道であったなら(孫文はそう認識したのでしょう)、なぜ覇道たらざるをえないのかという「現実」に孫文は盲目だったと思います。
nos @unspiritualized
私は、アジア主義の「外部」こそが実は中国そのものであり、他者は孫文その人だったのではないかと思います。@Chisaka_Kyoji
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
@unspiritualized というより孫文には、国家レベルの二重権力論がないのです。国家のない孫文にはそれは当然なのであり、正しいのですが、孫文の正しさは、国家である日本では通用しないということです。
nos @unspiritualized
この場合、二重権力論を持ち得なかったのはむしろアジア主義のほうだったと思うのです。@Chisaka_Kyoji
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
@unspiritualized アジア主義の外部としての中国と孫文は別であり、後発帝国主義であるがゆえにアジア主義の否定的媒体であらざるをえない日本に対して、国民党も共産党もアジア主義を売り渡したと言えます。
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
アジア主義における孫文と日本の違いは、簡単にいえば、孫文は乞食だったが、日本は強盗だったということだろうか。
nos @unspiritualized
ただ、神戸での講演というか、あの来日において、孫文は日本のアジア主義にある種の賭けをしていたとは言えるのではないでしょうか。それを否定したのは日本のアジア主義者たちであり、そこでオルタナティブとしての中国(アジア)は潰えた。あとは帝国主義の補強です。@Chisaka_Kyoji
nos @unspiritualized
つまり、千坂さんが常々おっしゃるような、資本主義の構造改革のごとき、帝国主義の構造改革派になりさがった訳でしょう、アジア主義は。@Chisaka_Kyoji
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
@unspiritualized いや、私が言いたいのは事態の経過ではなく、日本は覇道ではなく、孫文のいう王道を選択出来たのかということです。日本はアジア主義の否定的媒体としての在り方をどのようにすれば維持し得たのかということです。
nos @unspiritualized
ですからまさにこの地点においてアジア主義は帝国主義の構改派の道=覇道を選んでしまった。@Chisaka_Kyoji いや、私が言いたいのは事態の経過ではなく、日本は覇道ではなく、孫文のいう王道を選択出来たのかということです。日本はアジア主義の否定的媒体としての在り方をどのように…
nos @unspiritualized
その上で、そうではないアジア主義の潜勢力は何なのか、ということであればよく理解できます。@Chisaka_Kyoji
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji
@unspiritualized 日本は、後発の帝国主義を強化することにより、結果的に、つまり構造的に二重権力的状況を作り出しえたといえます。むろん当時の日本の意図を越えてですが。日本も孫文も、それぞれの意図を越えて、何を体現し、実現したのかが問われるべきだと思います。
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