totinohanaさんの蟲師続章 二期感想まとめ

自分では殆ど感想を出せていませんが前期同様、凄まじい作品だと思います。 主に個人的な参考用に。
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橡の花 @totinohana

『蟲師 続章』第18話を視聴。「雷の袂」を渡ってくるものは“音(雷鳴)”である。冒頭、産道さながらにうねる雲間をぬって、大木に縛られた少年のうえに雷光が、巨大な「へその緒」を象って、落ちる―座敷で表に背を向け“耳”をふさぐ母親には“それ”が届くまでのどの光景‐“画”も、(続

2014-12-07 03:05:38
橡の花 @totinohana

続)見えたはずであるのに、無残にただ声―をかき消して轟音だけが届く。その日から母親の目には、彼は雷雲と臍帯をつなぐ蟲の、他所の腹の子供である。あるいはまたその光景をシノが「罰」だというのは、彼女自身が自分を見捨てた‐“声”を聞き届けられなかった母親に対して(続

2014-12-07 03:15:50
橡の花 @totinohana

続)輿入れ先の子供を堕胎しようと入水した過去の復讐に重ねられている。つまり…―ギンコはなんとかレキとシノ親子の縁を取り持とうとする。あの雲間(蟲の母子の“路”)のように「空白(‐間隔)」を位置づけようとするが、息子のあの悲惨な行為が愛情そのままである可能性を示唆されても、(続

2014-12-07 03:24:10
橡の花 @totinohana

続)彼女はそう思えない(“思ったことがない”ではなく、今も)という。そして遂には…―シノは結局、レキを哀れと思って死のうと言うのではない。“母親になり損なった子供”として、無垢な子供としてまた生まれ直したいのである。つまりあの台詞はレキではなく、(続

2014-12-07 03:29:56
橡の花 @totinohana

続)自分とその母親の臍帯(画‐声の継起(モンタージュ)の断裂)へと充てられている。そこに抱き合っているのはふたりの孤児―ならば、たとえば家族が当たり前に手を引くように、深い危機での機微があるように、「雷の“袂”」を掴むことは、彼女にはできない―その雷‐レキもまた蟲ではない以上(続

2014-12-07 03:39:14
橡の花 @totinohana

続)去ってゆく蟲の幼生のよすがを辿ることはできないのである。“乾いた”分の両親との歳月を思うものでなく、まるで落雷で煤けたものであるように、レキはシノと別れた遠い土地で、へその緒を見つめる一方、また雲を見つめるのである(雷鳴と産声の対比をここに見ていいだろう>蟲師続章18

2014-12-07 03:44:02
橡の花 @totinohana

切ねえ話だのぅ…。ハンタ蟻編のエピローグ(帰郷編)思い出しちまったい。あれはボロ泣きしちゃったな。

2014-12-07 03:49:03

第十九話「泥の草」

橡の花 @totinohana

『蟲師 続章』第19話を視聴。ひさしぶりにあの導入部がある。「蟲」の記録―この挿話にてらせば“山”の、禁忌とされる他界の正体の記録だが、本編冒頭、山の中腹の沼地で“溶けた”とおぼしき少女の、子供の着物だけが遠くに伺われ、現在は伝染性の蟲に侵されている山村の翁が、ふと(続

2014-12-14 03:59:17
橡の花 @totinohana

続)ふと「蟲師」‐ギンコの視線から目をそらす―このときの、これまでのシリーズにも増して微妙に“残された‐凝視された”、顔をそらす動きの「間(‐表情)」が、あの溶けた少女の身体と対応する―「とる」などと囁かれる「蟲」は、ここでは死を“隠している”のである。蟲は死の穢れでありつつ(続

2014-12-14 04:09:42
橡の花 @totinohana

続)死体の病理的な状態、つまり「どのように死んだか?」を“隠してくれる”。「死の真相」などは存在しなくなり、ただ奇怪な病態とともにその土地のあらゆる死は“山がとってくれる”のである(死体が山にありさえすれば誰も追求しないのだから)。ギンコが追求しようとするのは(続

2014-12-14 04:18:01
橡の花 @totinohana

続)災害として拡大しかねない特殊な蟲の症例だけだが、“ここでは”そうならない―のは、先述した理由による。「他界」において蟲は死体が“人間ではないもの”へ刻々と変化していく場面を隠してくれる。そうすることでたとえば遺児が父親の死を受け入れる教室として機能する。だがその反面で(続

