塔10月号「十代・二十代特集」を中の人約一名が好き勝手に読む2014[第3回]

「塔」2014年10月号掲載の特集「十代・二十代特集」を、濱松哲朗が一人で勝手に読み込む企画です。 第3回で取り上げたのは、大坂瑞貴、駒井早貴、花麒麟陰朗の三名です。
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濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-023]寝室という、隔離されたプライベートな空間で、自分ひとりのための確認行為を繰り返していく様が詠まれていますね。ラベルを貼ることで感情を納得しようとしている。よく分かります。ただ、分かり過ぎるのも問題で、単調とも取れる。#塔1020

2014-10-16 01:39:45
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-024]諦める練習をまた無意識にしている非常階段の下 /花麒麟陰朗「人生ゲーム」#塔1020

2014-10-16 01:41:29
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-025]この作者にはどうも、自分の感情や思いをじっくりと考えて検討する類の歌が多いようです。自分の「無意識」を観察しているのは、明らかに意識的な行為です。#塔1020

2014-10-16 01:43:58
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-026]ただ、自分を客観視して詠もうとすると、作者としての「私」がより強く見えてきます。あたかもそこには、無意識を排してしまいたいという欲望があるかのように。ただ、無意識は消しすぎると表現が平板になります。「非常階段」の方を生かした方が良かったかもしれません。#塔1020

2014-10-16 01:47:07
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-027]誰もみな見ているものがひとりだけ見えないままの人生ゲーム /花麒麟陰朗「人生ゲーム」#塔1020

2014-10-16 01:48:54
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-028]さて、どこで切って読みましょうか。 (1)誰もみな/見ているものがひとりだけ見えない…… (2)誰もみな見ているものが/ひとりだけ見えない…… (1)だと意味が混乱しますが、(2)だと言い張る確証が持てません。#塔1020

2014-10-16 01:52:30
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-029]何故なら、(2)の読みを要求するなら「誰もがみな」と書くべきだからです。音数合わせをしたのでしょうが、意味が掴みにくくなってしまっています。そして、助詞の「が」も少し厄介な使われ方をしていることにも気づかされます。#塔1020

2014-10-16 01:55:23
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-030]「誰もみな」と「ひとりだけ」で対をなしているのはわかりますし、歌意も何となく掴めるからこそ、仮にこの「が」が「を」ではどうだったのか、等を考慮しても良かったのかもしれません。ただ、この作者には恐らく「が」という助詞の強さが必要だったのでしょう。#塔1020

2014-10-16 01:59:12
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-031]というわけで、今日はこの辺で終わります。ありがとうございました。

2014-10-16 01:59:47
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

コイツを聴きながらのツイートでしたが、プロコフィエフの4番はさすがに寝れませんね。 pic.twitter.com/pqNVf5CObC

2014-10-16 02:03:37
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