@sekigahara1958 「絶対不可侵」と「テロ支援呼ばわり」の間には大きな差があります。「場合、やりかたによって教育支援が時期尚早、逆効果なこともあるので注意すべき」と言えばすむ話を、一個人が「テロ支援だ」と言い切ることの是非です。
2014-10-19 16:02:15@sekigahara1958 そもそも、教育がなければ貧困に気づかない、という時点で無理があります。それが正しいなら戦国時代の農民は貧困に気づかなかったことになる。自分や自分の子供が飢えたり戦火に巻き込まれたりしても「教育さえ無ければ貧困に気づかない」とお思いで?
2014-10-19 16:03:17@sekigahara1958 「教育万能論」でも「崇拝」でもなく、単に「行き過ぎた教育は危険」を「マララ氏はテロ支援」まで短絡して煽ることの問題点を指摘してるのです。
2014-10-19 16:09:42@sekigahara1958 自分の国の何がどう悪くて、なぜ自分が苦しんでるかも理解できない状況にいる人や、それを改善しようとする人に対して、豊かな環境で教育を受けた人間が「教育がないほうが貧困を自覚できなくて幸せだ」ということこそが、最低最悪な行為だと私は思います。
2014-10-19 16:16:11一般論が役に立たない状況や、不道徳、残酷と思える割り切りが必要とされる状況は確かにあります。
そこで必要なのは、正論vs逆説という話ではなく、それぞれの状況をきちんと見極めて吟味していくことでしょう。
今回のケースにおいて、教育支援というのは簡単ではなく、場合によっては逆効果にもなりうる、ということは私も站谷幸一氏に同意しているところです。
一方で、私が出した論点は、
・「教育さえなければ貧困に気づかない」は正しいか?
・高等教育は時期尚早でも初等教育が役立つ場合はあるのではないか?
・そもそもマララ氏は、社会経済のバランスを無視してまで高等教育を推進すべしと言ってるのか?
といったものです。
それらの結論が出ているかどうかは、読者の皆様に判断をゆだねます。
個人的に思うのは、「反知性主義」になろうと思ってなってる人間はいません。
気を付けているつもりですが、私にも「反知性主義」な一面はあるかもしれない、むしろ、どこかにはあるだろうと思います。だからこそ、不断に気を付けるべきであるとも。
「相手は反知性主義で、自分は知性主義」といった単純な納得をしてしまうと、そういう自己点検を怠ることになり、危険なのではないかと考えるものです。