2014-12-14 04:26:22
橡の花 @totinohana

続)蟲は殺人者の顔を隠すのである。たとえば“そらす”シーケンスの中の所在無さげなぬうっとした動きの中に。懺悔する兄弟の頭上に。仮にそれが“記録‐記述されていたならば”、佳境の悲劇は避けられただろうか? ―だがどうしてあんな顔が記録できるというのだろうか? (続

2014-12-14 04:33:58
橡の花 @totinohana

続)「他界」で朽ちる身内の顔さえ見つめられない我々に、どうしてあんな酷(むご)い“人ではないような”顔を残す筆が…―だが「蟲師」の脳裏には、河原に遺された泥の人型‐“蟲の仕業”から、“それ”が浮かび上がってしまう。彼らには推理ができてしまう。(続

2014-12-14 04:51:50
橡の花 @totinohana

続)蟲を視ることができる天性が却って神秘のヴェールを剥いでしまうからなのか、だとしても、馬鹿なことはここで止めるよう促せるものなのか―ギンコはこの蟲における死臭の働きについて一項付け足すことになるだろう。それがたとえば警喩として機能するかはわからないが、(続

2014-12-14 05:02:20
橡の花 @totinohana

続)普通の人々には蟲の姿がなんの真実も萌さないむなしさをかかえて、「蟲師」はその土地を去ってゆく。>蟲師続章19

2014-12-14 05:04:33
橡の花 @totinohana

無力さに打ちひしがれる探偵でしたね、最後のギンコさんは。そのうちもっとナラティブに適した知見が現れるのか、それが科学になるのか…。

2014-12-14 05:07:16
橡の花 @totinohana

しかしこれだけ極上の物語を見せられつつ、作中では「蟲師」のセンスは(おそらく科学より)ナラティブに適さないだろうとかなしい視線を投げかける主人公をみるというのは、批評的ですな(たとえば初期の病理学者たちもこんな気持ちは味わったろうと思う>蟲師続章19

2014-12-14 05:15:10
橡の花 @totinohana

段々と蟲師なき時代への道を歩んでくなあ。

2014-12-14 05:19:06

第二十話「常の樹」

橡の花 @totinohana

『蟲師 続章』第20話(TVシリーズ最終回)を視聴。植生は“形”をあたえる―“覚りの木”にとって最初のそれは、若木に“反り”をつくらせた風である。杉に似るというこの蟲は、周囲の木々や日当たりはもちろん野鳥、苔、菌類…あらゆるもののおかげで千年樹の偉容を形成する。光脈筋のうえで(続

2014-12-21 03:56:19
橡の花 @totinohana

続)スクスクと、やがて密に広がる樹冠は山なりを突き抜けて、里を見回すほどの眺望にとどく―そこから落ちた一滴の赤い実が旅回りの大工の口に入ってしまう―ということは、ここより“覚りの木の形”を決めるのは彼なのである。タイトルとともに裸の梢とかじられた実ように欠けた月を向こうに、(続

2014-12-21 04:04:30
橡の花 @totinohana

続)男の生家の影が憧憬をつくる。それを抱いて男は再び旅に出る。先々で背を伸ばす“眺望”の夢を見、木の記憶に触れる(それはあくまで木の主観である)。そんなあるとき辻合の茶屋で男はギンコと出会い、その回想‐眺望が異様であると気づくきっかけをもらう。が、この時点では(続

2014-12-21 04:15:49
橡の花 @totinohana

続)彼は疑問を不思議なことに詰めない(田舎の村の景色だとして、それが“あの高さ”のはずがないのに)。帰郷の途、惹きつけられるように神木の切り株のあとへ近づく男は、“覚り”によって木と同化を始める。なんとか脚だけの段階で助けれた男だったが、それを元に戻す方法はギンコも知らない。(続

2014-12-21 04:26:39
橡の花 @totinohana

続)冒頭語られたように生来落ち着かない性格だという男はどうしても治してほしいと乞う。その間も延々と「眺望」が思い出される―ここでは明示されていないが、その中にはおそらくあの「憧憬」もある。もう旅の最後の風景としてあれを見ることはないのかという寂しさもあるに違いないだろう―(続

2014-12-21 04:32:48
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