夏風に乗って【2014加筆修正版】

白いワンピースの娘イリェは、記憶を頼りにあるものを森の中で探します。夏の思い出があふれる常夏の国での不思議な出会いです
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減衰世界 @decay_world

――夏風に乗って 【2014加筆修正版】

2014-10-22 21:33:54
減衰世界 @decay_world

青空には積乱雲が立ち上り、蝉の声が響き渡る。灰土地域のほとんどの平野には木々はまばらに生える程度だが、南に横たわる竜芽山脈沿いは比較的木が多い。イリェはそんな森の中を訪れていた。熱帯特有の巨大な樹木が伸びているが、木陰の地面は比較的涼しく心地よい。 1

2014-10-22 21:37:40
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大きな切り株に腰をおろし、うたた寝をする。この地を訪れてから、もう1週間も待っているのだ。夏になると、“あいつ”がやってくる。イリェは待っていた。もうそうそろ諦めかけていたが、最後までその時をずっと待っているのだ。極彩色の鳥が遥か頭上で奇妙な鳴き声をあげている。 2

2014-10-22 21:41:37
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イリェはつばの大きい白い帽子をかぶっている。白いワンピースのすそは短く、青い丈の短いズボンがよく映える。地面は湿った腐葉土に覆われ下草はまばらだ。この地方の巨大樹木は遠く帝都まで運ばれて建築資材などに珍重される。木目が美しく、独特の香りと防虫作用があるらしい。 3

2014-10-22 21:45:16
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不意に目を覚まし、彼女は空を見上げる。“あいつ”が来たような……そんな感覚。夢だったのだろうか? 彼女は目をぱちくりさせて、切り株の上で立ち上がった。イリェが“あいつ”を追い求めるのには理由がある。記憶の旅……そのいちばん昔の頃。それもまた、夏の記憶だった。 4

2014-10-22 21:49:47
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遠い遠い昔の夏、彼女は“そいつ”に出会った。そのときイリェはまだ幼い少女であった。灰土地域の南方、竜芽山脈の麓。同じ熱帯雨林の広がる場所。夏休みに遠出した家族旅行。夏風の吹く空には背の高い積乱雲。傍には父がいて、その日もこんな晴れた日であった。 5

2014-10-22 21:52:57
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コテージでじっとしているのに飽きたイリェは、小道で見つけたとかげを追いかけて森を走る。父はすぐに置いていかれて見えなくなった。すると、突然大きな影が彼女を覆った。空を見上げると……木々の間から、巨大な“あいつ”が見えたのだ。そいつは音も無く空中にただ存在していた。 6

2014-10-22 21:56:20
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幼いイリェはあまりの恐怖に立ちすくんでしまった。しかし、いつのまにか父が傍にやってきて、手を握り、優しく微笑みかける。「怖いかい? 大丈夫。あいつは何もしないよ」 “あいつ”はゆっくりと空を横切っている。悠然と、音も無く、ただそれは空に存在していた。 7

2014-10-22 21:59:26
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「あいつは……名前はなんだったかな?」 イリェの父は髭を撫でながら言う。「僕らの国にもね、夏になると夏風に乗って現れるんだ。小さい頃よく見たよ。最近はあんまり見ないけどね……ほら、バイバイしてやれ」 イリェの父はゆっくりと手を振った。“あいつ”はそれを眼で追う。 8

2014-10-22 22:04:22
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イリェは怖がりながらも手を振ってバイバイする。“あいつ”の眼が動く。“あいつ”はどこか笑ったようにその眼を歪ませた。確かにイリェたちを見て、空を横切って通り過ぎていく。やがて木々の向こう、視界の外に消えていった。何の痕跡も、音も、匂いも残さなかった。 9

2014-10-22 22:09:41
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それ以来“あいつ”を見たことは無い。父は数年前に病気で亡くなってしまい、“あいつ”の正体を聞けずじまいだった。久しぶりに大きな休暇を取れたので、バカンスも兼ねてこうして遊びに来たのだ。イリェは歩きだした。森の中を進むと、やがて大きな広場に出た。大木が倒れてできた空間。 10

2014-10-22 22:13:24
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巨大な積乱雲は空いっぱいに広がり、乾いた夏風が森の中を抜けていった。日溜まりを照らす太陽が心地いいがとても暑い。倒れた大樹に寄りかかって日の光を浴びていると、だんだん眠くなってくる。心地よい夏風が森の中から吹き付けてきて、額に浮かんだ汗を乾かした。 11

2014-10-22 22:17:12
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不意に誰かの足音が聞こえた。腐葉土を踏みしめる湿った音。振り返ると、森の奥から一人の青年が歩いてきた。白い半袖シャツに、黒いズボン姿で帽子は被っていない。黒い艶やかな短い髪が揺れる。彼は上を見ながらふらふら歩いてくるのだった。イリェは声をかける。 12

2014-10-22 22:20:29
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「こんにちは」 「あ、あ、こんにちは」 青年は、びっくりして視線を下げる。「お嬢さんはバカンスで? この国は常夏の国。ここの森はハイキングの人気が高いんですよねぇ」 「ええ。森林浴というか……日光浴というか。何日いても飽きませんわ」 イリェはホホホと笑う。 13

2014-10-22 22:24:08
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青年はちらちら上を見ながら世間話を続ける。「僕はこの近くの生まれで、散歩がてらによくこの森に来るんですよ。常夏の国で一年中暖かいし、いつも花が咲いているし……素晴らしい所でしょう」 「ええ。わたしもこの森が大好きですわ。ところで……」 イリェは気になっている質問をする。 14

2014-10-22 22:28:11
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「さっきから上を見て、何を探してらっしゃるのですか?」 「あ、ああ……今頃の時期になると、夏風に乗ってあいつがやってくるんですよ」 イリェははっとした。彼の探してるものこそ……イリェはそれを知っている。 「もしかして、それって……」 「あ、いた! やっと見つけた!」 15

2014-10-22 22:33:11
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イリェは彼の視線の先の空を見上げた。そこに……“あいつ”はいた! 黄色がかった象牙色の四角錐型の身体。下の4つの頂点からは、風鈴のようなものがぶら下がっている。身体には……大きなひとつの眼。眼から光のビームのようなものがぴかぴかと出てきている。 16

2014-10-22 22:36:18
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“そいつ”こそ……イリェが子供のころ見たものに違いなかった。四角錐の“そいつ”はゆっくりと空を漂う。イリェの驚きも知らないように。「お兄さん、アレがなんだか御存じなのですか!?」 彼女が質問するよりはやく、青年は動きだした。“あいつ”をにらみ、膝を曲げる! 17

2014-10-22 22:38:44
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次の瞬間、バネのように飛びあがり、四角錐の上の頂点にしがみつく! 「お嬢さん、それじゃ……さようならっ」 青年を乗せた四角錐の“そいつ”は信じられない速度で上昇していく! イリェはあっけに取られて、ただ見ていることしかできなかった。やがて四角錐は雲の向こうに消えていく。 18

2014-10-22 22:40:45
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結局“あいつ”の正体どころか、名前さえわからなかった。しかし、幼いころ見たあいつが、幻ではなかった、それだけはわかった。そして、あの青年のこと……。「謎が増えてしまったではありませんか……! うふっ」 そう笑って、彼女のバカンスは終わったのであった。 19

2014-10-22 22:43:57
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記憶は巡る。変わらない記憶、変わらない謎。イリェがそれを覚えている限り、彼女の夏は続くのだ。それは常夏の気候とよく似ていた。彼女は雪が舞う冬の国へと戻っていく。だが、彼女の心の中にはいつまでも夏が残っていた。 20

2014-10-22 22:47:09
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――夏風に乗って【2014加筆修正版】 (了)

2014-10-22 22:47:49